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145『光秀、辞世の句』

西行が出家する時に詠んだ句――


 惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな

      身を捨ててこそ 身をも助けめ

                 『玉葉和歌集』


〈解釈〉

惜しむといっても、惜しむほどの値打ちのあるこの世でしょうか。

この身を捨ててこそ、身を救うことができるでしょう。


――という西行の出家への固い決意のもと、

愛する我が子を縁側から蹴飛ばし、意を決して武士の証である髻を切り取ったという、当時の文化人なら誰でも知る西行の故事――


それを《法華寺の変事》での自ら受けた信長の行為、

信長の最も信頼する光秀を縁側まで引き釣り出し、欄干に髻を掴んで打ち付け、武士の証である髻のカツラがとれるという事件。


この事が、この信長との思い出が、光秀の念頭にあったからこそ、西行の句を引用したのではないか?

と拙者は推察するのです。


もちろん、

「そもそも光秀の句が、西行の歌を引用したものという説自体が、作者の想像の産物であって――

その説と法華寺であったかもしれない事件が符合すると言われても……」と感じる読者も。


またまた的確な反論なのですが………

しかしいったん、その光秀の思いが《真実》として、

光秀が《本能寺の変》のあとで詠んだ――

『辞世の句』を読んでほしい。



 心しらぬ人は 何とも言はばいへ 

     身をも惜まじ 名をも惜まじ

               『真書太閤記』


〈解釈〉

私の心を知らぬ者は、“裏切り者”でもなんとでもいってくれてよい。

私は目的のためには自らの体も惜しまないし、悪名がついてもそれで名を惜しむこともない。



………この光秀辞世の句、西行の世を捨てる時に詠んだ句と、あまりに内容が似ていませんか?


――ということなんです!



読者「だからどうなの?」

拙者「だから……の続きは、当然次回です!」


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