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102『二人の後継者』

※すいません。やはり先に反論に答えさせ頂きます!

○何故、徳川家康は天下泰平に導けたのか?


――歴史というものは、常に過去から現在に向かって繋がっている。


当然、織田信長は、徳川家康が天下統一を果たし幕府を開いたことも知らない。

つまり、天皇から征夷大将軍に任命されるという、形式的であっても天皇の下に成ることで天下泰平に導いた事実も信長は知らない。


また、そもそも何故徳川家康に天下が回ってきたかというと、

織田信長の家臣で後継者であった豊臣秀吉が、家康よりも先に亡くなったからというのが、大きいのである。

しかも、織田信長とこの戦国時代には珍しい永久同盟と言われる『清須同盟』のおかげで、桶狭間の戦いでによって今川氏から独立を果たした家康は、西からのつまり信長の尾張からの攻撃の心配が無くなり、東方へ戦力を集中できたことで――

信長が亡くなる前までに勢力を拡大できたことがかなり大きい。


では、何故豊臣秀吉が天下統一できたかと言うと、織田信長の家臣であったからである。もと農民の秀吉を信長軍の中国方面軍の大将にまで、大抜擢したからである。


――そう、織田信長がいなかったら、天下人秀吉も、天下人家康もいなかったと言える。


また豊臣秀吉が関白になぜ成ったかというと、信長の亡くなった時点での立場が、織田家の一方面軍大将であり――

織田家の同僚はたくさんいてもそれは秀吉の配下ではない。

……というか、みな秀吉のライバルである。

その同僚の武将たちに秀吉の天下を認めさせるためには、武力だけでは足らず――天皇という権威が必要であったからだ。


ということで、豊臣秀吉は信長死後、約十年くらいという長い年月をかけてようやく天下統一を果たした。



――ではそもそも、もし織田信長が『本能寺の変』で倒されなかったら――


天下はいったいどうなっていたであろうか?




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