103『天下餅』
――織田信長の場合、『本能寺の変』直前の状況は、
東に敵はすでに無く、残すは西国、つまり中国の毛利、四国の長曽我部、九州の島津だが、四国の長曽我部は織田軍のうち四国方面軍だけで倒せる。
毛利も、織田信長が本隊を率いて中国方面に出陣すれぱ、秀吉軍と互角の毛利にも負けることは考えられない。
また中国、四国を平定したあとでは、九州の島津も信長に勝てる訳がない。
つまり、織田信長が本能寺で亡くならなかったら、早くてあと一年もせずに、遅くても三年もせずに天下統一できたと言われている。
織田信長の場合、秀吉のように同僚の武将と戦う必要もないので、関白に成ってまで天皇の権威を借りる必要ないのである。
また戦国時代には、朝廷の権威はかつてないほど失墜していた時であり、その朝廷を保護したのはそもそも信長である。
なので信長のお陰で、再び高まった朝廷の権威を利用できた秀吉と家康の天下統一に繋がっていたのである。
――つまりよく言われる“天下餅”である。
信長がついて――
秀吉がこねたる天下餅を、
最後に家康がいただく。
正に信長・秀吉が天下統一事業を完成させたからこそ、家康が天下泰平に導けたのである。
決して前の二人がいなければ、家康は征夷大将軍にも成れず天下も取れなかったであろう。
また徳川家康が征夷大将軍に成ったのも、まだまだ豊臣恩顧の大名や豊臣秀頼が大阪城に籠っているから、天皇の権威が必要に成ったのであって、天下泰平のために天皇の下に成ったわけではない。
つまり逆から言えば結局のところ――
織田信長が本能寺で倒れなければ、天下統一もすぐできたし、天皇の下に成ってまで権威付けする必要もなかったし、天下泰平の恒久平和ももっと早く訪れていたかも知れないのである。
……とここまで読むと、驚く読者も多いと思います。
「織田信長が本能寺で死ななかったら、天下統一を早くできたというのは解る。
でも……そもそも、エヴァンゲリオン計画って、信長が自ら命を捨てることで恒久平和を目指すことだと思うけど、
だったら、エヴァンゲリオン計画をしなくて、
信長が長生きした方が、信長のためにも日本のためにもいいのでは?」
――ようやくここまで来たというのが、作者である拙者の感想です。
何故、織田信長が自らの命を捨ててまで、早急な自らの天下統一を捨ててまで――
《エヴァンゲリオン計画》を実効したのか?
いや実効しなければならなかったのか?
その謎の全てが――
次回、ついに明らかになる!




