120『Re: 秀吉VS. 紹巴[第2ラウンド]から、始まる反撃のゴング!』
「しかし、私の日記には――
“下なる”と記されておりますゆえ、
この句、
『ときは今 あめが下なる 五月かな』
は、私が解釈するには『五月雨の句』で間違いありません!」里村紹巴は、そうはっきりと言い切った。
「そ……そうであるか」
あまりに紹巴がはっきり言い切るので、少し圧倒され、主君織田信長の口癖“である調”になった秀吉。
しかし――
「……ちょっと待て、紹巴よ。
儂もお主のこと疑いたい訳ではないが……
歌は文字数が少ないゆえ、一文字一文字が大事である、そうじゃな?」
「はい、左様でございます。
だからこそ、私は下なるの“な”一文字を説明するためだけに、
これだけ頑張っているのです」
「実は……儂もそう思って、あの愛宕での百韻連歌が記された懐紙を――持ってきたのじゃ。
一文字違いは大違いであるからじゃ」
「は……い?!」
突然のことに変な返事をする紹巴。
「ま、まさか……持ってきたとは?
……写しとかでなく、愛宕神社から直接、それを……」
「当然じゃ、写しでは一文字違っても、
――写し間違えたと言われれば、済んでしまうからじゃ」
「しかしよく神社から、奉納されたものをもってくることが……
……天罰とかは……」
紹巴は少しでも助かりたいと粘って聞いてみるが……。
「儂を誰だと思っておる、主君信長様を裏切った憎き光秀を討ち果たしたのはこの秀吉であるぞ!
信長様の家臣たちの中でも、仇討ちを果たしたこの儂は――
いまや最も神である信長様に近い男、であるからじゃ。
――天罰など恐るに足らん!」
と言って、愛宕神社から持ってきた連歌が書かれたる懐紙を広げる秀吉。
「……。」その様子を息を飲んで見守るしかない紹巴。
「なになに……
光秀の発句は――
ときは今 あめが下しる 五月かな 光秀
と書かれてあるな。
――ということは、紹巴!
光秀の発句は、やはり“下なる”ではなく、“下しる”で確定じゃな」
というなり、もう問答無用と刀を抜く秀吉。
「これで光秀の謀反の句を、お主が知っ……」
怒鳴りつけようとする秀吉であったが……
何故か微動だにしない紹巴。
もう怯えたりじたばたしても駄目だと、覚悟を決めた紹巴は、
「そんなはずはありません!
この連歌において右に出るもの無しと言われたこの紹巴、
歌を覚え間違えることはありえません!」と堂々と言い張る。
「ではこれはなんじゃ?
愛宕神社から儂が直接持ってきたこの歌は?
――これを光秀めが謀反を決意した証拠と言わず、なにをいうのじゃ!」
「羽柴様、落ち着いてください。
それを愛宕神社から持ってきたとしても、確定にはなりませぬ」
「なに?!奉納されたものをもって儂が持ってきたのにか?」
「はい、左様でございます。
連歌興行が行われ、その後、本能寺の変が起こり、そして羽柴様が光秀を倒し……今日まで二週間以上たっております」
「なぬ、お主しもしや……」
「はい、その羽柴様が持ってきた懐紙、それに記されたる連歌が――
偽造されている可能性も無きにしもあらず、です」
「……うぬぬ、まさかそんなことが……」
「羽柴様、私は毎回自らが参加した連歌興行で詠まれた歌をを必ず――
一文字も違わす書き写しております。
その証拠がこの日記でありますれば――
私にいわせれば、その懐紙に記された歌こそ改竄されていると申させて頂きます」実は紹巴自身が、この日記を改竄しているのに、ぬけねぬけと言う。
「しかしなんのため、奉納された発句を改竄するなど……」
「私にはわかりませぬ、ただ誰かが私に罪をなすりつけたいと思っているとか、当代随一の連歌師と呼ばれる私めに嫉妬する者も多いのかと……」
「う~む」まだ完全には納得してない秀吉。
すると突然紹巴は、感極まったように瞳からボロボロと、涙を流しながら――
「……この紹巴が、そう信長様とも親しく歌を読みあったこの紹巴が、この私めが……英雄であり、歌詠みの友であった信長様が……
そう私めが一番信長様が亡くなったことを悲しく思っておりますのに……」
そう言うなり、ガバッと地面に伏して頭を着けながら、わ~んと号泣する紹巴。
「……」
奉納された連歌が、改竄されたものだと言い張られれば……
直ぐにそれを否定すだけの根拠も証拠も出てくるはずもない。
しかも、主君信長を英雄と称え、しかも号泣するほど信長の死を悲しんでいる。
「……解った、これにてこの件は終わりじゃ」
「ということは……」
「お咎め無しとしてやろう。
――その代わり……」
「その代わり……?」
「――儂に連歌を詳しく教えてくれぬか?」
「もちろんでございます」
「うむ」
ようやく笑顔を見せる秀吉。
紹巴と連歌解釈合戦をしているうちに、今まで以上に連歌に興味をもってしまった秀吉であった。
この話、『常山記談』によると――
紹巴は自分の日記の該当個所を改竄し「下しる」を「下なる」と書き直した上に、しかも、奉納された本文はもともと「下なる」とあったのに、何者かが「下しる」と上書きをし自分を陥れようとしたのだと涙を流して必死に弁明したので、秀吉は許したとある。
そして1586年、この連歌問答から四年後――
62歳になっていた里村紹巴は、『連歌至宝抄』という連歌論を著し、豊臣秀吉に献上したのであった。
――ということで、連歌問答はようやく終わりましたが――
実は今回の話に『明智光秀謀反決意表明説』を、見事にひっくり返す、根拠がなんと隠されているのです!
――ということで、久し振りにクイズです!
大反論の根拠となるのは、次のうちどれか?
一、愛宕神社に奉納された連歌
二、里村紹巴の日記
三、『常山記談』
四、新たな連歌解釈
答えは、当然――
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