115『連歌興行』
――少し連歌の流れを述べますが、この内容が後々大きな意味をもってきます。※「」内、連歌用語
連歌会のこと連歌「興行」と呼び、
一番最初の句の五、七、五を「発句」というが、必ずその会の主賓が詠むことになっている。つまり『愛宕百韻』の主賓は明智光秀なので、発句も光秀が務めた。
次の第二句目、七、七で詠む「脇句」は会を催した亭主が詠むので、愛宕西之坊威徳院住職の行祐が務めた。
第三は連歌の監督・審判役である「宗匠」が詠むので、この会の宗匠である連歌師里村紹巴が務めた。
今回の場合、連歌の参加者である「連衆」がまず順番に全員詠んだあとは、「出勝ち」と言って連歌を思い付いた者が発表する形になっている。だから、連歌に意欲的な者や、色々な想いや感情を吐露したい者の連歌の句数は他の者より多くなっていく。
――つまり、明智光秀が、多くの句を詠んでいることから、この数日後本能寺の変を起こした光秀が、積極的にこの連歌興行に参加していることが解る。
そして詠まれた各句は、宗匠によってルールである「式目」に抵触するか否か等が判定され、場合によっては句を戻されてしまうこともある。
一番最後の句となる「挙句」までいくと、懐紙の余った部分に「句上」と称して、一座に加わった連衆全員の名前とその横に各々が読み上げた句数を書きます。
――つまり、前のページのメンバー表のように、誰が参加し誰がどれだけ句を詠んだかが――直ぐ解るようになっています。
この連歌の流れを踏まえた上で、
改めて『光秀謀反決意表明説』を考察してみる。
この連歌に光秀の謀反の意が込められていたとするなら、
発句だけでなく、第二句も検討する必要がある。
何故なら、最初の者が詠んだ発句五、七、五と、次の者が詠んだ脇句七、七で、短歌が一首完成するからです。
つまり、二句目は亭主である威徳院住職の行祐が詠んだ、
『水上まさる庭のまつ山』
ですが、合わせて短歌としますので、
ときは今 あめが下しる 五月かな 光秀
水上まさる 庭のまつ山 行祐
となり、「水上まさる」というのは、
光秀が源氏、信長が平氏とすれば、
「源氏がまさる」という意味にもとれる。
「庭」は、古来朝廷という意味でしばしば使われている。
「まつ山」というのは、「待つ山」のように待望しているというときの常套句である。
つまり、第二句では第一句を補強し、
源氏である光秀の勝利を朝廷が待ち望んでいる――という意味になる解釈がある。
そう、この解釈でいけば、本能寺の変『朝廷黒幕説』ともとれる。
つまり天皇を自らの城――安土城に勝手に移そうとする朝敵織田信長を、朝廷から勅命、または密命を受けた忠臣明智光秀が討つ!
という説にも発展していくのだ。
その上で、改めてこの連歌興行を振り返ると――
この『愛宕百韻』は、亭主である愛宕山の西之坊威徳院住職の行祐が、光秀を主賓として呼んだものである。
そして、光秀が詠んだ『織田信長打倒!』の決意表明である発句を、まさに脇句で補強した行祐も光秀の信長への謀反の意志を知っていた、
または発句を聴いて光秀の真意を悟って、発句の内容に合わせてあげたことになる。
つまり、この後に『愛宕百韻』と呼ばれる連歌興行は――
その興行を開いた亭主からが、反信長の光秀派だということなる。
そう考えて連歌を読むと、
そう、この『愛宕百韻』を打倒信長!との思いで見ると、そう見えてくるのがまた連歌の面白いところで――
興行の三番手に詠む――
今回の連歌の審判、つまり宗匠である、連歌師里村紹巴も実に――
『反織田信長』的な句を読み上げるのです。
「えっ、ということは……
まだ光秀『謀反決意表明説』が続くの?
もうそれだけ出てこれば、説ではなく確定事項では?」と読者の声。
……そう、もう確定したようなこの光秀『謀反決意表明説』が、
見事にひっくり返えるところに――
『異説』の醍醐味・面白さがあるのです!
さぁ、次のページで完成する光秀『謀反決意表明説』が、
いかに論破されるか、いかに崩れ去るか――
乞う、ご期待!




