156『光秀暗号《五十五の謎》完全解読』
「五十五年をどうやって解釈したら、天正十年になるのか、それがしには……??」首をひねる、連歌師里村紹巴。
「――簡単なことですじゃ。そしてその意味は、……奥深い。」と、明智光秀は一人頷く。
「……もう!、焦らしはもう無しで御願いします」
「わかったわかった、五十五というのはじゃな、
……一、二、三、四、五、六、七、八、九そして十を、
――全部“足した数”なのである!」自慢げに主君信長のである調で〆始める光秀。
「うぬぬ……」
……今、必死で一から十を足している紹巴。
「本当ですね!……全部足した和は、五十五となる。
……しかし天正十年のことであるなら、何故『十年』ではなく、あえて『五十五年』としたので?」
「簡単なことじゃ、一年、一年はただの一年にあらず!
一年を一生懸命生きたその一年は、一年前より成長しておる。
天正一年から、二年、三年、と一年一年一生懸命毎年積み重ねて生きた、生きてきたその結果を、この《五十五》は指しているからである」
「なるほど、一年一年の頑張り・成長の積み重ねを――
その一から十までの『足し算』に込めておるのですな」
「である、
――また五十五とすれば先に述べた、
《福音書計画の始まり》を意味する、信長様の大好きな『囲碁』をも指すことにもなるからである!」
「……深い、深くていいですな!」と絶賛の当代きっての文化人・連歌師里村紹巴であった。
……もちろん、『愛宕百韻』の前日にこういうやり取りがあった記録は……当然無い。
が、しかし、翌日の『愛宕百韻』の時点で全く光秀に、信長に対する謀反の心が無く、しかも信長に公開されている中で――
『信長を討つ』と後世の人々が皆思うような、
「ときは今……」から始まる光秀の発句そして、
「花落つる……」から始まる紹巴の脇句を詠んだ意図を考えた時――
『信長の指示で、信長を本能寺において討つ』
――つまりは、《信長による『福音書』計画》――
という解釈が少なくとも拙者には、
どうしても一番しっくり来るのである。
――そして、そう解釈すると、同時期に詠まれたと推定できる、
光秀の『辞世の句』も、この解釈が一番しっくり来るのである。
そしてそして、この『五十五の謎』解読編は、もともと全く予定に無かったのですが……
歴史を暗号?を謎解くのが自分で面白くて面白くて、リアルタイムで思い付いたものです。
次回、
まだまだ『愛宕百韻』には隠された意図があるのだ!
好評の?!――明智光秀《全句》解釈シリーズ、
後半戦スタートです!




