第三百六十話 レイチェルの家と古代エルフの話
孤島でありながらもフスクスは賑わっていた。温泉街と言っていたが、これらの人々は観光客なのだろうか。
「そうじゃな。ランブルセンから定期船が出ておる。富裕層は氷雪期の間はこの島へ避寒に訪れることが多い。ワシが宮廷魔術師をやってる首都ソル・ソレイユからも多くの貴族諸侯が来ておるのう……」
ま、引退して隠居した人間ばかりじゃがな、と付け加えるレイチェル。勿論、島民も多く住んでいるだろうけれど、この人並みの中に貴族が混じっていると思うとちょっと緊張する。一般冒険者である僕はお偉いさんが苦手だ。
しかし言われてから観察してみると、確かに貴族らしい人間は多かった。大体の貴族らしき人間は護衛や召使いを連れていたからだ。あのお爺さんの隣に居る剣を下げた男は、どう見ても息子には見えないしな。
そんな人並みに逆らうように進むレイチェルを見失わないように追い掛けつつ、町並みを観察する。やはり赤屋根温泉街だけあって赤レンガの建物が目立つ。昔見た港町の倉庫とかを思い出す光景だ。こういう赤レンガの家というのは一種の憧れのようなものがあるなぁ。
「その路地へ入るぞ」
レイチェルの声にそちらに目を向ける。見た感じ、宿と宿の間の道のようだ。温泉街だから宿が多いが、此処は特に多く感じる。温泉街の宿場町、みたいな場所なのだろうか。
人の流れをすいすいと避けて入った路地の排水口や、左右の建物の空いた窓からは湯気が立ち上り、微かに湿度を含んだ空気で若干蒸し暑い。源泉はこの辺りまでずっと流れてるらしい。
こうなると宿が多くても湯質や効能に差がなくなってくるな……となるとサービスの差で勝負となるのか。
泊まる予定のない宿への思いを馳せながら抜けた路地の先はやはりというか、当然というか、赤レンガの建物が並んでいた。先程見た宿のような窓の多い建物が多い。
ふと、気付いた。ひょっとしてこれは集合住宅か?
「マンション?」
「そんな大層なもんでもないのう……ま、似たようなもんじゃ」
「何だ、それは」
ダニエラには馴染みのない言葉だった。どうもレイチェルと居るとあっちの単語が出てきてしまう。もっとダニエラを気遣わないと。
「集合住宅って言うのかな。それのあっちでの名称」
「あぁ、なるほど。レンガは丈夫だからな。一度に沢山部屋を用意しても住めるのか」
木とかも使ってるとは思うが。木造よりは丈夫な気がする。だって三番目の弟の家は壊れなかったし。ふむ、そう考えると面白いな。狼を完封したレンガの家に神狼が住んでるのか。やはり子豚は所詮、子豚ということだな。
レイチェルは最初に見た集合住宅の一つ隣の建物へと入っていった。見た感じでは此方の方が少し意匠が凝っている気がする。建物の角や、入り口の縁に白いレンガを使ってアクセントがあり、可愛らしい。窓もしっかりしてるし、きっと家賃も高いだろう。
「ほれ、見上げとらんで早う入らんか」
言われてダニエラと二人で見上げていたことに若干の照れ臭さを覚えながら、手招きするレイチェルの元へ並んで駆け寄った。
□ □ □ □
建物の側面に備え付けられた階段を登り、最上階の3階へ行く。手前から301号室で、部屋数は全部で3つのようだ。あまり部屋数は多くないみたいだけど、建物の耐久性とかそういうのが関係しているのだろうか。
「ワシの家は303じゃ」
「神狼でもアパート暮らしなんだな」
「郷に入っては郷に従え、と言うじゃろう」
「まぁ言うけどさ」
何となく庶民的で威厳が無いというか、何というか。ま、レハティも居るし人里暮らしは当たり前か。神狼だからと言って山奥に住まれたらレハティが可哀想だ。
レイチェルが部屋の鍵を開けて入っていくのでお邪魔しようとすると手で止められた。
「ちょっと待っとれ。レハティに伝えておらんかったし、片付けもまだじゃ」
「うん、分かった」
まぁいきなりのお宅訪問だし、仕方ない。同居人も居ることだし。それにレイチェルは次元魔法の使い手だし片付けもそんなに時間が掛かることもないだろう。心配なのはレハティの許可が降りるかどうかだ。
