114『ときは今 あめが下しる 五月かな』
○通説:光秀『謀反決意表明説』
ときは今 あめが下しる 五月かな
まずは通説では謀反の決意表明と言われる、
この明智光秀が詠んだ発句――
それの何が問題なのか?を詳しく述べるためには、
この発句が、通説である明智光秀の『謀反の決意表明説』を、もっと詳細に分析する必要があります。
そしてその説に、しっかりと反論できた時、はじめて――
本当の光秀の心境、そう光秀の真意が明らかになるからです。
この五月に、
土岐源氏の血を引く私(光秀)が、
今こそ天下をとる時がきたのだ!
と、光秀の発句を解釈するのが通説です。
詳しく述べると――
「ときは今」を、
“土岐氏は今”と光秀の出自、土岐(源)氏とかけている。
また字義通り、“今がその時”という意味も込めている。
また土岐氏は源氏の名門であるので、源氏を名乗ることで、平氏姓を名乗ったことがある織田信長を平氏と見立てて――
平清盛、源頼朝・鎌倉将軍三代、北条氏(平氏)・執権体制、足利尊氏(源氏)・室町幕府、織田信長(平氏)という源平交代思想から、次は源氏姓の私、この光秀の番である!となる。
「あめが下しる」は、参考文献によっては――
「天が下しる」と漢字がふられてある。
つまり漢字だけ読めば、『天下』となる。
また「天が下しる」の「しる」は、
統治するの“治”から、「治る」と漢字をあてる説がある。
いずれにしても「天下を治める」という意味にとれる。
「五月かな」、
当然『愛宕百韻』は五月に行われているのに、あえて五月と特記するのは――
それだけに光秀の「打倒織田信長!」という恨みの深さからや、光秀も戦国武将なので天下を取りたいという気持ちから――
「今日(今月)こそ俺は……やるぞ!」的に、意気込んでいるからという説。
あと最近連載執筆の為に調べていたら、驚く説を発見しました。
もしこの光秀の発句が、『本能寺の変』での信長への謀反の決意とするなら、
この「五月かな」にこそ、実は重大な意味がある!という説です。
それはなんと――
「五月」は、以仁王の挙兵、承久の乱、元弘の乱が起こった月であり――
いずれも源氏が、打倒平氏の兵を挙げた戦いであったことから、源氏と五月はすごく因縁があるという説。(歴史研究者・津田勇提唱説)
とくに光秀の生きた室町幕府時代の創始者である足利尊氏が、
天下をとるきっかけとなった、
執権北条氏の京・西国の統治機関である六波羅探題を襲撃した1333年五月七日の倒幕戦では、
丹波の『篠村八幡宮』で挙兵し、そこから京へ攻め込んでいる。
明智光秀も、一説には本能寺の変の際――
まず『篠村八幡宮』に立ち寄り先勝祈願をしてから、京の本能寺を襲撃している――
ということで、光秀が先輩?源氏の尊氏の行動をなぞった可能性も高いのだ。
――と、ここまで読者方々は読まれると、
「これだけ根拠があれば、この光秀の発句は、
『謀反決意表明説』で間違いないのでは?」
と、感じる方も多いと思います。
……実は拙者ですら、この『源氏・五月因縁説』は最近知ってあまりに説得力があり過ぎて、つまり拙者の異説がかすみそうで……
正直この本作で紹介しようか悩んだくらい……見事な説です!
……しかも、実はまだまだ根拠となる説があるのだ。
それで本当にこの光秀『謀反決意表明説』をひっくり返せるの?
と、心配して下さる読者様、ありがとうございます。
しっかり通説を読者様方に知って頂いて、
それを見事にひっくり返すのが――
『新説!』を発表する醍醐味なのですから!
……と、ハードルを自分で上げてしまった感じがしますが……
次のページか、次の次のページより、反論・大反撃開始です!




