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168『安土饗応』

――ここまで『愛宕百韻』にて、信長による『福音書計画』が明智光秀と連歌の参加者によって詠われてきたことを述べてきた。


……しかしそうすると、一つの疑問が出てくきますよね?


もし、本作の解釈があっていたとしても、

では、織田信長と明智光秀はいつ、その計画を相談したのか?

ということである。


そこで振り返ると、織田信長と明智光秀の最後の別れは、

徳川家康を安土にて饗応した、五月十五日~十七日である。


つまり、この日以降は二人は直接会うことは『本能寺の変』までないのである。また、本能寺の変当日も直接、襲撃時には二人が会ったわけではない。


――そうすると、この日に信長と光秀が、『福音書計画』を相談した、最終決定したと考えるのが自然である。


……しかし、当然それを裏付ける文献は残っていない。

何故なら、信長と光秀が秘密裏に『計画』したものだからだ。


――では、その信長と光秀の“今生別れ”の日を知ることができる文献が全く無いかというと、……実はあるのである。


この後世『安土饗応』と呼ばれる、光秀による家康への接待には――


ある有名な事件が言い伝えられている。

そう『川角太閤記』や『常山記談』に載る、「腐った魚」事件である。


『常山紀談』から引用すると――

東照宮(徳川家康)御上京の時、光秀に馳走の事を命ぜらる。

種々饗禮の設しけるに、信長鷹野の時立寄り見て、肉の臭しけるを、草鞋にて踏み散らされけり。

光秀又新に用意しける處に、備中へ出陣せよと、下知せられしかば、光秀忍び兼ねて叛きしと云へり。


要約すると、徳川家康の接待役として信長より命じられた光秀は、一生懸命ご馳走を用意した。

しかし信長が鷹狩りの帰りに、「準備はどうか」と立ち寄った時、

魚の肉から腐った臭いがすると信長が突如激怒し、用意した料理を足蹴にし、料理は床に散らばった。


――仕方なく、またご馳走を光秀が一から作り直している時に、

今度は信長が「もうご馳走の準備はいいから、備中に秀吉の援軍に出陣せよ」と突然命令し、光秀の今までの苦労を台無しにして面目を潰させた。

さすがの忠臣光秀も信長の度重なる横暴に堪り兼ねて、この時……

謀反を決意したと言える。


……この逸話も、前述した『信長による光秀殴打事件』と同様、実際あったのかどうか真偽不明ながら……

実際この接待から、半月後に本能寺の変を起こしている事から、後世――

光秀が信長に対する恨みから謀反した原因の一つとして、このエピソードは有名である。


もちろん、本作では、

明智光秀は信長への謀反から、本能寺の変を起こしたのではない!と論じているので――

当然、通説中の通説『光秀の信長に対する怨恨説』を完全否定している。


――しかし、実はこの信長と光秀の最後の日のエピソードは、ある重大な事実を《暗示》しているのである。


……それは何か?


――そう、それは『聖書』にのる、『最後の晩餐』のシーンなのである!



――次回、今度こそ『最後の晩餐』です!





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