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198『天下創世の儀式』

『愛宕百韻』の真実の姿とは――


『信長による福音書』計画を成し遂げ、最終的にこの日本に新たな天下を創世し恒久平和な世界、《永遠のエデン》を到来させる。


その実現の為に、世界的普遍的と言える『言葉の力』を集め、計画成功への原動力とする儀式――


そう、

それこそが数多くの思いを願いを歌にたくして神に捧げる行為――

つまり《天下創世の儀式》として、執り行われた『百韻連歌興行』なのであった。


……と述べてもにわかには信じられない読者も多いと思いますが、

久々に『愛宕百韻』の歌を解釈していきますと、驚きますよ!


なので、読者様も一度、この仮説が正しいと思って解釈を読んでくださいね。


〔三折表〕


63 里遠き 庵も哀に 住み馴れて    紹巴


「人里離れた愛宕山のこの連歌会場も、

信長様・光秀様が命を捨てられる時が近づき……

哀しみにおおわれている」


64 捨てしうき身も ほだしこそあれ   行祐

※「ほだし」とは、「絆」と書く。

「きずな」と読む場合とは違い、絆が否定的な結果をもたらす場合に多く使われる。


「信長様がこの世の体を捨てるのも、

いにしえの救世主イエス様との絆、

そして天下万民との絆の為に《犠牲》となられるからである」


〔三折裏〕


65 みどり子の 生い立つ末を 思ひやり  心前


「この愛宕山で生まれた計画が、成功することを祈りつつ」


66 猶永かれの 命ならずや        昌叱


「しかし、それは信長様の命がもう永くないことを意味する」


67 契り只 かけつつ酌める 盃に     宥源


「信長様は、神との契り――

つまり本能寺において切腹されたその血を契約の証とする前日に、

駆け付け来られた嫡男信忠様と盃を交わされ、最期の《親子酒》をなされる」


68 わかれてこそはあふ坂の関関      紹巴

※「あう坂」は、信長が天下の首都として整備中だった『大坂』の町ととり――


「そう信長様と信忠様の《今生の別れ》ですが、

いずれ大坂の町でその思いは、逢うことになりましょう」


つまり、戦中で言えば「靖国で逢いましょう」という印象の歌だと、拙者は解釈します。


――ここまで読んで、「確かに仮説の解釈も案外ありかも?」と感じて頂けた読者様も、そうでない読者も――


とどめの最後に――


69 旅なるを けふはあすはの 神もしれ 光秀


「今まで信長様共に人生の旅路を生きてきて――

信長様は今日の神でもあり、未来の神でもあると知った」


――ということで、この『愛宕百韻』での歌の流れは、明智光秀のこの歌によってさらに強調され、

信長という神が誕生し、新たな天下を創生する――

正に『天下創世の儀式』といった感じがしますよね!




そしてついに、何故安土城にいる信長の詠んだと推定される歌が、『愛宕百韻』会場にあるのか?


そのミステリーの謎が明らかになります!

(本作は、遅くなっても必ず伏線を回収します!)


さぁ、そして愛宕百韻が終われば、

皆様お持ちかねの《新説本能寺の変》の章に突入します!


ご期待してもうしばらく、お持ちくださいね。

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