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138『いにしえの歌人・西行法師からの……』

○連歌とは 古典と今を 結ぶ糸    拙者


連歌は、その詠われた言葉そのものだけでなく――

その言葉を古典から引用したかどうか等を、お互い探り合う楽しみもあります。

そしてその引用された言葉から、《本能寺の変》の真実に迫っていきます。

 

48 所々にちる柳陰          心前


この句の、「柳陰(やなぎかげ)」は、柳の木の陰のことです。

そして実はこの『柳陰』を歌枕とした有名な歌があるのです。

――それは平安の大歌人と呼ばれる、

戦国時代からさかのぼること約四百年前の伝説的な歌人――

西行(さいぎょう)法師』の歌です。


 道の辺に 清水流るる 柳陰 

  しばしとてこそ 立ちどまりつれ

               『新古今和歌集』


<解訳>

(暑い夏の日に詠んだ句なので――)

道のほとりに清水が流れている柳の木陰よ。

ほんの少し涼もうと思って柳陰に立ち止まったが、あまりにも心地好くてつい長居をしてしまったよ。


――この句は、かなり有名な句なので、それを連歌師心前が、この連歌興行で引用したとも解釈出来ます。


そうつまり、これは46の主賓の光秀の句――

46『おもひに永き夜は明石がた』の解釈、

「夜が開けたのも気づかぬくらい、計画のことで悩んでいる」を受けて――


「色々と思い悩むことはあるかとはおもいますが、

今はまだ和やかなる連歌興行中ですので、この心地好い一時を楽しみましょう」ととる。


49  秋の色を花の春迄移しきて     光秀


この句は、心前の詠んだ48の句を受けての、

この光秀の「春」を用いた句からは――

光秀も西行法師の詠んだ和歌をもとに引用したとのでは?

との推察もできる。


――というのは連歌の面白いところですが、48の句を詠んだ里村紹巴の一番弟子・心前は、別にこの句は「西行法師の歌を引用・参照しましたよ」と皆に伝えるわけではありません。


逆に回りの者が、この詠まれた句はどういう意味か、そして何かの句の引用や参照をするという高度な技術を使われたのか、それを詮索して、次にどういう句を詠んだらいいか考えるわけです。


なので、心前が西行法師の句を引用したのに気づいて、また次に続く句を詠む者が、あえて西行法師の関連句を詠んだのなら……

暗に「貴方の先程詠まれた句は、西行法師の歌を参考とさなれたのを解りましたので、私も合わせてみました」というように――

連歌は読み合う歌をもとにお互いを察し合うという、

『古典』の引用テクニックなどから詠む者の教養の高さも示せる、また教養の高さが解ってしまう文芸ゲームなのです。


――なので、簡単にいうと48が西行法師関連と気づいた信長政権随一の教養人といわれる光秀が、

49『秋の色を花の春迄移しきて』で引用した歌は――


 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ

   その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ

             『新古今和歌集』雑下



というこの西行法師の詠んだ短歌では?と拙者は推測している。

何故この句から光秀が、引用したと推察できるかというと――


……実は、この西行法師の歌が、

この歌に込められた、そう“西行からのメッセージが”――

《本能寺の変》の謎を紐解く、鍵となるからなのである!



次回、

西行と光秀の思いが繋がる時、

――《本能寺の変》はついに動き出す!


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