第三百十六話 おやすみ、バイバイ
1階のエントランスの壁際に背を預けて暫く待っていると若い男とフェルズが下りてきた。男は落ち着いているようだが、フェルズは頬が腫れていた。
「よう、フェルズ。良いのをもらったな?」
「アサギ兄ちゃん……でも怒られてスッキリした!」
「ん、次に活かせ」
そんな風にからかい混じりに声を掛ける。男はキョトンとした顔をしてからハッとする。
「もしかしてフェルズを助けてくれた……?」
「はい、申し遅れました。冒険者のアサギと言います。フェルズ君はゴブリンに襲われてました。危ないところでしたが怪我もありません。帰ってくるまでは、ですが……」
腫れた頬に生成した氷を当ててやりながら苦笑交じりに言う。
「この度はナミラ村は勿論、フェルズの事も助けていただきありがとうございました。私は村長代理をさせてもらっています、アイフィスと申します。えっと、そちらの方は……」
「ダニエラだ。よろしく」
僕の隣に立ってフェルズの頭をぐしぐしと撫でるダニエラが短く自己紹介する。コミュニケーション苦手系女子は今もなお健在である。
軽い自己紹介を終えてから、まぁ座って話しましょうということになった。『ついでだから飯でも食べながら話そう』というダニエラの提案で僕達は『肉肉肉肉』へとやってきた。
「さぁ、食うぞ」
「馬鹿野郎か! 落ち着いて話でもって言っただろ、何で肉焼くんだよ!」
「肉が焼けるまでは落ち着けるだろう?」
「火力次第じゃねーか!」
「弱火でじっくりが王道だぞ」
「知らねーよ!」
こと、肉に置いてはダニエラは譲らない。久しぶりの帝都。安心して食べられる食事となればダニエラが此処に来るのは必然だった。気付かなかった僕にも責任は……いやそんな責任はない。
「ま、まぁまぁ。落ち着いてください。俺達も肉大好きですから」
「いやそういう問題じゃ……はぁ、もういいです。分かりました。こうなったら腹一杯食いましょう!」
「やったー!」
ぶん殴られて腫れた頬も冷やしたお陰でだいぶマシになったフェルズが万歳して喜ぶ。アイフィスもアイフィスでもう待ちきれませんって顔だ。この兄弟はまったく……!
「な?」
「な? じゃねーよ……」
ドヤ顔のダニエラ。これがレックスだったら一発入れてた。
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ジュウジュウという音と濛々と立ち上る白煙。肉の匂いが服に付きそうな環境で僕とアイフィスとダニエラは酒にまで手を伸ばし、フェルズは果実水を手に、それはもう盛り上がっていた。
「いやホントあのクエスト名は笑うって!」
「えー、格好良いでしょ! 『ナミラ村解放戦線』! そんで本当に解放してくれたアサギさん達はそれ以上に格好良い!!」
「アッハッハ!!」
意味もなく何度目かの乾杯をアイフィスと交わす。ガツンと打ち付け合う木樽のジョッキから溢れた酒が肉を焼く網の上に振り、蒸発する。
「おいアサギ! 肉の上に酒を溢すな!」
「フランベだフランベ! 香り付けだ!」
「意味の分からない事を言うな!」
酒が入っていつも以上に怒りっぽく、そしていつも以上に肉にご執心なダニエラ。その隣でフェルズはハグハグとひたすら肉を食べている。
「食ってっかー?」
「んぐんぐ……」
「よしよし、男は黙って肉だ! どんどん食え!」
「んぐんぐっ」
噛みながら頷くフェルズの頭をガシガシ撫でる。全員が此処に来た意味を忘れていた。何故こうなったかももう覚えていなかった。ただひたすら僕達は肉と酒を胃に詰めた。期せずしてスタンピード鎮圧の祝賀会をすることになったという事で僕は現実から目を逸らした。
□ □ □ □
何だかよく分からない景色を眺めていた。此処は何処だろうとキョロキョロしていると、突然何者かに体を揺さぶられ、そして突如景色が暗転する。
「んが……」
「アサギ兄ちゃん、起きてってば。お店閉まるよ」
「ふあぁぁ……寝てたか……」
いつの間にか寝落ちしていたらしい。見れば死屍累々と言わんばかりの光景だ。フェルズだけが果実水だったので難を逃れている。
