144『連歌に秘められし“憧れ”』
○西行から解る、光秀の《真意》
《法華寺の変事》までの流れを振り返ると――
47 舟は只 月にぞ浮かぶ 波の上 宥源
46 おもひに永き 夜は明石がた 光秀
この47上句と46下句でできた一首の解釈――
宥源「明智光秀様、波のように揺れる思いもおありと存じますが……
あなた様の名前のように、満月の「光」が、光秀様と織田信長様による計画を「明」るく照らしてくれますよ」
光秀「うむ、そうじゃな。
……しかし、計画のためとはいえ、それが信長様自身の望みとはいえ……主君信長様を討ち果たすことは、悩まずにはおられない。
……ふぅ、気付かぬうちに夜が「明」けて、朝の「光」が差し込んできた」
この短歌の意を受けて、光秀の“悩む想い”を知った心前が詠んだ句が――
48 所々に ちる柳陰 心前
この句の、「柳陰」は、柳の木の陰のことで――
避暑、つまり「暑さを避ける」ものから、「涼やか・やすらぎ・ひと休み」等の語感がある言葉である。
そしてこの『柳陰』を歌枕とした有名な歌が――
道の辺に 清水流るる 柳陰
しばしとてこそ 立ちどまりつれ
『新古今和歌集』
この平安の大歌人・《西行法師》が詠んだ超有名句を、
心前が引用して前の句を詠んだことに気付いた光秀は――
49 秋の色を 花の春迄 移しきて 光秀
と、心前に合わせ西行の歌を連想させる歌を詠む。
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
その如月の 望月のころ
この光秀が引用した、『新古今和歌集』にのるこの西行の短歌は、あまりにも有名な歌で――
『願うなら、花咲誇る春の日に亡くなりたい。
――そう、お釈迦様の亡くなられた二月十五日の頃に』となる。
――そして、西行はその歌のとおり二月十六日に亡くなったことで――
後世の者から《理想の死の迎え方》と羨望・憧れの人生の終え方の例えとなっている。
これを踏まえて、48下句と49上句を合わせると――
光秀「もう儂も六十七歳の老人じゃ、
かの西行法師のように、自らの願いどおりに死ぬことを考える時期が、もう来ている」
心前「西行法師が詠んだ歌のように、最期の時は、自らの願いを叶えて――
心涼やかに自らの死を向かえたいですね」
――この連歌の句に秘めた、
憧れの『西行の生きざま』の流れを踏まえて、
次のページに再度掲載した西行の出家の歌を――
もう一度、読者様に読んでほしい。
――次回こそ、『光秀、辞世の句』
……人は死を思う時、何を願うのか?
乞う、ご期待!




