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126『挙句の果て』

挙句(あげく)の果て

【意味】いろいろやってみた最終的な結果。

【語源・由来】

「挙句」とは連歌や連句の最後の七・七の句のこと。

最後にくる句であることから、「悩んだあげく」等と最終的な結果や結末を意味するようになり、『挙句の果て』は、それをを強調するために、同じ「結末・結果」を意味する「果て」と合わせたもの。



明智光秀が嫡男・光慶が詠んだ――

この『愛宕百韻』最後の一句、そう挙句は、


 『国々は猶 のどかなるころ』


であり、

その挙句を詠んだ、「挙句の果て」に登場したのは――

織田信長が嫡男・信忠であった。


――このことが小説ではなく、論説として非常に重要となってくるのは言うまでもない。

そう五月二八日の『愛宕百韻』が行われたその日に、織田信長の後継者織田信忠が、そして史実――

明智光秀による『本能寺の変』において信長と共に葬り去られたこの信忠が、この日愛宕山にいるというのは、通説では当然ながらあり得ないことであるからだ。


何故なら通説では光秀が謀反の決意表明をしたとされる、

五月二八日の愛宕百韻から、五月最終日である二九日ときて、六月一日の夜に本能寺を襲撃するため明智光秀が出陣する一連の流れの、正に起点の日である。


そう『明智光秀謀反への道』のスタートの初日に、

《本能寺の変》のターゲットの一人織田信忠と同じ場所にいたということがもし真実ならば……

今まで語られてきた『本能寺の変』の真相の全てが一瞬にして、間違いになってしまうからてある。


そう何故なら、織田信忠がいるその場所で、

――明智光秀が謀反の決意表明をする訳が無いからである。


そしてまた、もう一つのある重要なことも意味しているからだ。

それは何かというと――


織田信忠が愛宕山にいた場合――

明智光秀には謀反の決意表明どころか、

――『謀反の意志』自体が無かったことすら解るからである。



それは何故か――



そもそも後世、いや事件後直ぐに羽柴秀吉に『光秀の謀反の決意表明』と既に疑われている様な解釈が、そう誰でも謀反の句と解釈できる様な発句を――

主君の後継者の前であえて詠むだろうか?


そんなことは、あり得ない!


と誰でも思いますよね。


……だが光秀は、あの発句を信忠がいる場所で詠んだ――

そう、もし光秀に謀反の意志があったとして、誰が聞いても謀反が疑われてしまうような句を、その可能性がある句をあえて信忠の前で詠むだろうか?ということだからだ!


それなのに事実――

あの発句を信忠の前で詠んだということは、

そうあの発句は謀反の決意表明でも、いや謀反の決意ですらなく、また単に五月雨の情景を詠んだものでもないということである!


そうつまり、今まで明らかにされて無かった発句の――

新解釈か存在することが……

いや新解釈でなく、

光秀の《真意》が明らかになる!ということなのである。


そして明智光秀の真意がもたらした行動の“挙句の果て”に……

《本能寺の変》が起こるのであった!



次回予告


織田信忠がその日その時、愛宕にいた『証拠』が提示される時、

真実の《本能寺の変》が動き出す。



次回『織田信忠』



――乞う、ご期待!



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