110『最後の晩餐と安土饗応』(イエス)
○最後の晩餐
――イエスはエルサレムに一室を借りて、弟子たちを集め夕食をとった。
レオナルド・ダ・ビンチの壁画でも有名な――
あの『最後の晩餐』である。
この晩餐が、何故ここまで有名かというと――
翌日にイエスが十字架にかけられたからである。
しかもそれだけではなく――
なんとイエスが、ユダに裏切りを自らが勧めた、というか……
はっきりと命じたからであった。
『聖書』を読んだことが無い方の中には、
驚く方もいると思いますが――
『マタイによる福音書』によると――
「あなたのうち一人が私を裏切ろうとしている」とイエスが言い、
ユダが「まさか、私ではないででしょう」と聞くと、
イエスが、「いえ、あなたです」と答えたのだ。
『ヨハネによる福音書』だともっと直線的で――
「パンを今から渡すものが裏切るだろう」
と言ってユダにパンを渡し、とどめに――
「お前のしようとしている事を早くせよ」と言うのだ。
このヨハネによる福音書を読むと――
イエスには、ユダが裏切ることが解っていたともとれる。
しかもイエスはユダが裏切ると知っていて、
「早くせよ」とそのユダを、急かしているようにしかみえないのだ。
……もし仮にイエスが死にたくなかったとしたら、こんな言葉を言うはずがない。
ということは――
ユダとイエスは、『イザヤの書』にある救世主を出現させるために行動する――同志であったと考えることもできるのだ。
しかも、イエスが、逮捕され命を捨てるという重大な計画、
その計画を託せるユダは、イエスにとって――
《最愛の弟子》と言えるのではないか?
……もちろん、キリスト教の正統的『聖書』解釈では、ユダはサタンにそそのかされた悪人で、銀貨三十枚でイエスを売った裏切り者となっております。
ただキリスト教徒でない者が、
読み物として『最後の晩餐』の場面を読むと――
はたしてユダは、イエスを裏切りたかったのであろうか?
と、『ヨハネによる福音書』の記述からは、正直疑問を感じます。
ということで、『聖書』も正統的解釈以外にも、実はたくさんの解釈が存在しており、本作では――
使徒ユダは裏切り者ではなく……
『ユダはイエスの最愛の弟子説』をとっております。
もちろん、それを信じるかどうかは……
――あなた次第です!
次回予告
織田信長には、『最後の晩餐』のような、
明智光秀に裏切りを指示した記録は残念ながら残されていない。
しかし、信長と光秀の最後の別れの記録はあるのだ!
――そう、それが『安土饗応』である。
……そこには何か秘密が隠されているのであろうか?




