人語を話す化け猫
月も森も、何も無い闇である。
自分の手さえ見えない漆黒なのだ。
空気も存在しないかのように風も無い。
やがて前方にぼうっと青白く揺らぐ炎が灯ると、それが異形に変化してゆく――
鬼らしきものがそこに居るようである。
その鬼であろうものがゆらっとアイダの前まで歩いて来た。黑い色をしているから闇に溶けている。人のような肢体であるが人でなく、鬼のようで鬼でもない。薄笑いを浮かべたような気がしたが、その表情はよく見えない。
「また会ったな」
前回の事件では強烈な印象をアイダに与えていた鬼神である。その鬼神が言葉を発すると、やはりわずかに血の匂いが流れて来る。
精霊界や人界などは互いに遠く離れているというのではない。横を向けば、後ろを向けば、すぐ傍にその世界が存在している。つまり人界でいうところの同じ空間に別な世界が共存しているような感じなのである。子供が突然消える神隠しは、何らかのきっかけで人界から他の界に入ってしまったからであり、遠い場所に行ってしまったのではない。皮肉なことに親が探し回っている直ぐ傍に居るのだ。
物の怪などは人界にやって来ては人々を驚かし、また元居た界に去って行く存在である。そして鬼神にも精霊界や人界と同じような界が存在するのである。
「村人が言う妖物とは、また貴方の事なのですか」
そう問いかける虹の精霊アイダを鬼神が見つめている。
人界と精霊界とは薄皮一枚隔てた世界であるが、その両者の間に鬼神界がふっと靄のように現れているのである。人間には見えないが、アイダのような精霊界の者らには感じられる世界だ。
「儂ではないぞ」
するとアイダの背後から巨漢が前に出て来る。
「何が儂ではないだ、アイダ、騙されるな。村人を襲う妖物ってのはまた此奴の仕業に決まってる。こりゃあ探す手間が省けたってもんだ。今ここでやっちまおうぜ」
ゴリラのトゥパックは早くも剣を抜き身構えた。新たな妖物の事件解決を頼まれて、とある村にやって来たアイダたち、妖物を探そうとするより先に鬼神が現れた。
「トゥパック、落ち着きなさい」
「待てトゥパック」
ジャガーのワイナからも諌めされ、トゥパックは渋々剣を下ろしながらも鬼神に詰め寄る。
「じゃあ何で現れたんだよ」
「儂も暇なのでな」
「なに!」
「はっはっはっ、まあそういきり立つな」
更なる冒険の旅を始めていたアイダたちは、何の前触れもなく再び現れた鬼神を前にしている。
虹の精霊アイダ、
ジャガーのワイナ、
ゴリラのトゥパック、
沼の主から遣わされた助っ人、キイロアナコンダ、
風の悪魔少女レイラ、
おれも年老いたと言いながら付いて来るドラゴン・バーブガン、
犬の精霊ノラ、
魔法使いの老婆から後を託され、トゥパックを御主人様と呼ぶ事になったカラス、
そして最後は、陰ながらレイラに付いて行く守護天使セラムの面々が鬼神の前に並んでいる。
「お前たちがあの妖物をどう料理するか見物させてもらおうと思ってな」
「この野郎」
トゥパックが再び剣を振り上げ、
「トゥパック!」
アイダの制止も聞かずトゥパックが剛剣を鬼神の頭上に振り下ろすと、
「はっはっはっ」
瞬時に消えてしまった鬼神の笑い声が、再び漆黒となった闇に響く、
「彼奴はお前たちにとっても厄介な妖物だ。どうてこずるか楽しませてもらう事にしよう。はっはっはっ」
アイダたちは山間の村に来ている。谷間を流れ下るさわやかな風が皆の頬をやさしくなで、これから起こるであろう事件の予感を一時忘れさせる。
「ここは昔乞食村と呼ばれている集落が有った場所です」
アイダたちに妖物の退治を頼んできた村の長が話している。
「ある時大洪水が起こり、流されたこの村の住人は全滅してしまったんです」
その村の跡地でもあった裏山の斜面にひっそりとたたずむ苔むした地蔵が、朽ち果てた倒木に押しつぶされ横たわっている。
「それと今村人を悩ませている妖物とは何か関係があるのか」
トゥパックの疑問に、下を向く村の長は何か言い淀んでいる。
「実はその洪水で助かった者が一人いて……」
洪水でただ一人助かったという者は、子猫を抱いた少女であった。ずぶぬれで泥だらけの少女は猫と一緒に助けを求めてきた。だがもともと乞食村と蔑んできた村の住人である。誰も相手にしないどころか、悪ガキどもが石を投げつけ、ついには殺して猫の死骸もろとも川に投げ込んでしまったのだ。
その後悪ガキどもから話を聞いた村人は、さすがに祟りを恐れて地蔵を祭ったのであった。
「それで妖物は――」
「毎年川が濁流となる季節に現れるようになったのです……」
「では今がその季節というわけね」
「そうです」
その妖物は村人を惑わせて家から誘い出し、濁流に突き落としてしまうのだとか。皆おびえて神仏に祈るばかりだと、村の長は嘆く。




