116『花落つる 池の流れを せきとめて』
ときは今 あめが下しる 五月かな 光秀
水上まさる 庭のまつ山 行祐
第一句と第二句を合わせて一首となったこの短歌――
この五月に、土岐源氏の血を引く私(光秀)が、
今こそ天下をとる時がきたのだ!
そして、この源氏である光秀の勝利を、朝廷が待ち望んでいる。
光秀『謀反決意表明説』では、この解釈となる。
そして、その『反織田信長』の短歌を受けて、
当時の高名な連歌師である里村紹巴が詠んだ第三句は――
『花落つる 池の流れを せきとめて』
この句、一見しただけで、「花落ちる」や、「せきとめて」漢字表記で「塞き止めて」と、否定的イメージの言葉が連続で出てくることに気付きます。
その否定的な意味をあいを受けて、この里村紹巴の句には――
実は二通りの解釈があります。
「花が落つる」の一つ目の解釈ですが――
光秀が所属するのはもちろん織田信長政権なので、
その政権のトップ・主役である信長を――
つまり演目であれば“花形”である信長を「花」と例え、
それが「落ちる」つまり、信長の死を暗示している、という解釈があります。
この解釈から、「池の流れを塞き止めて」いるのは……
討たれた“信長の首”という残酷な情景を想起させるのです。
それで、ここが連歌の面白いところなんですが、
第三句目は上の句五、七、五を詠むことになるのですが、連歌は詠む度に短歌を作っていく文芸ゲームなので――
下の句七、七を、前の句である第二句をまた使って完成させるのです。
つまり、
《第三句》 花落つる池の流れをせきとめて 紹巴
《第二句》 水上まさる庭の夏山 行祐
となり、短歌が一首できます。
そしてこの短歌の解釈は――
信長の首を落とすことによって、
『天下布武』の流れを止める為に――
この源氏である光秀の勝利を、朝廷が待ち望んでいる。
と、またまた明智光秀の『謀反決意表明説』を後押しするような、短歌の解釈となる。
しかし、この『花落ちる…』の第三句を読み上げた連歌師里村紹巴――
さすが当代一の連歌師だけあって、なかな面白い句を詠むもので、
なんと、この句頭『花落ちる』のもう一つの解釈は、
今までの解釈とは正反対の――
明智光秀の謀反を反対している!――という説もあるのだ。
「えっ、という事は……まだ連歌解説続くの?」読者
「あっ……あと少しだけ、続きます……たぶん」 拙者
……なぜ、ここまでこの『愛宕百韻』に拙者が何ページもかけて述べているかというと、
この連歌興行の審判である宗匠を務める連歌師里村紹巴、
この人物が『エヴァンゲリオン計画』の鍵を握っている可能性が、現在調査中ですが高いからです!
次回予告
……とうとう連歌の話も終わりか?
信長の計画に突如現れた、謎の連歌師里村紹巴!
その読み上げたる言葉に、いかなる想いに込めたのか?!
次回『連歌師・里村紹巴』
その存在が、全てを動かし始める――




