第6話 学校という名前
査察団が去ってから三日。
領政庁の空気は、落ち着いたようでいて、どこか張りつめたままだった。夜学は続いている。だが、それが「実験」ではなく、「前例」になったことを、誰もが感じ取っていた。
「坊ちゃま」
朝の執務室で、フローラが書類を差し出す。
「夜学についての要望です」
「要望?」
目を通して、すぐに理解した。
――昼間にも開いてほしい
――子供を通わせたい
――雨の日でも使える場所がほしい
文字は拙い。だが、はっきりとした意思があった。
「……増えましたね」
「はい。夜学に来ていない者からも」
夜学が、“特別な場所”になり始めている。
それは良い兆候でもあり、危険な兆候でもあった。
昼。
父の執務室で、改めて話をする。
「夜学を、このまま続けるつもりか」
「はい。ただし……形を変えるべきだと思います」
「形?」
俺は、準備していた案を机に広げた。
「常設の学び舎を作ります」
「夜だけでなく、昼にも」
「子供を中心に、大人は補助的に」
父は、黙って聞いている。
「名前も、変えましょう」
「夜学、ではなく――」
そこで、少しだけ言葉を選んだ。
「学校です」
その単語が落ちた瞬間、空気が変わった。
「……重い名前だな」
「はい」
夜学は、実験で済む。
だが“学校”は、制度だ。
「反発が増えるぞ」
「分かっています」
「貴族の子も、通わせるのか」
「希望があれば。条件付きで」
父の眉が、わずかに動いた。
「……条件とは?」
「身分を理由に、特別扱いはしません」
「学ぶ内容も、評価も、同じです」
一瞬の沈黙。
「平民と、同じ席に座らせると?」
「はい」
それは、夜学以上に秩序を揺るがす。
父は、椅子に深く腰掛け、天井を見上げた。
「……敵を、増やすな」
「承知しています」
「だが」
視線が戻る。
「増やさねば、変わらんこともある」
その言葉で、決まった。
場所は、使われていない倉庫を改装することになった。
机と椅子は、夜学の生徒たちが手伝って作る。
その作業の最中、噂はあっという間に広がった。
「学校ができるらしい」
「貴族の子も来るって本当か」
「字を知らないと、入れないんだと」
最後の噂に、俺は苦笑した。
初日。
倉庫だった建物に、簡素な看板が掛けられた。
『アルヴェイン領 学校』
集まった子供は、十数人。
服装も、立ち居振る舞いも、ばらばらだ。
その中に、一人だけ、明らかに場違いな少年がいた。
仕立ての良い服。
背筋を伸ばし、周囲を値踏みする視線。
「……セシル・グランツだ」
彼は名乗りもせず、そう言った。
「父に言われて来た」
「時間の無駄なら、すぐ帰る」
年齢は、俺とそう変わらない。
だが、その目には、はっきりとした軽蔑があった。
「歓迎します、セシル」
「席は、自由です」
彼は周囲を見回し、一番端の席に座った。
隣にいるのは、農民の子だ。
露骨に顔をしかめる。
「……本気か?」
「本気です」
俺は、黒板代わりの板の前に立った。
「ここでは、身分は関係ありません」
「できるか、できないかだけです」
ざわめき。
セシルが、手を挙げた。
「質問がある」
「どうぞ」
「できなかったら?」
「教えます」
「それでも、できなかったら?」
俺は、少しだけ考えてから答えた。
「そのときは、できるまで考えます」
セシルは鼻で笑った。
「……甘いな」
「そうかもしれません」
だが、続けた。
「ですが、ここは“選別”の場ではない」
「育てる場です」
その言葉に、反応したのは、セシルではなかった。
後ろの席で、小さく手が挙がる。
「……あの」
農民の子だ。
「できるようになったら……」
「俺も、何かになれますか?」
一瞬、教室が静まった。
俺は、はっきりとうなずいた。
「なれます」
「ただし、努力は必要です」
その答えに、セシルが小さく舌打ちした。
だが。
彼の視線は、もう軽蔑だけではなかった。
学校は、始まった。
それは夜学よりも、ずっと大きく、ずっと危うい一歩だった。
――学ぶ場が常設されたという事実は、
もう誰にも、無視できない。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




