165『久々に登場の救世主』
○その者の名は――
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰にわかるる横雲の空
『新古今和歌集』
引きすてられし 横雲の空
『愛宕百韻』
この藤原定家の新古今調の代表句と、
『愛宕百韻』のミッシングリングの句を並べて見て――
どう考えても、同じ場面を歌に込めて詠っているようにしか思えない。
つまり、この定家の句を『愛宕百韻』の詠み人知らずの句は引用したことになるので――
『今まで甘い夜を過ごしてきた男女が、朝方別れる。』
という解釈となる。
ただ、定家の句の方は別れの場面を『わかるる』と自然に表現しているのに、詠み人知らずの句は『ひきすてられし』と、
けっこう男女の別れかたがハードな感じもするので……
想像によっては、男女の行為が終わったら、男が「もう用済み」と、女を捨てたようなニュアンスを感じる方もいるかとは思います。
――ということで、ここまでの二つの句の解釈を踏まえ、
この『愛宕百韻』での本作品の大前提――
織田信長の公認興行という観点で推察すると、答えは自ずから出てくる!
この「ひきすてられし」=『引き捨てられし』は、
“ある方”の最期を思わせますね。
そう、エルサレムの『ゴルゴダの丘』を重い十字架を背負わされ、“引き連れ回された”者――
そして自ら、十字架の上で命を“捨てた”者……
そう、その者の名は………
――イエス、そうキリストになった者の名前である。
久々に登場の本作品の主人公?の一人であるイエスさん。
――そう、この『愛宕百韻』は、
信長公認の連歌興行であり、その歌の根底に流れる詠み人たちの共通理念は――
信長による『福音書』計画なのである。
だから、『引きすてられし横雲の空』という詠み人知らずの句の《真意》は――
前述したように「横雲の空」=「朝方」なので、
朝方、今まで師弟愛で結ばれていた二人が、信長の計画による光秀の本能寺襲撃で別れ別れになる。
それは、イエスが自らの命を捨てた計画、『イザヤの書』の救世主伝説を実現したことに、あやかって実行されるものである。
……という解釈になる。
そしてつまり、この句を詠んだ者は……
そうこの『愛宕百韻』の詠み人知らずの句を、実際に詠んだ者の名は……
――織田信長、そう神に最も近い者の名前である。
「またまた、都合よく解釈しているだけ」
「そもそも信長は、愛宕山に来てないし」と読者。
そう感じるのは当然のことですが……
実はこの解釈を裏付ける《事実》が、実はあるのである!
そうこの信長が詠んだと推定される句――
そう〈三折裏〉の幻の十四句目の、
その一句前に詠まれた句を詠んだ者の名前は……
なんと……
――明智光秀、そう後世裏切り者と言われし者の名前なのだから!
次回、信長と光秀の句が合わさり一首の歌となる時――
《九十九韻の謎》は完全解明される!




