199『推定信長の句の【真相】』
――この日の百韻連歌を、
『信長による福音書』計画の視点で読み説くと、恐ろしいほどスムーズににその解釈がどんどん繋がっていくのが――
読者諸兄にも解るであろう。
『愛宕百韻』〔三折裏〕
75 宿とする木陰も花の散り尽くし 昌叱
「信長の宿とする本能寺も、
信長の指示による光秀の襲撃で、花と散ってしまった」
76 山より山にうつる鶯 紹巴
※鶯を「天下人」ととり――
「ついに、次の天下人へと交代する時が来た。
それにより『福音書計画』は、いよいよ第二段階に入る」
77 朝霞薄きがうへに重なりて 光秀
この歌と、本作で織田信長の句と推定された詠み人知らずの句――
引きすてられし 横雲の空 信長?
を、合わせて一首として解釈すると、前述したように――
この私(光秀)が、詠んだ句の後には実は信長様の一句が隠されている。
その内容は――
十字架を背負い“引き捨てられし”イエスの故事を元に、
余(信長)はその忠実なる使徒である光秀と共に『福音書』計画を実行する。
つまり当日朝方、余の指示による光秀の本能寺襲撃によって、余は命を捨てる。
――となる。
このように『愛宕百韻』では、『信長による福音書』計画の内容が連面と出席者によって歌い継がれて、
ついに推定信長の句という“大トリ”を向かえるのである。
つまり信長がこの計画に対する決意表明をする場面なのである。
つまりは――
《イエスのように――
――余も天下万民の為に、この命を捧げる!》
という覚悟の言葉である。
――では、この推定信長の句は本当に信長の句だとして、
何故この愛宕山にあるのか?
という疑問が出てくる。
しかし『イエズス会日本年報』の宣教師ルイス・フロイスの記述にある、信長の嫡男・織田信忠が本能寺の変の三日前に愛宕山にいた。
というこの文章が真実なら、その理由を推察するのは容易い。
つまり、安土城にいる信長がこの『天下創世の儀式』の為に信長自身が詠んだ句を、愛宕百韻当日に届くように織田信忠に託したということである。
これが、信忠は当日愛宕山にいたのに、連歌会で一句も詠んでいない理由にもなる。
そう、信忠は信長のメッセンジャーとして連歌会場に来たのである。
――しかしそうすると一つだけ疑問が残る。
連歌とはそもそも即興で、参加者が詠んでいく文芸ゲームであり、先に歌を前もって詠んで用意しておくのは、
連歌用語で『孕み句』といい、場における即興の付けが連歌の醍醐味なのだから、慎むべきものであるのだから。
しかし、そもそも今回の『百韻連歌』は、信長プロデュースによる『天下創世の儀式』として執り行われるものなので、
文芸ゲームのルールを忠実に守る必要はないのである。
だから信忠が連歌会当日に、
連歌会場に届けた主君信長の『決意表明』の一句を参加者皆でまず詠んで、その前後の歌を後から考えて、通常の連歌に見えるように懐紙に書き込んだというのが、一番自然な推察といえよう。
またこの推定信長の句が、ある写しには存在するが詠み人が違うのであったり、そもそもこの句が記載されなかった写しがあったりする理由も――簡単に推察できる。
信長としては計画の成功の為に、世界的に普遍的強力な影響力がある『言葉の力』を活用しようと――
『天下創世の儀式』を執り行なったのである。
つまりは、その一句を信長が詠んだと参加者以外に知られる必要もなければ、
そもそも『信長による福音書』計画自体が参加者以外に秘匿され行われているものなので――
信長の句というその事実に他者がたどり着けぬよう、あえて複数の内容が違う写しを用意して錯乱を狙ったものであった。
そうつまりここまでを総括すれば――
『愛宕百韻』とは、
決して明智光秀による謀叛の決意表明の場では無く――
織田信長による『福音書計画』の為の、
信長自身による決意表明の場なのであった!
ということである。
……さぁ、ということで、
ようやく『愛宕百韻』の章はあと数話で終わりを向かえる。
『本能寺の変』当日の章まで、今しばらくお待ちくださいな。




