第二百六話 木の下での別れ
気が付けばもう昼前くらいだった。どうやらその場に座ったまま寝ていたらしい。
「とは言っても、寝た気がしないな……」
凝った首をパキポキ鳴らして慣らし、ゆっくりと立ち上がれば体中から乾いた音が鳴り響いた。久し振りにきつい夜を過ごしたぜ……。
ぐるりと肩を回しながら周囲を観察すると、意識を失う前とあまり状況は変わって居なかった。避難組も眠れぬ夜を過ごしたから、眠っているのかもな。
まぁそれでも動き出した人間は居る。何人かの冒険者がブラッドエイプの尾を切っていた。多分、あれが討伐証明になるんだろう。とてもじゃないが僕はそんなことをする気力がない。金に困ってないというのもあるが。
あぁ、駄目だな。人間、満たされていると面倒事から逃げようとしてしまう。
フィラルドに来た頃を思い出せ。上社朝霧。お前は薬草1本を根を切らずに大事に採取してたじゃないか。
「小さなことからコツコツと、か……」
その積み重ねの結果が今のステータス。絆。懐事情だ。たかが猿の尾、されど猿の尾だ。
僕は腰マントの裏の足切丸を抜いて近くのブラッドエイプの尾を切り取り始めた。そういえば足切丸君で足を切ったことがないな……。試しに切ってみようかな。
「えいっ」
ソブリと足切丸をブラッドエイプの足に突き立てる。すると足切丸の刃が黒く染まった。
「えっ、何」
握った柄からドクン、ドクン、と脈動を感じる。なにこれ怖い。血に飢えた妖刀感ある。でも足限定って何よ。足切丸だから? 足切丸で足切ると喜んじゃうのか?
とりあえず怖いから抜いておく。すると黒く染まった刃が元の銀色へと戻る。だが、心做しか輝きが鈍くなっているようにも見える。燻し銀という感じか。
「足切ってくうちに妖刀化していったりしてな。ははは」
まぁそんなね。ありきたりというか、使い尽くした設定の小刀があるとは俄に信じられん。
でも怖いので足切丸で足を切るのは遠慮しておこう。足以外なら問題無さそうなので、それ以外では積極的に使っていくことにする。まずは、尻尾切りだ。
□ □ □ □
「ふぅ……」
凝った腰を伸ばして空を見上げる。時刻はちょうど正午頃か。切り取った尾は50本。腰を曲げて行いこの作業を始めて1時間程だ。倒すのではなく、部位剥ぎだから比較的簡単だ。尻尾を掴んで根本を切る。その繰り返しだ。
作業を始めて30分くらいした所でダニエラも動き出した。どうやら彼女も寝ていたらしく、目の下に隈を作りながら僕の手伝いをしてくれた。切った尻尾を鞄に詰めるだけの簡単なお仕事だ。
ちなみに尾を抱えた僕と起きたダニエラと一緒にテントに虚ろの鞄を取りに行ったところ、テントがぐしゃぐしゃにつ潰れて破れていたのを発見した。思わず尾を落としてしまったのも仕方ないと思う。このテントは僕とダニエラで旅を始めたことからの相棒だったからだ。これをチクチク縫って直すのは難しいだろうな……。ツンと鼻の奥が痛くなった。
とりあえず尾を集めようとダニエラに促され、テントの中から鞄を取り出してきたのだ。
見たところ、この1時間でブラッドエイプ全体の討伐証明の剥ぎ取りは終わったように見える。あちらさんの護衛達が切った尾の集計をしている。
「よし、渡しに行くとしようか」
「だな」
虚ろの鞄を背負い直して僕とダニエラは集まった冒険者の中へと進んでいった。
一番大きいテーブルには赤い尾が沢山並べられていた。昔、友達と行った朝市を思い出す。
「すみません。ブラッドエイプの尾を持ってきました」
「ん……あぁ、君達か」
場を仕切っていた風の男性に声を掛ける。商人テントの護衛をしていた寡黙男だった。訪れた頃の警戒が無くなる前と今では表情が柔らかく感じる。仕事熱心なんだろうなぁ。
「別に申告する必要は無かったのに」
「いえいえ、同じ場所で戦った仲じゃないですか。それに、うちの商人の安全を確保してくれたお礼もまだでしたし」
「君は律儀だな……」
腕を組んでいた寡黙男は苦笑しながら手を伸ばしてくる。
「挨拶が遅れた。俺はアルビレオ。よろしくな」
「アサギです。こちらこそよろしくお願いします」
「アサギか……アサギ……アサギ?」
僕の名を連呼して首を傾げるアルビレオ。
「銀翆のことだと思う」
と、そこへアルビレオと一緒に護衛をしていた無口女がやって来た。
「アルデバランか。銀翆というと、あの?」
「間違いないと思う。翡翠の衣を着て足に風を纏い、神速の一撃で敵を沈める……違う?」
何か古代の伝説みたいなことを言った無口女……アルデバランが僕に確認を取る。
「間違っちゃいないけれど、そんな大それた話は聞いたことが無い」
「でも巷の噂」
「噂なんて当てにならないよ」
「でも火のない所に煙は立たない」
「其奴はただの狼煙だ」
実際は小火にもならないよ。と言うと首を傾げるアルデバラン。噂を真に受けるタイプか?
