153『五月二十七日、《愛宕百韻》前日の出来事』
○『天正十年・集大成』説
天正十年(1582)五月二十七日
――この日、『本能寺の変』の四日前、『愛宕百韻』を翌日にひかえたこの日の明智光秀の行動は――
『信長公記』によると日中に愛宕山に登り、愛宕神社奥の院にある天狗の太郎坊で祈願し、
その夜は、『改正三河後風土記』によると、
愛宕百韻前日に、
光秀が愛宕神社に一泊した際に同宿した連歌師・里村紹巴によれば――
光秀は終夜熟睡せず嘆息ばかりしていて、
「本能寺の堀の深さを問う」と紹巴に突然聞いてしまい、
紹巴に怪しまれて、慌てて「良い句を思案中」と光秀が答えたというような逸話がある。
……これをもとに、すでに信長が翌々日である二十九日に上洛して本能寺に入ることを予想して、謀反を思案していたのではないかという説がある。
――何故この日が、こういう記述が後世に残るくらい注目されるのか?
それは当然、翌日の連歌興行『愛宕百韻』において、
「ときは今……」で始まる通説では謀反の句を、光秀が詠むからである。
――しかし、本作で少なくとも本能寺三日前のこの『愛宕百韻』に参加している時点では――
光秀に“謀反の心”が無かったことは証明されている。
とすると……
『愛宕百韻』の前日の光秀、その《真実》はこうなる――
「六、六、六か……」
明智光秀は、当日愛宕神社太郎坊で“おみくじ”を引いたことを思い出していた。
御神籤は、籤には漢数字しか書かれていない。
横に立て札が立ててあり、一から十二までの数字が横一列にかかれてあり、各数字の下に、『大吉』『小吉』……『大凶』と各運勢がかかれてある。
そう、籤を引いて、そこに書かれた数字を立て札と照らし合わせ、引いた数字の下に書かれた運勢を見ることで運勢が解る仕組みになっている。
光秀は、籤を太郎坊で二度、三度と引いたと『信長公記』にある。
「……全て、三回とも“六”が出た」
光秀は愛宕神社の寝所で、胡座をかきながら目をつむり、今日のおみくじの結果の意味を考えていた。
が、そのままこくりこくりと寝かけていた。
「――光秀様、いよいよ明日ですね」
という突然の声に、
「うぬ?明日……そうじゃ明日本能寺を……
本能寺の塀の高さはどうじゃったかの?」
虚ろ虚ろしながら、声の主の方へに振り向く光秀。
そこには……
連歌師・里村紹巴が座っていた。
まさか……光秀の本能寺襲撃が知られてしまったか?
里村紹巴は、寝惚けている光秀に少し微笑みながら――
「光秀様、違いますよ、明日は連歌会の日ですよ」
……この対応、紹巴は光秀が「本能寺の塀の高さは?」と聞いたことに疑問を感じなかったのだろうか?
――次回、
ついに『エヴァンゲリオン計画』始動か?!
『光秀暗号完全解読』
乞う、ご期待!




