117『二本の扇』
儂が織田信長公と出会ったのは……
たしか……
次の足利将軍となる義昭様を入洛させる、信長公の上洛戦が終わった時……じゃったな。
「紹巴よ、この扇はなんであるか?
――しかも二本ある」
四十歳を超えた里村紹巴は、年齢の半分くらいである青年――
織田信長の声に笑顔で答える。
「はい、信長様の多大なる尽力もあり、義昭様を将軍としてお迎えできました。そのお礼でございます。
やはり室町様は、この京都にいて頂けるほうが、京の民は安心しますので」
松永久秀による、足利十三代将軍義輝暗殺以来――
もう何年も室町将軍が京に落ち着くことはなかったのであった。
「……お礼、この二本の扇がであるか?」
「はい、答えの代わりに、一句詠ませて頂きます」
「であるか」
当代一といわれる連歌師紹巴の歌を、目の前で聴けるのだ。
信長は嬉しそうに紹巴を見つめる。
「――では、
『二本手に 入る今日の 悦び』
――でございます」
「にほんてに……
はは…そうであったか!
さすがは紹巴!めでたい歌を詠むであるな」
信長青年のキラキラした瞳に、笑顔で答える紹巴。
「ありがとうございます」
「この国を、余がこの日本を手にするということであるか?」
「はい、もちろん将軍様と共にですが、この国の平穏の為に」
「であるな」信長は少し厳しい顔をしながら……
「あとはあの将軍様が、しっかりしてくれれば……であるがな」
「はい、そうでございますね……」
最近の、将軍家跡目争いばかりの状況に紹巴も顔を曇らせる。
「……まっ、どうなるかは、後々のことである」
そういうと、信長は二本の扇を、一本づつ両手に持って、即興で舞いなから――
『舞ひ遊ぶ 千世万代の 扇にて』
と、先程の紹巴の歌への返歌を詠う信長。
「さすが信長様、自らが二本の扇で楽しげに舞っているのと、
これから世が安定して、みなが喜び舞い遊べるような日本になることを――かけていますかな」
は、は、はははは……
二人で楽しく笑う信長と紹巴。
歌を詠み会うのは、この時代のコミュニケーションツールなのであった。
この二人が詠んだ歌は、永禄十一年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛した際、里村紹巴が扇二本を信長に献じた際の歌で、小瀬甫庵の『信長記』に記されております。
……あの時の信長公のほがらかな笑顔、今でも想い出す。
そして、誰もが断った義昭様のご上洛を颯爽と成し遂げたあの行動力・決断力。
優しさと強さを合わせもつ凛々しい青年の姿に――
……あの時、このお方こそ、この乱世を終わらせる英雄ではないかと感じたものじゃ。
……しかし、これは……
な……なんということじゃ……
里村紹巴の目の前に置かれたるは、前の者たちが詠んだ歌を書き写した――懐紙。
歌は詠まれる度に「主筆」といわれる書記によって書き記されていく。
――発句の明智光秀、脇句の行祐の句でできた、この一首、
これはどう見ても、
『光秀殿が信長公に取って代わって天下をとる』と読めてしまうではないか……
儂は……
儂は……この短歌に対して、なんと答えれば……
……いいのじゃろう?
次回予告
果たして里村紹巴は、信長の敵か味方か……
謎が謎を呼ぶ連歌解釈に終わりはあるのか……
次回『連歌師・里村紹巴』
その言葉、その歌われたその想いは、誰へと誘う……?
――乞う、ご期待!




