第百七十三話 篝火の夜
朝日に照らされたダニエラの手には鉱石由来の小手が装備されている。
『鎖縛石の小手 鎖縛石から削り出された小手。魔力を流すことで目標を縛ることが出来る』
鑑定眼鏡に映る説明にはそのように表示される。うん、ちゃんと機能しそうだ。安心した僕は眼鏡を外して鞄の中に仕舞う。
今日は旅立つ準備に入る。必要な物を補充して、明日は挨拶回りをして、アスクを出る。
この辺りの地形はギルドの資料室で下調べしておいたので問題ない。まず、アスクの東門から出てそのまま真っ直ぐ進むと、大きな湿地帯が現れる。そこを迂回して進み、その先の小さな町を抜けて更に東へ進むと広い森に当たる。その森の中には大きな町があるらしく、そこが帝都に一番近い町だそうだ。つまり、その森を抜ければ帝都へと辿り着くことが出来る。
「改めて思うんだが、帝国は広いな」
「そうだな。アレッサを抜けてからここまで結構な時間を過ごしたが帝都まではまだまだ遠いな」
ダニエラと雑貨屋さんを周りながら今後の旅路とこれまでの旅路を振り返る。手元にカレンダーがあって、正確に日にちを刻んでいればはっきりとした日数が分かるんだが、如何せん着の身着のままでやってきたこの世界。そんなことなど考える暇も余裕も無かった訳で、ある程度の経過日数しか分からない。
フィラルドで数週間過ごし、旅立ってガルドと再会したのが2ヶ月後。それからレプラントで1ヶ月くらい過ごした気がする。つまり、レプラントを出るまでで異世界ライフが3ヶ月経過している。そこからレプラントを出てダアナ村に着いて、レッサーワイバーンを討伐して村を出たのが多分10日くらいか?
本当に日付の感覚がないのだ。普段から意識していれば良いのだが、昔から全く意識しないで過ごしてきた所為でこうなってしまった。多分、アスクを出たくらいで4ヶ月くらいだろう。多分。
「……準備はこんなものか」
「屋台飯も地域によって変わってくるから楽しみだよな」
レイチェル謹製の虚ろの鞄は空間と時間に干渉する次元魔法が付与されたハイテクヴィンテージバッグだ。この鞄ちゃんの中は広大で、そして時間が停止されている。つまり、沢山入って腐らないのだ。その日の気分によって各地域の特色が出たアツアツの屋台飯を堪能出来るし、食材だって腐らずに保存されるのでいつでも新鮮だ。
おまけにセンカ村でお世話になった村長の孫、メリカちゃんお手製のマスコット『ぐみちゃん』がぶら下げられて実にキュートだ。宿に居る時は手入れしたり紐を新しくしたりと落とさないように気を遣っている。大事な物だしな。大事な物なら鞄の中に仕舞っておけばいいと言われそうだが、こういうのは下げてこそ意味があるのだ。陽の光の下に出してあげないとメリカちゃんもぐみちゃんも可哀想だ。元気にしてるかなぁ……。
□ □ □ □
共同浴場に寄ってから宿に戻ると辺りは夕暮れのオレンジに染められて実に美しかった。今夜はダニエラと決めていた場所に行く。カレー屋さんだ。
「ダニエラ、準備出来たか?」
「あぁ、早く行こう」
2人して宿を出る。実はあれから何度か通っている。服が出来上がるまでの間に数回行ったのでもう場所もバッチリだ。意外と宿から近く、あの日は夜ということもあって遠回りしてしまったが、徒歩で10分程で着いてしまう距離にあった。灯台下暗しとは正にこのことだ。違うか。
ダニエラと2人で並んで歩きながら空を見上げる。夕暮れの日差しが斜めに入り、建物の壁をオレンジと黒に分けていく。その夕日も、西に見える川の向こうのニコラの建物に軟着陸する。一層鮮やかになるオレンジとは対照的に天辺は淡い青に、そして東の門の方は濃い紺色に染まる。何とも言えないグラデーションが広がるこの時間が僕は大好きだ。勿論、元の世界でもだ。残念ながら夜勤を始めてからは夕暮れでは無く、日の出を拝むことの方が多かったが……。
