第54話
「………っ、は」
漸く息を吐き出せたのは、魔物の波が途切れてから数十秒経ち、その事実を私の脳が呑み込む事が出来てからだった。
大規模な結界を展開して魔力を消費しすぎたからか、ぐにゃりと目の前が歪む。
平衡感覚が失われる。脳味噌ごと揺さぶられたような嘔吐感。倒れそうになる体を受け止めてくれたのは、腰に回されたノワール先輩の腕だった。
ぜいぜい、と乱れた息。額に浮かぶ玉のような汗、前髪が張り付いて気持ち悪い。魔力を溜め込みすぎて発熱してた肉体を、夜風がゆっくりと冷ましていく。
空を覆う結界は、いつの間にか解けて消えていた。
……あの時。
魔力を極限まで高めた時、一瞬だけ。とても大切な何かが、脳裏を掠めたような
「……ティアさん、落ち着いて。ゆっくりと深呼吸して下さい」
そんな思考は、ノワール先輩の声に掻き消されていく。
先輩は片手で私の目を覆うと、もう片方の手でトン、トンと優しく背中を叩いた。
これに合わせて呼吸しろ、という意味だろう。先輩の掌が作り出した暗闇の中で、ただ息を吸って、吐く事に集中する。呼吸を、頭を、心を、ぐちゃぐちゃになった自分を整える。
……うん、だいぶマシになった。
「ありがとうございます、先輩。もう大丈夫です」
お礼を言って、もたれていた身体を立たせる。体内に残った魔力はほぼ空っぽだ。簡単な結界を一回張れるかどうか、と言った所か。
「……あまり無茶はしないで下さいね。夜に魔法を使うのは、ティアさんにとって負担が掛かると聞きましたから」
「へ?……あぁ、大丈夫ですよ。そもそも」
そもそも、夜に発動したくないのは“拒絶”の結界だけ。今使ったのは“反射”の結界ですから。
そう、続けようとした言葉は
「───っ!?」
不意に瞬いた閃光と、遠くから響いた崩壊音によって遮られた。
まるで稲光のように、夜空を一瞬だけ白く照らした光。魔の森で見たサーリャさんの雷を思わせる一閃が眼に焼き付いたかと思うと、ここから遠い場所で重々しい何かが倒れたかのような轟音が耳に届く。
「今のって……!?」
「取り敢えず、一度降りて状況を確認しましょう」
先輩の言葉に頷き、階段を駆け下りる。
……気の所為だろうか。城の外が何だか騒がしい。怒号、罵声。あるいは、パニックに陥った人々の逃げ惑うような声が、聞こえるような気が
一気に一階まで降りた私達は、そのまま庭へと出る。初めて城門を潜った時、馬車の窓越しでも分かる程の美しさで私達を出迎えてくれた、ヴィゴーレ城のフロントガーデン。
きっちりと配列された石畳の上には、ぽつぽつと何かが転がっていた。城の警備をしていた兵士達だ。
彼らは例外なく、赤い水溜りの中に倒れていた。自分の身体から流れ出た、赤く粘り気のある水溜り。その中心に
「…………」
倒れ伏す兵士の中央に、一人の男が立っていた。
後ろでひとつに纏めたダークブロンド、黒いカソックを着ている三十半ばの男……ケノラナの教会にいた、カッツェ神父だった。
彼の右手には、抜き身の剣が握られていた。曇りなき白銀の剣。間違いない、昼に典礼で見た聖剣だ。
「ぐ…………、っ……ぁ」
そして、左手。地面と水平になるように伸ばされたもう片方の手には、侍女サリーが……侍女に扮したエルフリーデ女王陛下が捕まっていた。真正面から首を鷲掴みにされ、宙ぶらりんになっている状態だ。
彼女は苦悶の声を漏らしながら、己の首に食い込む指を何とか引き剥がそうとしている。だが、男と女の差か。神父の指は打ち込まれた杭のようにピクリとも動かない。
苦しさに喘ぐ女王陛下を、神父はただただ見つめている。
そんな神父を取り囲むのは、未だに無傷だったり軽傷で済んでいる十数人の騎士達。腰に差した剣を抜き、斬りかかるタイミングを図っているが、人質がいる故に攻めあぐねているようだ。
完全な拮抗状態。これを崩すにはどうすればいいのか。そう私が思考を巡らせている隣で、ノワール先輩が動いた。
左手首に付けられた“赤のギルド”の団員証。銀のバンクルに付けられた大粒のルビーに触れようと手を伸ばし
「動かないように」
矢のように鋭い言葉が、神父から私達に投げかけられた。
「今発動しようとした魔道具を捨てなさい。少しでも妙な動きをすれば、この首を圧し折ります」
「…………」
カッツェ神父の言葉に、先輩は従わざるを得なかった。
腕からバンクルを外し、開け放したままだった扉から城内へと放り投げた。音を立てながら床を転がっていく自分の団員証を確認し、ノワール先輩は扉を閉める。
「……これで良いですか」
「結構。……おや、貴女は昼に教会でお会いしましたね」
相変わらず、微笑みを浮かべるカッツェ神父。教会で見た時と全く同じ表情なのに、血の中に佇んでいる現状だと、とてもアンバランスで不気味なものに思えた。
「カッツェ神父、何故こんな事をしたんです?」
「愚問ですね。私は勇者派の神父ですよ? 勇者様を不当に追放した王族は女神の敵にも等しいのです。
それを排除しようとするのは、当然の事では?」
私の質問を、神父は涼やかに受け流す。
その返答内容については、特に不思議には思わない。尋ねずとも薄々分かる内容だ。元々、ケノラナの教会で話していた時から、狂信の気はあった。
今はただ、時間を稼がないと。戦闘に乏しく、もう魔力が残っていない私でも、口で神父の気を逸らす事はできる。
だって、先輩が団員証を城の中へ捨てたのは、おそらく────
「……勇者エルヴィンが国外追放された理由は、女王陛下の兄君を殺めたからと伺いましたが」
「ええ、譲るべき王座を譲らなかった不届き者には、死を与えられて当然でしょう?
