第二百二十九話 先生との修行
此処は玄関空間。レイチェル=ヴァナルガンドが次元魔法により作り出した空間だ。此処はレイチェルが繋いだ場所、全てと繋がっている。なので玄関。次元魔法という時間と空間に干渉する魔法により作り出された此処は時間が動かない。その仕組みはレイチェルのみぞ知る……というところだ。
「つまり、此処は精神と時の『やめろ馬鹿者!!』……夢のような空間だね」
レイチェルの喝に言葉を飲み込んだ僕は今、路地から抜けた荒野に居る。
初めて此処を訪れた時の帰り際、レイチェルの悪戯で空高く飛ばされてしまった時に見た場所だ。だだっ広い荒野にぽつんと並んだ2列の家屋と1列の路地。玄関空間にあるのはそれだけだった。
「さて、修行と言っても大したことはない。力の使い方を学ぶだけじゃ」
何処からか取り出したベンチにレハティと2人で並んで座るレイチェル。仲良さそうで何よりだ。その2人の前で僕は新調した装備に着替えて立っている。
「本当にズボン破れない?」
「お主次第じゃな」
むぅ……と呻いてしまうのも無理からぬ事だ。元々この装備を壊したくなくてレイチェルに頼もうとやって来たんだ。まぁ、それは辞退させてもらったのだが。せめてズボンだけ変えたいな……。
「お主の一張羅が懸かっておるのじゃから気合いも入るというものじゃろうが。頑張れよ」
そう言われると今更履き替え辛い。気合い入れて頑張れか……それしか方法は無いだろう。
「うむ。ではその風の正しい使い方を教えてやる」
こうしてレイチェル先生との修行が始まった。
□ □ □ □
そして修行が始まって1週間が経った。僕のズボンは健在だ。しかし精神がボロボロだった。
レイチェルとの修行はそれはもうスパルタに次ぐスパルタだ。ちょっと力加減を間違えれば次元魔法で空へと飛ばされる。慌てて僕は《神狼の脚》で姿勢を制御しようとするが、魔法の力が強すぎて全て無駄な抵抗となった。散々空中を右往左往させられ、気持ち悪くなってきたところで降ろされる。
もう二度と御免だと本気を出しても査定の厳しいレイチェル先生は僕を空へと導いてくれた。
そんな事を繰り返し繰り返し、飯も禄に喉を通らず泥のように眠っては叩き起こされて空へと飛ばされる。それを7日間。ぶっ続けで行ってきた。お陰様でげっそりとした顔でフラフラと歩く生きる屍と化している。
「なんじゃ、みっともない格好しおって」
「すみません……」
最早言い返す気力すら無かった。
「じゃあいつもの様に静穏から始めるんじゃ」
レイチェルとの修行内容は簡単だ。とても弱い風、静穏から始めて至軽風、軽風、軟風、和風、疾風、雄風、強風と段階を上げていく。この1週間で強風まで制御することが出来るようになったが、それより上はまだ試していない。
弱い風速というのも改めてやってみると神経を使う。ただ風速を上げるなら出来なくもないが、消えるか消えないかの微妙なラインを維持するのは非常に大変だった。完璧な制御を求めるレイチェルの太鼓判が押されないと僕は空へと飛ばされる。初めの頃は内臓が口から出るかと思ったくらいだ。
「……よし、強風も完璧じゃな。ではその上に行こうかの」
「っし……」
「甘い! 制御がズレたぞ!」
ちょっとガッツポーズしたらレイチェルがキレた。慌てて制御し直そうと頑張るが許されず、僕は空へと旅立った。
「ぅうおえぇぇぇぇ…………」
「きったないのう……のう? レハティ」
「う……はぃ……ちょっと……」
「ひどい……」
弱り目に祟り目というか、ついつい胃液をぶちまけてしまった。2人にゴミを見るような目で見られて本当に辛い……。
「では再び静穏から始めよ」
「はぃ……」
口元を拭った僕は深呼吸して、もう一度最弱の風から開始した。
□ □ □ □
「よし、そのまま維持じゃ!」
「……ッ!」
今日で修行が始まって2週間だ。今、僕は最大風速の颶風にチャレンジしている。何だかんだあったが此処まで来られた。あとは合格判定が出るまで努力するのみ……!
「はい駄目ー。いってらっしゃいなのじゃ!」
「あああああああああああ!!!」
しかし努力は実らず、結構な勢いで空へと飛ばされた。でもまぁ最近は割と慣れてきた感がある。ここは一つ、抵抗でもしてみようか。
《神狼の脚》を強風の一段階上の疾強風で発動させる。そして飛ばされる方向へ足を向けて抵抗してみる。
「くっ……!」
まだ駄目そうだ。では疾強風より上の大強風なら……!
