141『信長による光秀殴打事件』
○光秀、本能寺襲撃をを決意か!?
西行法師が、出家時に我が愛する娘を――
突然に縁側で蹴飛ばした事件。
……これと類似する明智光秀の事件と言えば――
織田信長が、諏訪法華寺での祝勝会の時に激怒して、最も信頼する光秀を――
突然に縁側まで引き釣りだして、欄干に光秀の頭を打ち付けて負傷させた事件である。
これはかなり有名な《事件》で、
『祖父物語(朝日物語)』『川角太閤記』等に記された逸話であり――
事件の場となった法華寺には現在、立て札で事件を紹介されているくらいである。
また似たような事柄が、『明智軍記』や『稲葉家譜』等に記されている。
『明智軍記』によると――
これは、もともと美濃の稲葉一鉄の家臣であった斎藤利三が、明智光秀に仕えて、重用されていました。
それを知って怒った稲葉一鉄は、主君である織田信長に斎藤利三を返すよう直訴しました。
織田信長は、明智光秀に斎藤利三を返すよう裁定を下したが、
光秀は「利三を家臣とするのも、信長様への恩返しをするため」と答えて、信長の命令を拒否しました。
激怒した織田信長は、明智光秀の髻を掴んで突き飛ばし、脇差を抜こうとしました。
それに驚いた明智光秀は、その場を逃れてなんとか事なきを得ました。
――そして同様な場面を記した『稲葉家譜』では、
もっと酷いエンディングが、光秀に待ち受けております。
斎藤利三の件で、怒りの治まらない信長は後日光秀を呼び出し、光秀の頭を二度三度と叩いた。
光秀は髪が薄くいつも附髪=カツラを用いていたが、叩かれたはずみで附髪が落ちてしまい、光秀は大きな恥をかき信長を深く恨んだ。
最後にこの『稲葉家譜』は〆で、
「このことが本能寺の変の原因になった。」と断定しているくらいである。
正直、拙者ですら……
各文献で紹介した『信長による光秀殴打事件』が、史実なら――
さすがの忠臣光秀でも謀反心を抱いても……仕方がないと感じてしまうくらい、あまりに酷い事件です。
……ただこの事件が載る文献は全て、信頼性が低い二次資料・三次資料と呼ばれるもので、これが『史実』起きたのか?
というと……確定はされていない。
というか、光秀が『本能寺の変』を起こしたのは事実なので、
「何故、光秀は謀反したのか?」と作者が考え、きっかけとなった話を創作しただけという説もある。
ただし、宣教師ルイス・フロイスの記述にも、
信長が光秀を殴打したとの内容があるため、全くの作り話なのかというと断定できない。
そう実際に起こったかどうかは別としても、
当時の人々が、光秀が突然裏切った事実から、こうした噂話が広がったのは間違いないであろう。
そしてこの『信長による光秀殴打事件』の逸話は――
『本能寺の変』の通説中の通説、
光秀の信長に対する《怨恨説》の根拠の一つとして、よく引用されてきたのである。
次回、
織田信長は本当に『明智光秀を殴打』したのか!?
《本能寺の変》の最大の原因――その真実迫ります!
乞う、ご期待!




