177『武田信玄を思う』
「それにしても、ようやくようやく武田を倒せましたな」
明智光秀は、感慨深げに言った。
「――である。武田信玄こそが余の最大の敵であり、また余が一番好きな武将であった」織田信長も感慨深げ。
「父上、それは初耳です」と織田信忠。
「であるか信忠よ、信玄はな――
『人は石垣、人は城、人は堀』と申した」
「信玄公、深いですね」光秀は頷く。
「であるな、どんな強固な城を作っても、それを運用する家臣達がいがみ合っていれぱ、その城を守ることなどできぬ」
「正にその通りですな」と合いの手を入れる光秀。
「である、逆に家臣達が信頼しあっていれば、それは最強の守りとなり攻めとなる」
「父上、それほどまでに信玄公を」
「信忠様、だからこそ信長様は、甲州攻めの帰りに、あそこにいかれたのですよ」
「……あそこ?ですか」
「である、信玄の本拠地であった、躑躅ヶ崎の館、である」
実は信長は、武田家を倒したあと、『信長公記』によると――
この躑躅ヶ崎の館跡の上に信長は陣所を置き、一泊しているのである。
……それはまるで亡き信玄を思い、自らのこれからの行く末を思って感慨に耽っていたようにもみえる。
「しかし、あそこは勝頼が燃やして退去したので……」
「であるが、どういう構造であったかは焼け跡からでも大方推察できる。
本当にあれは、城ではなくただの館であったな――
まさに人の団結力こそが守の要、だからあえて防御力の高い城郭にしなかったという、
信玄の《信念》を表したような本拠地であった。
――そうこの安土の城みたいに……」
信長は、最後に意味深な言葉を言った。
……読者には、たわいのない雑談と感じると思いますが……
『本能寺の変』と、それによって起きた『山崎の戦い』でこのメンバーは、みな史実死を迎えます。
しかも、……『福音書』計画説では、このメンバーはみな、
この時点で、自らが死ぬ時を知っているのであった。
「――余はついに宿敵武田家を倒した。
そして謙信亡き後の上杉家は、もう包囲してある。
――家臣たちに任せとけばよい。
後は西国最強の毛利さえ打ち倒せば、もはや余の勢力に立ち向かえる者はいない」
「しかも、毛利でさえ、秀吉殿の軍だけでほぼ互角――
ここで信長様が御出陣なされば、勝利は確実と誰もが感じております」
「父上ついに、天下統一間近ですね」
「である、余はついにこの猛者たちのしのぎを削る戦国の世に終止符を打つ――その目前まで来たのある」
――次回、織田信長は、皆に別れの時を告げる。
それは、『計画』の始まりを意味する!