「起きろダニエラー。帰るぞー」
僕の斜向いで机に突っ伏しているダニエラの肩を乱暴に揺らすとビクリと反応してゆっくりと頭を持ち上げる。
「アイフィスも、ほら……」
「むにゃむにゃ……」
背もたれに全身を預けているアイフィスを揺らすも、起きる気配がない。首なんかガックンガックン揺れてるのに、何て奴だ。
「しゃーねーな……アイフィスは僕が背負っていくわ。フェルズとダニエラはしっかり歩けよ」
「頭がガンガンする……」
項垂れているダニエラが亡者の怨嗟のような声で呟く。僕は昔からアルコールが抜けるのが早いから問題ないが、ダニエラは二日酔い確定だろうな。
此処へ連れ込んだのは僕達なので代金は僕が支払った。閉店間際まで居座った迷惑料もプラスしておいたし、まぁダニエラのお陰で常連なので店主も嫌な顔せず送り出してくれた。
「すっかり暗くなったな……」
「アサギ……水……」
「はいよ」
薄い氷のコップに水を注ぐ。全部魔法の産物だ。ダニエラはそれを手に取り、一気に飲み干してからガリガリと氷を噛じる。酒で火照った体には沁みるだろう。
「アサギ兄ちゃんって何でも出来るよね」
「何でもは出来ない。出来る事だけだ」
「ふーん」
よく分からないという顔で適当な相槌を打つフェルズの手を引き、僕達は北区を目指した。
宿泊施設に着き、ハイペリカムさんに小言を言われながら316号室までアイフィスを運ぶ。
「まぁ色々あったけれど、これで僕達は任務完了だ。明日にも村に帰るそうだから、ゆっくり休んどけ」
「うん、じゃあアサギ兄ちゃんとダニエラ姉とはこれでお別れ?」
「そうなるな……」
いきなりのお別れだ。フェルズは顔を伏せる。
「元気でな。兄ちゃんの言うこと聞いて、強くなるんだぞ。これから村を守っていくのはフェルズなんだから」
「うん……分かった」
「気負いすぎるな。出来ることだけをやるんだ」
「ありがとう、ダニエラ姉。俺、頑張るよ!」
ギュッとフェルズがダニエラに抱き着く。ダニエラは愛おしそうに髪を優しく撫でてやっている。僕はその様子を見守っていた。べ、別に僕のダニエラに抱き着きやがってだなんて思ってないんだからね!
「じゃあもう寝るね。またね、アサギ兄ちゃん、ダニエラ姉。村を救ってくれてありがとう!」
「あぁ、助けれられて良かった。おやすみ、フェルズ。またな」
「おやすみ、バイバイ!」
手を振って戸を閉める。これでフェルズとはお別れだ。アイフィスとも。もっと大事な話とかあったはずだったけれど、肉を目の前にした僕達に小難しい話なんて無用だった。肉を食えば皆友達。そういうことだ。
無事に生き残れた。それだけで良かったんだと思う。怪我は多少あったかもしれないけれど、それでも生きてるということは喜ばしいことだ。人は無傷で生きることは出来ないんだし。
今回は本当に沢山の出来事があってとても大変だった。けれど、悪いことばかりじゃなかったし、悪いことも僕の経験となる。今後また似たような出来事が起きた時はもっと上手く立ち回れるはずだ。
「帰るか」
「あぁ」
フェルズの前ではキリッとしていたダニエラも、今は目をしょぼしょぼさせている。
「なぁダニエラ」
「なんだアサギ」
「ほら、宿まで背負ってやる」
「ほう……殊勝な心掛けだな。背負わせてやろう」
「めっちゃ偉そうだな……」
「冗談だ」
ダニエラの前でしゃがんでやると背中に温かい体温と程よい重さ。アイフィスとは違った感覚だ。ダニエラの柔らかさとか匂いとか。主に酒の匂いだけど、何処か甘い香りがするのは白エルフだからだろうか。
「アサギ」
「ん?」
「私達も近い内に出ることになる。ノヴァへの手掛かりを得たしな」
「だな……」
ダニエラの言葉は予想していた。かなり長い間滞在しただけに離れるのは寂しい。
でも立ち止まる訳にはいかない。しっかり準備をして、ちゃんと別れを済ませて、次へと旅立つのが僕達だ。
まだまだ帝都の夜は賑やかだ。そんな喧騒の中、僕達は宿へと歩いていった。




