146『光秀の想い』
○辞世の句はいつ詠むのか?
辞世の句とは武士の場合、『常在戦場』――そういつ突然に敵に殺されるかわからないので、通常事前に詠んでおくものなんです。
怪我や病気で療養中とかなら別ですが。
つまり、辞世の句とは死ぬ瞬間に詠む歌ではないということです。
前もって詠んでおくものである以上――
明智光秀に関していえば、この辞世の句は、この本能寺の変の三日前である『愛宕百韻』の時点でもう詠んでいた可能性が高いことを意味します。
そうなんです、実際に光秀が死ぬのは……
本能寺の変の後、羽柴秀吉との『山崎の合戦』での敗戦のあとです。
しかし、『本能寺の変』自体が軍事行動である以上、それが信長への謀反的行動であっても、それが信長による指示での忠誠的行動であっても成功するとは限らないのです。
どちらにしても数万という大軍が戦闘行為をするために本能寺を襲撃することに違いはないからです。
そうなんです、本能寺の変が成功するかどうか確定していない以上、その戦闘中に死ぬ可能性は必ずあるわけなので、
光秀は本能寺の変という軍事行動をする前に辞世の句を詠んでいたと、推定できるのです。
そうだからこそ、
光秀のこの世を去る前に詠んだ辞世の句が――
西行のこの世を捨てる前に詠んだ出家の句と似ているのは、重要な意味を持つのです。
何故ならそう光秀が愛宕百韻で西行の歌を引用したのは――
そして辞世の句を西行の出家の句と似せて詠んだのは、同じ時期の心情からでた言葉だからです。
そうつまり、光秀は西行の生きざまに共感していたからなのです。
そしてそれはまた信長を殺して天下をとる、つまり生き続けることを光秀がこの時に考えていたことではなく――
自らが死ぬことを、この『愛宕百韻』の時点で光秀が考えていたことが解かるのです。
その上で、
心しらぬ人は 何とも言はばいへ
身をも惜まじ 名をも惜まじ
この『真書太閤記』の光秀の辞世の句は、
実は通説の解釈では――
「私が“朝廷”のために信長を討ったという理由を知らぬものは……」
というように、“”の間に例えば「将軍」・「天皇」等の黒幕がいると解釈して、大義のために信長を討ったと解釈されているのですが――
しかし、この『愛宕百韻』の絶対条件が、
信長に知られてもいい内容・解釈の句を詠むことである以上――
明智光秀があえて『謀反決意表明』もしくは『謀反心があると解釈される』ような発句を詠むはずがない。
なのに後世、誰でも謀反の句と解釈されるような句を詠んでいる以上、これは謀反の句であるはずがないのである。
つまり、光秀に《謀反心》がない以上、
同様に、この本能寺の変三日前に――
反信長の辞世の句を詠むはずがないのである。
――こうして連歌の句を中心に光秀の心情を解き明かしていくと、
明智光秀に謀反心など一切無く――
その根底には、大歌人西行法師のように、
当時ではもう高齢の老人である光秀か、「自らが望む臨終を迎えたい」という、西行の生きざまへの“憧れ”を、感じることができます。
そしてそれは、
大恩ある主君織田信長のために、
信長による『福音書計画』を実現させたい!
そのために、老い先短い自らの人生を捧げたいという――
光秀の信長に対する忠誠心という愛情を、少なくとも拙者は感じるのです。
次回、
実は光秀『辞世の句』は、もう一つあった!
その句も、果たして信長への愛情表現なのか?
乞う、ご期待!