そんな夕日も半分程隠れた頃にカレー屋に到着する。顔馴染み一歩手前くらいに関係になった店員のお姉さんにいつも頼むメニューを伝えてゆっくりと待つ。
それから待つこと数分。焼き立てのナンと、数種類のカレーが器に入って出された。カレーと一言に言っても素材やスパイスの違いで味はガラッと変わる。この店も独自の研究を怠らない店のようで、実に様々な味のカレーを用意していた。何度か通う中で色んなカレーに手を出しては新しい発見に驚き、嵌りながら腹がいっぱいになるまでナンを胃へ詰めた。
今日はその集大成。甲乙付け難い中で選んだ3つのカレーを用意してもらった。これを楽しむのがずっと楽しみだった。
「いただきます」
「いただきもぐもぐ」
待ちきれないと言わんばかりにナンを千切って口の中へ運ぶダニエラを苦笑交じりに眺めながら僕も溢れる唾液を飲み込みながら真っ赤なカレーをナンに乗せて口の中へ詰める。一度味わったら病み付きになるこの辛さ。店で一番辛いと言うだけある……。溢れる額の汗を手の甲で拭いながら水分を補給する。
もう一つは淡い色のカレー。バターやクリームでまろやかな口当たりではあるが、その中に酸味と辛さがはっきりと顔を出してくれるバターチキンカレー。煮込まれて崩れる鶏肉をナンで受け止め、カレーを添えて口の中へ放り込めば一瞬で天国へと昇り詰めてしまう。
最後に選んだのはひき肉が沢山入ったキーマカレー。これもまた絶品で、カレーとしても辛さの中で肉の主張も忘れていない。肉好き女子としてダニエラも一押しのカレーだ。勿論、僕も肉は好きだ。ブロック肉も好きだしバラ肉も好きだ。そしてひき肉も大好きだ。汁っ気の少ないカレーをナンに乗せて食べて、笑顔が溢れる。細かく刻まれた野菜も食感に一役買ってくれて肉だけではなく、野菜も沢山入っていることを教えてくれる。これじゃあヘルシー過ぎて痩せちゃうね!
しかし、そんな愉悦も終わりがやってくる。腹の容量が一杯になってしまった。もう食べられない……。正面のダニエラもベルトをこっそり緩めている。何でこう、食べ過ぎちゃうんだろうな……。
「ごちそうさま……もう食えん……」
「右に居ないけど右に同じ……」
ダニエラの食事終了の合図に店員さんを呼んで、複数のカレーをテイクアウト用に用意してもらう。ナンも欲しいが、多分材料さえあれば作れるので遠慮した。カレーだけならストックがあってもナンは焼かないといけないしな。夜の忙しい時間に店員さんを手間取らせたくない。
壺のような物をカレーの種類だけ用意してもらったのでそれを虚ろの鞄に詰める。これでいつでもカレーが楽しめる!
僕とダニエラは満腹でありながら今後のカレーを楽しみに微笑んだ。
「ご馳走様でした」
「はいまいどー」
いつもの店員さんに代金を渡す。
「明日旅立つので来れなくなるのが寂しいです」
「それは大変ねー。でもまた来たら寄ってほしいよー」
「絶対に来る。絶対だ」
ダニエラが意気込んで宣言する。僕も同じ気持ちだ。
「またそのうちねー」
「えぇ、また」
「世話になった」
ふりふりと手を振る店員さんにダニエラと2人で手を振り返しながら店を出た。
空はすっかり夜の闇一色に染まっている。が、視線を落とせば町はまだまだこれからだと言わんばかりに明かりに満ちあふれていた。
「……綺麗だな」
「あぁ」
2人で眼下の明かりを見つめる。あの明かり一つ一つに酸いも甘いも苦も楽も詰まっているんだろうな……。
傍にある篝火を見る。赤々と燃え上がるそれにも、何か気の利いたエピソードがあるんじゃないかと見つめるが、僕には分からなかった。
※タイトルが第三十六話と被っていた為、変更しました。
日数の経過の計算を間違えていたので変更しました。
ご迷惑をお掛けしました。




