159『折りたく柴』
○“思い人”との別れ
52 猶も折りたく 柴の屋の内 兼如
――「折りたく柴」は、柴を折って焚くこと。炊事。
この言葉もかなり有名なで、やはり古典からの引用で――
思ひ出づる 折りたく柴の 夕煙
むせぶもうれし 忘れ形見に
という『新古今和歌集』にのる、後鳥羽天皇の御製の歌に由来しています。
〈解釈〉
思い出す折に、折りとって焚いた柴の夕方の煙に、むせぶのも嬉しく思ってしまう。
……そう、あなたの忘れ形見と思えて。
〈解説〉
『炊事の風景を見ると、いつも貴女を思い出す』
という、今は会えぬ思い人への想いを語った歌で――
大切な人ともう会えない寂しさを詠ったこ歌は――
現代の私たちでも時代を越えて、共感できますよね。
ということで、51上句と52下句とで一首とすると、
下解くる 雪の雫の 音すなり 心前
猶も折りたく 柴の屋の内 兼如
となり、
心前「ようやく信長様の活躍で、
――戦乱という吹雪も収まりはじめ、春の兆しが見えてきましたね」
兼如「……でもこの連歌会が終われば、
光秀様とも会えなくなってしまうと思うと、寂しいです」
53 しほれしを 重ね侘びたる 小夜衣 紹巴
――この句は、いろいろな解釈できる面白い句で、さすがは天才連歌師里村紹巴!
という感じで――
――本能寺での『計画』を実行する“二人”指しています。
まずは、
「しほれし」は、「萎れし」ととる古語的解釈。
「侘びたる」も、寂しくなる様子のことなので、
すると「萎れし重ね侘びたる」は、年齢を重ねる=高齢となる。
そして「小夜衣」は、寝巻きのことなので――
『年老いた光秀が、(本能寺において)
――起きたばかりで寝巻き姿の信長を討つ』となる。
また「しほれし」=「師、惚れし」とも取れるので、うまく光秀の師である信長を想う気持ちを言い表していると感じる。
52を下句とする短歌を詠むための、53上の句なので、合わせて解釈すると――
しほれしを 重ね侘びたる 小夜衣 紹巴
猶も折りたく 柴の屋の内 兼如
紹巴「年老いたる光秀様は、師である信長様への恩に報いるために、寝起き姿の信長を討つ」
兼如「そして、その計画のあとには、信長様も光秀様もこの世から旅立ってしまわれると思うと……寂しいですね」
54 おもひなれたる 妻もへだつる 光秀
――“へだつ”は「隔だつ」ですので、
思い馴れた妻と別れる――との解釈でしょうか。
これから起こす事件によって、光秀か妻との別れを詠んでいるととれる。
53上句と、54下句を合わせると――
しほれしを 重ね侘びたる 小夜衣 紹巴
おもひなれたる 妻もへだつる 光秀
紹巴「年老いたる光秀様は、師である信長様への恩に報いるために、寝起き姿の信長を討つ」
光秀「その計画によって、思い馴れたる妻とも別れなくてはならぬ」
この解釈でも、光秀の心情を表しているのですが――
この『愛宕百韻』とは、
光秀と信長との“秘め事”=『計画』を、ずっと詠ってきているものなのです。
なので、あの『オシドリ夫婦』の句の解釈のように――
本能寺を襲撃する光秀を、
愛する者のへ会いに行く「男」つまり「夫」ととり、本能寺で待つ信長を「女」=「妻」ととると、
『親愛する信長様と別れなくてはならぬ』と、
より『計画』を前にしての光秀の心情を読みとることができる。
――ということで〈三折表〉は、
〈二折裏〉までの『福音書計画』自体の話よりと、
実行者の光秀の信長に対する想いを強く表しているように感じます。