元々勇者様が救わなければ滅びてたやもしれぬ国です。大人しく国を譲るのが筋と言うものでは?
ねぇ───エルフリーデ女王陛下?」
神父のその言葉に、騎士達が騒然とした。
無理もない。彼等の認識では、あの女性は女王陛下の専属侍女サリーであり、女王陛下本人では無いのだから。
「っ……、…………尋ねたい、ことが、あります………カッツェ神父」
首に食い込む指を引きはがそうと抗いながら、エルフリーデ女王陛下は神父をまっすぐに見据える。
「私が、女王陛下本人と、して。私をどうする、つもりです、か…………」
「勿論、我らが勇者様の無念を晴らすべく、そのお命を頂くつもりですが」
「では……私を殺したと、して……。どうやって、国を納める、つもりです、か…………。
市民による、革命は……例え事を成せたと、しても……波及を恐れる、周辺国が、侵攻してくる可能性が、高い、です…………」
……先程、夕食時にノワール先輩から教えてもらった。
別の王子や王弟の息子など、正統な後継者を立てて起こしたクーデターなら兎も角、市民の熱狂によって成された革命は、後の国家運営でほぼ必ずと言っていい程にコケる、と。
彼らはあくまで発起しただけの民であり、政治の専門家ではない。そんな者達では何処かしらで不備が生じるだろうし───もし奇跡的に国を上手く治める事が出来ても、他国との関係性が綻ぶ可能性が高い。
周辺国の王からすれば、革命なんて考えを自国に入れたくは無いからだ。
前述した『王家の血を継ぐ正統な後継者』がいるのなら、何の問題は無い。ただの継承権争い、規模が大きくなった御家騒動のようなもので、どの国でも似たような諍いは起こり得る。
だが、そのような後継者が立てられていない、徹頭徹尾市民の力のみで行われた革命であった場合、王達はこれを忌避する。
不満があった時に正規の手段を取らずとも、安易に暴力に走れば自分達の意見を押し通せる……なんて前例を知ってしまえば、それに倣う者が出て来てしまうからだ。
その為、隣国で市民革命が置きた場合、周辺の王達はその国と距離を取る。良くて国交断絶、最悪の場合は周りの国々が協力して、革命でボロボロになった国へ攻め込む可能性も十分あり得るだろう。
ただでさえ、ヴィゴーレ国は数百年前に聖女を追放し魔物が大量発生する要因になったという負い目がある。
現在はエルフリーデ女王陛下が上手く立ち回っている為か、周辺国と小戦状態にならず魔物大量発生に集中できているようだが……
そんな状態で、女王陛下が死んだ。しかも革命を起こした市民の手によってとなると、周辺国がヴィゴーレ国へ合法的に軍を出す理由が出来てしまう。
例えば、『大量発生した魔物達が我が国に影響を及ぼさないよう、事前に討伐する為』とか。『我が国と親交深いエルフリーデ女王陛下の仇を討つ為』とか。
「はは、何を言い出すかと思えば。この手に握られた剣をご覧なさい。私が聖剣を振るっている事実こそ、この行いが女神の思し召しである証左。
そう!我こそが女神ベローナの代弁者!そんな我々に刃向かう者こそ異端者として切り捨ててしまえばよろしい!!」
「……っ、隣国の女神信仰は……、我が国とは少し、毛色が違い、ます…………。この国の都合は、通じません、よ…………」
ヴィゴーレ国では主神として崇められている女神ベローナだが、隣国ではとある神の妹神とされており、主に崇められているのは兄神の方だ。
勿論、主神の妹としてある程度の信仰はあるだろうが、兄神と比べれば流石に劣る。神父の言い分が他国に通じるかは、正直微妙だろう。
「ええ、もし各国の王がそれでも戦を仕掛けるというのなら、それに応じるまでです。
その為に────我々は聖剣の儀にて、仲間を募ってきたのですから」
神父のその言葉に、私の脳内でパチリ、と。パズルのピースが噛み合ったような感覚がした。