「お……いけそうだ」
飛ばされる速度が落ちた。チラリと下を見ると不服そうな顔でレイチェルが見ている。もう少しその眉間の皺を深くさせたい。ということでもう一つ上、暴風まで引き上げた。
「よし……!」
飛ばされる速度は歩く程度の速さまで落ちた。なるほど、このレベルで飛ばされてたのか……そら吐きもするわな……。
「へっへー、どうだ!」
「ふん、馬鹿め」
「へ? う、わぁぁあああああ!!!」
一方向に足を向けて制御していた僕はまんまと反対方向に飛ばされ、風も制御出来なくなり倍近い時間飛ばされることになった。レイチェルのお仕置きに逆らうことはやめようと心に誓った瞬間だった。
その日の夜。僕達はちゃぶ台を挟んで夕飯を食べていた。色々あったが、今日が最後の夜だ。何でも、この玄関空間では時間を止められるのにも限界があるらしい。最大でも2週間だそうだ。これ以上止めると外での時間軸に弊害があるとか。
「止められるとは言っても実は何千分の1とかの速さで時間は進んでおる。これ以上は外と此処との感覚にズレが生じるからの」
焼いた魚を突きながらレイチェルが言う。どんなに凄い次元魔法使いでも完全な時間停止は出来ないのか。僕の考えた時間凍結魔法の実現は無理そうだ。
「まぁでも良いところまでは行ったとは思う。颶風レベルまで引き上げられたんじゃしな」
「僕のズボンが吹っ飛んだ時と同じレベルの風速だっけ?」
「うむ。今のお主ならズボンが吹っ飛ぶこともないだろう」
完全な制御のお墨付きは貰えなかったけど、まぁまぁギリギリ合格という感じ収まった。
「さて、飯食ったら風呂入れ。そしたら帰れ」
「もっと優しく言えないのかね……」
「やかましいわ。先生の言うことに逆らうでない」
タンクトップ一枚の銀髪幼女の先生か……公的機関に捕まりそうな絵面だぜ。でもまぁ、お言葉には甘える。もう汗でベトベトだから早くさっぱりしたい。
「ご馳走様でした。じゃあお風呂借りる」
「んー」
魚の頭をかじりながらレイチェルが適当に返事する。その向かいに座っているレハティは甲斐甲斐しくレイチェルの湯呑みにお茶を注いでいた。うん、仲良さそうで何よりだ。
僕は鞄から着替えを取り出して勝手知ったる他人の家と言わんばかりに風呂場へ向かう。ガラガラと引き戸を開ければ昔ながらの風呂場が顔を出す。シャワーもない小さくて古い民宿のようなお風呂場。持ち込んだ布で体を洗い、湯船に浸かると1日の疲れが滲み出ていく。
「ふはぁぁ……」
疲れとともに情けない声を漏らして天井を眺めた。
「まさか、こんな事になるとはな……」
ズボンに付与して欲しくて来たら修行になってた。めちゃくちゃ厳しい内容を乗り越えた2週間。外では時間が進んでいないとは言え、あっという間だったなぁ……。
「これで、強くなれたんだろうか……」
その辺の冒険者や魔物に負ける自信はないが、竜種辺りならどうだろう。瞬殺出来るかなぁ。いや、それは武器の性能に拠る、か? 少なくとも攻撃は当たらないだろう。
「となると防具は身を守るというより補助に使うべきか……?」
いやでも不意打ちされたら勝ち目がないだろう。超遠距離の背後から狙撃されたとして、鎧が薄くて死にましたじゃ話にもならない。やはり防御力は必要か……。
「う……逆上せてきたな……」
顔が熱くなってきたので風呂から出る。体を拭いてから脱衣所に出てしっかりと乾かして服を着替える。備え付けの鏡には何だかやつれた僕が映っていた。
「はは、ひでぇ……」
頬を撫でると乾いた笑いが溢れた。努力の証だと思わないとやってられんな。
風呂場を出て、居間に戻ると食事を終えたレイチェルがレハティに膝枕して貰っていた。仲睦まじいね。
「そろそろ帰るよ」
「そうか」
「修行、ありがとうございました。また機会があったらお願いします」
「ふん、わかったからはよ行け」
そっけない態度のレイチェルだが、嬉しそうに緩む口元が見えた。レハティに目配せすると柔らかい笑みを返される。この2週間でだいぶ僕にも慣れてくれたみたいで嬉しい限りだ。出会い方のインパクトを考えると、尚更だ。
「じゃあレハティ、またな」
「あ……はい、アサギさん」
手を振ると小さく手を挙げてくれた。最後にレイチェルの銀髪をモフッと撫でてから窓枠を越えて僕は玄関空間を後にした。




