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197『聖書と言霊』

『本能寺の変』直前の重大イベント『愛宕百韻』には、

キリスト教の聖典『新約聖書』の『ヨハネによる福音書』と、日本の『言霊』文化の影響を受けている!


と、拙者は論ずる。


まず日本の『言霊文化』とは――

本作は学術書ではないので、手短に『Wikipedia』の『言霊』の項目から引用すると、


声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。


日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。(引用終わり)


この言霊というのは現在でも色濃く残っていて、

「縁起でも無いことを言うな」、またいった通りの縁起でも無いことがおこると、「お前がそんなこと言うからだ」みたいなやり取りとか。

国の最高機関である国会ですら、核兵器を保有するか議論しようとするのさえ、「議論する自体が悪」という風潮で、国の為に何が必要かという議論さえ、できない。

実際に核兵器を持つかどうかと、議論することは別なのにである。


次ぎに『ヨハネによる福音書』である。

この著者と言われるイエス・キリストの使徒ヨハネは、世界の終末を預言する『ヨハネの黙示録』を記した者とも言われている。


『新約聖書』には、四つの『福音書』がある。

福音書とは、簡潔に言えばイエスの一代記であるが、

この『ヨハネの福音書』は他の福音書と違い、『世界の創世』から物語が始まっている。


そう有名な――


『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった』


そして、なんとこう続くのである――


『この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。』


これを読んでお気付きの方も多いと思いますが――

『言』と『事』が=(イコール)な、というか言葉から全ての事象が生ずる世界観を“言霊の世界”と呼ぶのなら、

まさに最初にあった言から、全ての事が生まれた聖書の世界も――

まさに言霊的ではないか!

ということである。


――そう日本の最高権力者にして最高権威者に登り詰めた織田信長は、宣教師からイエスの一代記『福音書』を学び――

戦争の無い恒久の平和という新世界秩序を創るには何が必要か、を知った。


それこそが世界的宗教であるキリスト教と、古より多大な影響を日本人に与える伝統文化の一致、(と信長は感じた)

つまり、この世界の普遍的な『言霊の力』が――

世界を変える原動力に成り得る、成り得るのではないか!

と信長は考え、世界的普遍的と言える『言葉の力』を集める儀式、


そう、

それを最大限に集める儀式――

それこそが数多くの思いを願いを歌にたくして神に捧げる行為――




『百韻連歌興業』なのであった。




そうそしてそれこそが――

『愛宕百韻』の真実の姿なのであった。



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