第3話 明日に向かって「くっ殺せ!」と叫べ
案内されたのは、静まり返った白い部屋だった。
隅々まで清潔に整えられ真四角な部屋の隅には、大きな木の鉢植えが置いてある。中央にはガラスの長テーブルが置かれ、それを挟むように、落ち着いた黄緑色の布ソファ2台が並べられていた。
窓の外からは白い光が差し込み、部屋の中を明るく照らしている。拷問部屋のイメージとは真逆だが、ここで油断させておいて、ギャップで地獄へ叩きこもうという策なのか? 異界の拷問官、恐るべし……!
私はふかふかのソファに腰を掛けつつも、全身の筋肉を緊張させて警戒を怠らない。
腰掛けた私の前で、神城は温かい飲み物を差し出した。
「さあ、エルザさん。ゆっくり飲んで心を落ち着かせてください」
「ふん、毒など効かんぞ……む!? な、何だこの甘く芳醇な香りのする黒い液体は……!」
「ココアですよ」
「こ、ココア……!? 異界の洗脳薬か……! うぐぐ……甘い! 美味しい! 脳にしみわたる……っ!」
あまりの美味さに、ついつい飲み込んでしまう。
くっ、まんまと異界の美味に屈してしまった……!
だが、神城は笑うどころか、その美しい双眸に深い哀れみの色を浮かべて、真剣に私を見つめていた。
「エルザさん。落ち着いて聞いてほしい」
「何だ……記憶消去の宣告か?」
「いいえ。君が『グランベル王国』や『魔王軍』だと思っているものはすべて、君の心が現実の苦痛から身を守るために創り出した幻想……いわば『おとぎ話』なんです」
「……は?」
神城は優しく頷くと、机の上の薄い板を操作し、そこに映し出されるものを私に見せた。さらに壁の巨大な黒い板にも、生き写しのような人々の営みや生活が投影されていく。
――それは私の知らないこの世界の現実と日常だった。
「見てください。これが私たちの、あなたが生きている世界です。ここには君を脅かす魔王軍も、君を捕縛して拷問にかけるような敵も存在しません。この国は戦争のない、とても平和な場所なんですよ」
「……あ」
薄々は感づいていた。魔力がなく、奇妙な鉄のハコが走り、異様な建物が立ち並ぶこの「異界」。
だが、私はここを「落雷の衝撃で飛ばされた未知の魔界か辺境の国」で、ここまで全く違う理を持つ世界だとは信じたくなかったのだ。
だが、提示された道具が示している現実は――平和な異世界。
つまり……神代のいうとおり、私を脅かす敵など何処にもいなかった。
オークもいなければ、仲間の騎士団さえもいない。
……えーと、つまり、私は――平和な街の路上で、一人で大剣を抜刀しようとし、親切な兵卒に「辱めるつもりなら殺せ!」と絶叫していただけの……頭のオカシイ、痛い女……!?
「く……っ!」
顔がカァァァっと熱くなる。
鎧が擦れる音よりも大きく、私の心が羞恥の悲鳴をあげた。
「くっ……殺せぇぇぇぇえええええええっ!!!!」
「あ、また強い現実逃避の拒絶反応が」
「殺してくれ! 頼む、今すぐ絞め殺してくれ!! 恥ずかしすぎて死ぬ!! 私はただのバカ女じゃないかぁぁぁ!!!!」
「大丈夫、怖くありませんよ! 自我の崩壊を恐れないで! 君がどんな深い闇の中にいようと、私が絶対に現実へ引き戻してみせますからね!」
頭を抱えてソファの上で悶絶する私を、神城は職業的使命感に満ちた瞳で、力強く抱きしめんばかりになだめてくれた。
ち、違う! 病気じゃない! 自分の恥ずかしすぎる愚行に悶絶しているだけだーっ!
