131『真実の愛宕百韻』
――では、連歌師里村紹巴が詠んだ『愛宕百韻』第三句目の解釈は、どうなるのか?
03 花落つる池の流れをせきとめて 紹巴
――この句自体は、紹巴が光秀の謀反に賛同した場合の解釈とほとんど同じになる。
つまり、「花おつる」は信長の首で、「池の流れ」は今までの信長の政策『天下布武』を指し、それを「塞き止める」。
そう、信長の死によって信長による『天下布武』政策が終わりを迎えることを意味する。
これだけだと、紹巴は信長が死んでほしいと思っている印象だが……
連歌の場合は03の紹巴か詠んだ上の句は、その直前に詠まれた02の行祐の下の句を受けての短歌一首の完成を目指す文芸ゲームなので――
花落つる池の流れをせきとめて
水上まさる庭の夏山
となり、そうこの一首は――
光秀の01発句からの流れも受けて、
織田信長が救世主――そうキリストとなりて命を捨てる。
朝廷を正に越えようとする、今がその時である。
――となる。
もちろん、ここまで読んだだけでは読者様も、作者が勝手に作品に合う解釈を取って付けただけにみえるかも知れませんが……
しかし、この『愛宕百韻』全体の謎が解け――
その全てが『エヴァンゲリオン計画』を指し示す時こそ、
この連歌興行という《儀式》の真実が明らかになるのである。
09 秋は只涼しき方に行きかへり 行祐
――この句は、
「秋」は「とき」と読むことがあるので、
時はただ、行きつ戻りつしつつも、「涼しき」つまり戦乱の熱が冷めていつかは『平穏』となるであろう――
となる。
10 尾上の朝け 夕ぐれの空 光秀
――この句は、
「尾上」という地名を「お上」とかけている。
つまり“お上”、そう主君である信長の朝は――
夕暮れのように赤く空が染まっていた。
という、早朝に信長がいる本能寺へ襲撃の決行と、その時に本能寺から立ちの上る炎が空を赤く染めている情景を指している。
そう、つまりそれは『本能寺の変』のスケジュールが、織田信長と光秀の間で段取りが付いていることを意味する。
そして09の上の句と10の下の句を合わせる一首とすると――
秋は只涼しき方に行きかへり
尾上の朝け 夕ぐれの空
となり、
『本能寺の変』で一時、戦乱の世に戻ったように感じても……
計画が成功すれば平和な世が来るであろう。
となる。
16 ただよふ雲はいづちなるらん 行祐
――この句は、「漂う雲は、どこかにいってしまった」と解釈できる。
17 月は秋秋はもなかの夜はの月 光秀
――この句の「もなか」は、『満月』のことなので、計画が満たされる、つまり成功することを意味する。
また月が二つあるのだ、合わせると、朋友の「朋」となる。
信長にとって、光秀は命を預けられる朋友であり、
当然それだけ信頼してくれる信長のことを光秀もまた朋友と感じている。
また満月と置き換えると、実はこの句には月が三つあることになる。
そう月が三つもあるから、“ツキまくっている”という駄洒落で縁起を担ついだとも、拙者の全くの勘ですが……とれる。
そして16の下の句と17の上の句を合わせるて一首とすると――
月は秋秋はもなかの夜はの月
ただよふ雲はいづちなるらん
となり、信長による『福音書計画』が成功すれば――
満月が地上を隅々まで照らすように、今まで空を覆っていた雲も無くなるだろう。
そうつまり、世を覆っていた戦乱も無くなるだろう――
という解釈になる。
――というように、連歌は前に詠まれた句をもとに、また前に完成した短歌をもとにして、次の句を即興で詠むものです。
つまり連歌は、即興で早い者勝ちで詠む以上――
そうして思いついた歌というのは自らの心情を包み隠せずに、
そう心情を吐露してしまう可能性が高いのでは?
と思うのです。
――だからこそ、《織田信長公認》の連歌興行という前提にたって『愛宕百韻』を考察することは――
事件を起こした明智光秀の真の心情、そして変の真実を推察するためにとても重要なものなのです。
……ということで、次回も光秀の句の解釈が続きます!