「とりあえず、精算しようか」
「お願いします」
「敬語はやめよう。一緒に夜を過ごした仲じゃないか」
「その言い方はやめてくれ」
ははは! と楽しそうに笑うアルビレオ。気を許した相手とは距離が近くなるタイプの人なのかもしれない。
虚ろの鞄を降ろして、中からブラッドエイプの尾を取り出す。体力的問題で50本だ。
「えーっと………………50本か。これで今までの分を合計すると594本。かなり倒したね」
「あれ、死体は500って聞いたんだけど」
「あぁ、あれね。多すぎて500から先は数えなかったって話だそうだよ」
それなら僕も心当たりがあるな……とにかく多すぎた。このデカい木にいくつものコロニーが出来上がってて、僕達みたいに野営しに来た人間を襲っていたんだろう。圧倒的な数での攻撃に為す術もなく死んでいった冒険者は一体何人居るんだろうか。そう思うと僕達は運が良かった。大規模な商隊とその護衛。彼らが居なくて、僕達だけの野営だったら……想像しただけでゾッとする。
「さて、これで恐らく全ての討伐証明が揃った訳だが……どう振り分ければ良いと思う? アサギ」
「僕達はいらないよ」
こうして切り取ったのも、護衛メンバーの戦果に加えてほしかったからだ。
「僕は戦闘の手伝いをしただけだ。場所を譲ってくれたお礼だし、分前はいらないよ。……と、こっちのダニエラとは相談済みだ」
「そうは言うが……」
「此方では決定事項だ。貰ってやってくれよ」
あんたらの雇い主からは金貨400枚をぶんどったからな。これ以上貰えばバチが当たりそうだ。
「まぁ、そう言うなら貰うことにするよ。悪いな」
「悪くないよ。朝まで戦ったんだ。皆で分けてくれ」
「そうさせてもらう。ありがとう」
律儀に頭を下げるアルビレオ。それにアルデバランが続いて、他の冒険者達が揃って頭を下げる。こういうのに慣れない僕は非常に居心地が悪かった。
「じゃ、じゃあ僕達は先に帝都に行くよ。うちの雇い主を期日までに送り届けないといけないからな」
「そうか。俺達も帝都に行くが……また会えると良いな」
「そうだな。その時は気軽に声掛けてくれよ」
「あぁ、そうする。またな、アサギ」
「アルビレオも気を付けてな」
ガッチリとアルビレオと握手をして別れと再会の挨拶とする。見ればダニエラとアルデバランも握手をしていた。こうして見ると何だか僕達は似た者同士のようだ。
アルビレオ等冒険者と別れて僕達の野営地に戻ると、既に出発の準備は終わっていた。まぁ、すぐに終わるだろう。テントも無いしな……はぁぁ……。
「アサギさん、出発ですか?」
「えぇ、行きましょう」
馬車の荷台に乗り込む僕とダニエラ。ふと、荷物の傍に折りたたまれた布があった。これ、僕達のテントだ。
「……捨てるのも忍びなかったので」
御者席からミスターが声を掛ける。その優しさにまた鼻の奥が痛む。
「ありがとうございます……大事な物なんです」
「それは良かった」
柔らかく微笑むミスターに頭を下げて、そっと持ち上げたテントを虚ろの鞄に仕舞う。壊れてしまったが、いつまでも一緒に旅をしよう。僕達はいつまでも一緒だ。そうテントに心の中で告げる。お疲れ様だ。