聖剣の儀。女神ベローナから授かった剣をわざと圧し折り、聖剣の効果にて修復する事で、女神の威光を知らしめる為の典礼。
……ああ、ずっと頭の片隅に引っ掛かってたんだ。折られた剣、その剣先は一体どうするんだろうって。
儀式の様子から、鍔の宝石が神力の源であるだろう事は薄々察する事ができた。私はてっきり、そこから切り離された剣先は力を失うものだとばかり思っていたけど。
もし、折られた剣の先端にも、ある程度の神力が残存するのだとしたら────
──ああ、それなら彼等がたった数時間でケノラナの街から王都へ移動したのも説明がつく。
熱狂的な勇者のファンであるビアンカ様曰く、聖剣の能力のひとつに『勇者と共に戦う者達へ力を与える』があるという。
これはつまり、味方に対して強化魔法を掛けるという意味だろう。
神父達はきっと、聖剣の儀で大量生産した聖剣の刃先を使って、バフを重ね掛けしたんだ。
聖剣の儀は四、五年前から週に一回、決められた曜日に行われていると言っていた。一カ月に四回行われたとして、十二×四で一年で四十八回。仮に四年間行われてたとして、四十八×四で…………約二百近い聖剣の刃先が生産された事になる。
それだけバフを重ね掛けしたなら、私達が馬型埴輪に乗って数日を要した魔の森を、数時間で踏破したのも納得できる。
「……成る程、そういう事ですか」
どうやら先輩も、私と同じ結論に行き着いたらしい。怒りも呆れも通り越した声が、彼の口から溢れた。
「意図的な聖剣の複製とは、神父のくせに随分と罰当りな事をしましたね」
「罰当り、とは不可思議な事をおっしゃる。我々が聖剣の儀を初めて数年、聖剣の輝きが失われる事も、女神からの天罰が下された事も無いのですよ?
つまり女神が我らの行動を是として下さっているのです。我々勇者派は──」
「それはとんだ思い上がりでごじゃいましゅよ、カッツェ神父」
段々と熱を増していく神父に、冷や水を浴びせるような言葉が響いた。ヤツフサだ。
「……誰かと思えば、教会に来たボウヤか。君に何が分かると言うんだい?」
「少なくとも、貴方よりかは現状を把握してるかと思われましゅ。我が主は、ヒノモトの初代天皇に自身の刀を貸し与えた剣の神でも在らせられましゅれば。
私もその眷属たる存在故、聖剣神剣の類であればある程度は精通しておりましゅ」
ヤツフサはいつも通りの舌足らずな丁寧な口調で、けれど普段とは全く違う圧を滲ませながら神父を、その手に握られた剣をじっと見据えている。
「見た所、その剣には使用者を限定する制限が掛けられていないように見受けられましゅ。
血統、加護、魔力の性質、精神の清らかさ等々、聖剣によくある鍵が一切掛かってはおりませぬ。……要するに、誰にでも使えるのでしゅよ、その剣は」
聖剣が授けられた時の話を聞くに、緊急事態だったが故、ベローナ殿はあえて制限を掛けなかったのでしょうが……とヤツフサの口から溜め息が溢れる。
まさか、ここまで愚かな人間がいたとは、と。嘆かわしいと言わんばかりに、かの軍神の眷属はかぶりを振った。
「…………」
ひくり、とカッツェ神父の口元が引きつった。
ヤツフサの言葉の意味を、理解したか否かは分からない。ただ、その仕草から馬鹿にされたと受け取ったのだろう。
「だが、実際に女神は我々の行動を咎めてはいないだろう? ここ数年間、何の天罰も下らなかったのだから」
「神の尺度が人間と同じと考えてはなりませぬ。人の一年は神の一ヶ月……もっと高位の神ならば一日や一時間、果ては一分に感じる事も御座いましょう。天罰を下さないのではなく、ただ貴方の狼藉がまだ気付かれていないだけ。
今の貴方は、家主の留守中に拝借した道具を勝手に使っているだけの盗人と同じでしゅ」
「っ、この…………!」
逆上した神父が、ヤツフサを切り捨てる為に剣を振り上げた。その瞬間
「っ……!!」
不意に上空から降下してきた人影が、カッツェ神父へ襲撃した。




