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169『最後の晩餐』

『安土饗応』は、織田信長と明智光秀の最後の別れの場面である。

『最後の晩餐』は、イエスとユダの“師弟としての”最後の別れの場面である。


――師弟としてのというのは、イエスが偽りの救世主として憲兵に逮捕された時、ユダは誰がイエスかを憲兵に知らせる為に、イエスにキスをしているからである。

……もちろん、この時はもう使徒ユダでは無く、“裏切り者”ユダとしてイエスに近付いたのであった。


本作は、織田信長とイエス・キリストの比較人物伝も、主題の一つであるので、イエスとユダの師弟としての別れのシーンを比較してみる。


そして実は、驚くことに『聖書』の記述と、前述した『常山記談』の安土饗応の記述が結構似ているのだ!


『マタイによる福音書』

――夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。

そして、一同が食事をしているとき言われた、

「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。

弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。


イエスは答えて言われた、

「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。

たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」

イエスを裏切ったユダが答えて言った、

「先生、まさか、わたしではないでしょう」

イエスは言われた、「いや、あなただ」


――同じ『最後の晩餐』を描く『ヨハネによる福音書』では、もっと躍動感がある。ユダではない一人の弟子が「誰が裏切るのですか?」と聞くところからのシーンです。


『ヨハネによる福音書』

「主よ、だれのことですか」と尋ねると、

イエスは答えられた、

「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。

そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。

この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。

そこでイエスは彼に言われた、

「しようとしていることを、今すぐするがよい」。


席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。

ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。


ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。

時は夜であった。


――このシーンは、イエスはユダが裏切るのを知っている事を表しているのと同時に、

イエスはユダにその裏切り行為を「早くせよ」と、催促しているようにしか見えない。


「あっ、『常山記談』の安土饗応と似てるかも?」

と感じてくれた方、有難うございます。


そう、そうなのです!

『安土饗応』のシーンも、前述した『光秀殴打事件』のように、信長が光秀に裏切るように“わざと”仕向けたように感じませんか?

ということなのである!



――次回、遂に『エヴァンゲリオン計画』始動!


乞う、ご期待!

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