此処まで来てアレだが、レハティは人見知りさんだ。僕やダニエラに対しては結構慣れてきた感じはあるが、暫く会ってないしな……それに愛の巣に他人を招き入れるのを良しとしないかもしれない。もしかしたらこのまま門前払いをされるかも……。
なんて、そんな不安は全くの杞憂だった。再び扉が開き、僕達を招き入れたのはレハティだった。
「お久しぶりです、アサギさん。ダニエラさん。どうぞ入ってください」
「久しぶりだな、レハティ。元気そうだ」
「久しぶり。じゃあお邪魔します」
招かれ、玄関に入ると日本式だった。靴を脱ぐとダニエラも習って靴を脱ぐ。
「キャスパリーグでもそうだったが、この靴を脱いで家に入るという文化に慣れないとな」
「あんまりある文化じゃないけどね」
「靴を脱いで歩く感覚も新鮮で気持ち良いから私は好きだ」
この様子ならダニエラが日本にやって来てもすぐに住めそうだ。……まぁ、そんな事はありえないのだが。
玄関を抜けると少し廊下があり、幾つかの扉がある。トイレとか、浴室かな。確かレイチェルが源泉掛け流しって自慢してたけど、こんなアパートでも源泉が流れてきてるのだろうか。ポンプ的な物があるのかな。異世界ライフラインは分からないな。魔道具の使い方なら分かるが。
レハティは真っ直ぐに奥の部屋に行くので付いていくと、レイチェルがコップの乗ったお盆を持ってテーブルの方へ行くのが見えた。
「まぁとりあえず座れ。色々あって大変じゃったろうし、ゆっくりしていくがよい」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて……」
椅子に座り、出されたコップの中身を啜る。旨い……お茶だこれ。
「緑茶なんて久しぶりに飲んだ」
「紅茶があるから、探せばあるじゃろうに」
「意外とないんだよな……」
市場は結構見たけど意外にも緑茶は見当たらなかった。多分、そういう文化が根付いてないのだろう。昔の勇者は広めなかったのかな。現地民の口には合わなかったのかもしれないな。
「まぁこれはワシがランブルセンで育てた茶の木から摘んで自分で作った物じゃから、市場には出回らんじゃろな」
「へぇ……何でも出来るんだな」
「何でもは出来ん。出来ることだけじゃ」
なるほどね……。それにしても旨いな。やっぱり日本人たるもの、お茶飲まないと駄目だな。
ふと隣に座るダニエラを横目で見るが、結構普通に飲んでいた。渋めのお茶だが飲めるクチなのかな。
「……この紅茶とは違うお茶も旨いな。気に入った」
「ほう、エルフの口に合うならワシも頑張った甲斐があるというものじゃ。ほれ、もっと飲め」
気分を良くしたレイチェルがダニエラのコップにお茶を淹れるのを見ながらゆっくりと飲む。僕の正面にはレハティが座っていて、レイチェルとダニエラの様子を微笑みながら眺めていた。
「でも本当に元気そうで良かった。あれからどうしてたの?」
「レイチェルさんと一緒に此処に住んでます。お掃除したり、お買い物したり、お昼寝したり、温泉に入ったり、とても楽しいです」
「満喫してるなぁ」
ずっと来たかった場所だし、それもそうか。レイチェルも一緒だし、考えてみれば当然だ。僕やダニエラも根無し草ではなく、一つの場所に腰を落ち着けるのも良いかもしれないと、二人を見ていると思ってしまう。
しかしそれはまだまだ先の話だ。僕達はやるべきことがあるのだから。
「そうそう。お前達の今の旅の目的を聞いておらんかったな」
「元々旅の目的ってのはなかったんだけど、今はある」
「あぁ、ノヴァという古代エルフの魔道具の暴走を止める旅をしている」
「ふむ……あの時の話じゃな」
レイチェルはレゼレントリブルの地下で古代エルフが作った自立思考型魔道具『ノヴァ』が異世界から人間を召喚している事を知っている。レイチェルもその場に居たからだ。
しかしその後の、ニセユグドラの地下廃都市エスタロスタや、樹海深奥の遺跡ウルベサルトスでの話は知らないはずだ。
エスタロスタでは鍵の存在とその在処。ウルベサルトスでは第三の鍵とノヴァの行った神界接続実験《リンカネーション》の内容とそれがもたらした、悲しい結果。
それを僕はレイチェルに話して聞かせた。
「神界接続、のう……神降ろしとは、業の深い……」
「神なんて本当に居るのか?」
