第二百八十七話 夜勤は終わり、日勤へと戻る
「……つまり、私は奴隷だ。汚れた仕事をすることで命を繋いでいる」
「……」
それが彼女、『ドゥヴァ』の事情だった。奴隷というのは、比喩だ。彼女は父が作った多額の借金を貴族に肩代わりされ、父の代わりに支払っている。勿論、父は蒸発した。母は幼い時に亡くなった。彼女に残されたのは借金だけだった。
「これが、私がやりたくもない仕事をしている理由だ。他の皆も同じ理由だ。私が仕える貴族は借金を抱えている人間を選んで買い取っているんだ。分かるか? 私達を不問にしたければ、多額の金貨を支払わないといけない。如何に8大貴族と言えども、意味もなく金貨を出しはしない」
確かにそうだ。いくら事情があるとは言え、不法侵入に窃盗未遂だ。多額の金貨を払って買い取る理由がない。
とは言え、僕も掛け合うと話したからにはカーミラさんに話を通さないといけない。しかし……不安も多い。僕の考えが及ばない展開も、有り得なくもない。その時、僕はどう動くべきか。ダニエラが居たら『そういうとこだぞ』と怒られそうだ。
「まずは話してみる。邸宅の人を呼んでくるから、それまでは大人しくしててくれ」
「分かった。もう抵抗する気力もない。従おう。皆に会わせてくれ」
ドゥヴァのお願いに頷き、拉致した人達のもとへ連れていき、面会させて事情を話させる。その間に僕は邸宅へと行き、執事さんに簡単に事情を話してカーミラさんに会わせてくれとお願いした。執事さんは少し悩んだが、頷いてくれた。
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「事情は把握したわ。これはチャンスね」
「チャンス?」
「その子達を買い取れば、逆に仕掛けることが出来る……そういう意味よ」
「うわぁ……」
恐ろしい事を考える人が居るもんだ……。
「勿論、その貴族がしていることは違法よ。帝都貴族は私設の部隊を持てない。勿論、門番や護衛は別よ。特殊な訓練をした部隊は持てない……これはそういう意味よ」
「でもそれって難しいですよね。門番か特殊部隊かは見ただけじゃ分からない」
「そうでもないわ。その為のステータスカードよ」
「なるほど……」
ステータスカードは嘘をつけない。身に付けた能力はもれなく公開される。
「彼女等を雇い、貴族の家へ送る。情報を盗ませて、没落させてやるわ」
「特殊部隊は違法って……」
「バレなきゃいいのよ、バレなきゃね」
「うわぁ……」
どっちの貴族も、僕にとっては怖い存在だというのがよく分かった。
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「ということだ。君達は今後、カルテラーザ家が面倒を見るそうだ。その為にはこの仕事を完遂させる必要がある。元々君達が居た家へ盗みに入るわけだが、抵抗はあるか?」
「ない。8大貴族に匿ってもらえるならば何も怖いものはないな」
世知辛い世の中を生きてきたドゥヴァは簡単に鞍替えをした。彼女の後ろに居る面々も頷いている。よほど劣悪な環境だったのだろう……僕は今まで町の綺麗なところしか見てこなかったから、こんな裏の場面は見たこともなければ考えたこともなかった。奴隷という比喩は聞いたが……本物の奴隷も、もしかしたら居るかもしれない。いや、居ないと思う方が視野が狭いだろう。
もし、そういう人間を見つけたら僕はどういう対応をするのだろう。見ない事には分からないが、僕は全ての人間を救えるとは思ってない。こっそり、ちょっとだけ、そんな気持ちで手を出すと切りが無いのは分かっている。僕が助けられるのは隣に居る人間だけ。ダニエラだけなのだ。
「此処に居たのね」
ガチャリと守衛所の扉を開けて入ってきたのはカーミラさんだった。
「貴女達が私の新しい優秀な部隊ね。よろしく」
「あ……この度は大変なご無礼を……」
「良い、良い。そんなのはどうでも良いことよ。それより作戦会議をするわよ。私のメイドも連れての作戦だし、今夜中にやるわよ」
カーミラさんがスッと横にずれると後ろからメイド服を着た自動人形が入ってきた。
「これが……」
「カーミラ=ディー=カルテラーザ専属メイド、自動人形『レティクル』です。どうぞよろしくお願いいたします」