◇
数十分後。
ようやく平静を取り戻した私は、深々と頭を下げていた。
「……申し訳なかった、神城殿。私の無知と勘違いにより、多大なご迷惑を……」
「いいんですよ、エルザさん。自分の妄想と向き合うのはとてもエネルギーが要ることです。よく頑張りましたね」
神代の目が完全に「重症患者を温かく見守る医師」のそれである。
違う、私は本当に異世界から来たんだと言おうとしたが……そのくだりを繰り返すには、私はいささか疲れ過ぎていた。
「……ところで、これからどうするつもりですか? 身元は不明、記憶はすべて妄想によるもの。現時点では、この先の手掛かりもないのでは?」
「う……それは……」
言葉に詰まる。
異世界だと分かったものの、お金もない、家もない、元の世界に戻る方法も分からない。
私が言葉を失い押し黙っていると、神城はカルテにサラサラとメモを書き込みながら言った。
「良かったら、ここでしばらく暮らしませんか? 君の妄想症が完全に寛解し、社会復帰できるその日まで、私が身元引受人になりましょう」
「な、なに……!?」
「もちろんタダで居候させるわけではありません。私のクリニックで『患者の心の痛みがわかる助手』として働いてもらいます。私の元で規則正しい生活を送ることで、早期の回復にも繋がるかもしれません」
「じょ、助手だと……!? 貴様、私を病人扱いしたうえ、妾にするつもりか……!」
「さあ、まずはその重い『妄想の鎧』を脱いで、患者さんを脅かさない服に着替えましょう。それが、治療の第一歩です」
「ふ、服を脱げだと……!? さっそく、私にそのような辱めを――くっ殺せ!」
「殺しません。それに脱いでほしいのは鎧です。さあ、着替えでも買いに行きましょう」
◇
それから数週間後。
「神城! 本日の予約患者のカルテ整理、完了したぞ!」
「ありがとう、エルザちゃん。今日も心が落ち着いているね、偉いぞ」
「む……子供扱いするな! 私は誇り高き……いや、何でもない……」
現在の私は、白シャツにロングスカートという清楚な助手スタイルで、神城メンタルクリニックの受付に立っている。
患者たちからは「ちょっと言葉遣いが独特だけど、すごく凛々しくて可愛い助手さん」と概ね好評だ。
たまに患者さんが錯乱して暴れそうになっても、私が「落ち着け!」と圧倒的な威圧感と腕力で取り押さえるため、セキュリティ面でも重宝されている。
神城は未だに私を「重度の妄想から少しずつ回復している患者」だと思っており、毎日欠かさず問診をしてくる。
(……ふっ。この男、どこまでも勘違いしおって。だが……)
「エルザちゃん、今日の夕飯は何が食べたい?」
「む! 神城殿の手料理か! では……あの『鳥の足』という肉料理を望む! できれば『親』で!」
「はいはい、『鳥の足』ね。エルザちゃん、本当好きだなぁ」
「なに、あの野趣溢れる肉料理を食べていると、騎士団で野営していた日々を……」
言いかけて、また神城に訳の分からない薬を盛られては叶わぬと口をつぐんだ。元の世界に戻る方法はサッパリ分からないが、やたら料理の腕が経つ、顔立ちの良い優男のもとで、助手として働く日々。
……うん。案外、悪くない異世界生活だ。
「エルザちゃん、ぼーっとしてどうしたの?」
「あ、いや! 何でもない! ……この平和に慣れ親しんでしまうとは、騎士としてあるまじき軟弱さ……。くっ殺せ!」
「あはは、『くっ殺せ』の症状も、だいぶ愛嬌が伴ってきたね。早く行くよー」
「あ、待ってくれ神城殿ー!」
私の異世界での「くっころ」な助手生活は、まだまだ続きそうである。
(おわり)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
前作に引き続き、女性主人公&ローファンタジーものの三話完結短編でしたが、今作は、よりバカさ加減にエッジが効いたお話になったと思います。
よもや万人受けする作品とは思いませんが、どなた様かのハートにスマッシュヒットしたなら感無量です。
もし「笑えた!」「くっころ騎士の新形態!」と思っていただけましたら、画面下の**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】**にして応援していただけると、今後の執筆の励みになります!
ブックマークもぜひよろしくお願いいたします!
さて、そろそろ長編のアイデアがむくむくと湧いてきたので、しばらくなりを潜めることになると思います。わりとシリアスな、ハイファンタジーの恋愛ものを構想中です。ご興味のある方は、気長にお待ちいただければ幸いです。