「神界の存在は過去の文献や古代エルフの遺跡から情報が発見されておる。少ないがの」
どうやら神様は存在しているらしい。
「かつて、この世界をエルフ族が管理していた事は知っとるじゃろう?」
「あぁ。1000年も前の話だ」
「そうじゃ。では何故、今の時代は人間が増え、エルフが少ない?」
「それは……何故だ?」
「神がエルフ族を滅ぼしたからじゃ」
レイチェルの言葉にダニエラが固まった。
「それって事実なのか?」
「あぁ。王国の禁忌書庫で何度も読み返した。ほぼほぼ事実で間違いない」
王国の禁忌書庫と言えば、フィラルドのマクベスさんが管理していた図書館の……。其処にこんな重要な話があったとは。
「まぁ完全に滅んだ訳ではない。いや、古代エルフ自体は全て居なくなったがの」
「どういう意味だ?」
「お前じゃよ、ダニエラ。何故、古代エルフが居ないのにエルフ族が居る?」
「……?」
「神様が作り変えたからじゃよ」
神様は古代エルフを半分滅ぼし、半分を白エルフに作り変えた。それから白エルフは各地に散らばり、それぞれの種族を作った。そして長く生き、新たな血を交えて交配していく内に、色の違うエルフが生まれ始めた。
それらは白エルフの部族から追い出された。白エルフは古代エルフだった矜持から、色違いを受け入れなかった。だから、色違いは同じ色同士で集まることにした。
そうして様々な色のエルフ達が生まれ、育ち、現在に至った。
「……というのがエルフ族の成り立ちじゃ。これは禁忌書庫に納められている『エルフの成り立ち』という本に記録されておる。600年生きた白エルフの手記らしいの」
「それがエルフ族の真実、か……アドラスは知っていたんだろうな」
あの白エルフ至上主義の裏にはこういう理由があったのかもしれない。古代エルフそのものだった誇りが、他色のエルフを下に見る結果になったと。彼奴め、教えてくれたって良いだろうに。
「教えられなかったのだろう」
「えっ?」
「友人となった私達の友人には灰エルフのレモンが居た。そんな私達に自身の汚い部分を見せるか? 折角和解だってしたのに」
「……それもそうか」
アドラスを責めても仕方ない、か。誰だって嫌われるような事は言いたくないしな。それは僕だって同じだ。
「……ま、そんな訳で古代エルフは存在しなくなった。神に近付いた結果、滅ぼされた訳じゃ。……ということは、じゃ。今がどんなに危険な状況か、分かるな?」
「あぁ。人類の危機だな」
魔道具がやったことですごめんなさいとはいかないだろう。多数の色に別れ、人々の生活に混ざり、生きてきたエルフ族が消滅させられたら大パニックだ。
それに、ダニエラだって居なくなってしまうかもしれない。
「ノヴァは神界接続を繰り返し、その失敗の結果、僕や松本君のような異世界の人間を無差別に召喚している。元々はそれを止める為の打倒ノヴァだったが、どんどん話が大きくなってくるな……」
「神は居る。それをこの人界に降ろす事がどれだけ危険な事か……何が起こるのか、ワシにも分からん」
僕もダニエラもレイチェルも腕を組んで唸ってしまう。レハティだけが首を傾げている。
「私には難しい事は分からないですけど……アサギさんやダニエラさんが居なくなってしまうのはとても嫌です。こんな私を助けてくれた。認めてくれた。そんなお二人を失うのはとても……嫌です」
ギュッと祈るように手を握るレハティ。その手をレイチェルが優しく包む。
「お主が心配するような事はない。ワシが丹精込めて作り上げた装備も渡したし、二人共強い。簡単には死なんよ」
「レイチェルさん……えぇ、そうですね。お二人共、とても強いですもんねっ」
ダニエラと二人で頷く。おうとも、僕達は二人で戦い、そして勝ってみせる。
「じゃあそろそろ飯にしようかの。レハティ、頼んでも良いか? こう見えてワシ、結構クタクタ」
「ふふ、見たら分かりますよ。すぐに用意しますね。お二人も食べていってください」
良いのかな。でも遠慮するのもな……。
「頂く」
「即答かい。僕も食べるよ」
「ふふ、ちょっと待っててくださいね」
ダニエラに釣られた訳ではないが、急にお腹が減ってきた。レハティの料理を待つ間、ゆっくりと茶でも飲みますかね……。