レティクルと言えば銃とかに装備するスコープに表示される十字の線だったっけ。狙いを定めるのに役立つものだ。狙いは外さない……そんな意味が込められてるのかもしれない。自動人形だから正確無比だろうしな。まぁこの世界に銃はないけれど。
しかし自動人形に名前か。確かに名は無いと不便だ。僕だったらどんな名前にするだろう……。いや、そんな事より。
「じゃあ彼女等は殺さないと、そういう方向で良いんですよね?」
「えぇ、良いわよ。そして貴方の仕事はこれでお終い。此処からは貴族同士の問題よ」
「分かっています。首を突っ込むつもりはないですよ」
「そう、賢明ね。じゃあ報酬よ。元々捕縛したら倍出すという約束だったけれど、それにボーナスを加えておいたわ。人数分だけね。貴重な資源を確保出来たお礼よ」
「じゃあ有難く貰います」
人を資源扱いするのは引っ掛かるが、まぁ、優秀な手足になれればドゥヴァ達も安泰だろう。執事さんから金貨の詰まった袋を受け取り、守衛所を出ようとしたところでドゥヴァ達に声を掛けられた。
「あの、ありがとう。貴方のお陰で私達は闇から抜け出せた」
「ありがとう!」
「ありがとうな!」
むず痒い。僕は仕事をしただけだ。其処に、ちょっとだけ我儘を加えて……それが偶々、良い方向に向かっただけ。全てはカーミラさんの気分次第だった。
「気にしなくていいよ。誰も死ななくて良かった。元気にやっていけよ」
「あぁ。……そうだ。貴方の名前を聞いていない。教えてはくれないか?」
む……そういえば名乗ってなかったかもしれない。一応、敵だったからな……。しかし改めて名乗るのも気恥ずかしいものがある。でも、それは名乗らない理由にはならないだろう。
「アサギだ。しがない冒険者だよ」
「アサギ……アサギ=カミヤシロ。その名を知らないのはモグリか素人だな」
「はは、そんな大層な人間じゃないよ。じゃあ僕はそろそろ帰るよ。眠くて眠くて……」
受け取った金貨入り袋を肩に担いで守衛所を出た僕は念の為に《気配遮断》を発動させる。守衛所から驚く声が聞こえた。思わずクスクスと笑ってしまうが、実際、凄く眠い。こんなんじゃ夜勤失格だが、もう僕は日勤の男だ。規則正しい生活を営む為に、《神狼の脚》で真っ直ぐ宿へと帰るのだった。
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翌日、というよりも昼頃。いい加減に起きろとダニエラにベッドから蹴り出された僕は欠伸を噛み殺しながら宿を出て町を歩く。際限なく湧き出る欠伸が寝不足を訴えるが、これ以上はダニエラが許してくれない。ならば、腹ごしらえでもするか進路をその辺の食堂へと変える。ふらつく足を交互に動かし、ふわぁと噛み殺すことすら忘れた欠伸を垂れ流す。
「号外号外!」
食堂に向かう際に通りを横切ると騒がしい声が聞こえた。号外というと新聞だ。そういえばダニエラが何か読んでた気がする。ボーっとそんな事を思い出してると風に吹かれた紙が僕の足に引っ掛かった。それを手に取り、皺を伸ばして広げる。
「……こっわ」
文字だけではあるが、とある貴族が爵位を取り上げられたことが書かれていた。カーミラさんはあの後、きっちりとやり遂げたのだ。自分に降りかかる火の粉を、見事払ってみせた。自動人形は守りきり、有能な部下を手に入れた。多分、貴族が溜め込んだ金も。勿論、没落させたのだからドゥヴァ達の借金も無くなった。
手にした新聞を折りたたみ、食堂へ行く。昼時ということで騒がしいが、ちょうど空いている席があったので其処に座る。店内は賑やかで、其処に居る人は皆笑顔だ。こんなに平和な日々を謳歌している傍で、切った張ったの大立ち回りを演じる人間も居た。世界は広いし、世間も広い。広いが、常にそれは隣り合わせということを、今回知った。
「ふあぁぁ……しかし煩い……」
危険は常に隣り合わせ。しかし僕はそんな事よりも食欲を優先させ、新聞をテーブルの上に置いて注文を頼む。元気なお姉さんが復唱して奥へと戻っていった。視線を落とし、新聞の細かい文字を読むが、あんまり頭に入ってこない。まだ完全には目覚めてないようだ。ぼんやりとした、ふわふわ感に旨そうな匂いが鼻腔に突き刺さってきた。
「おまたせしましたー!」
「旨そうだ……いただきまーす」
隣り合わせなのは平和も一緒。今だけは、ゆっくりと飯を食うくらいは許されるだろう。




