彼が流した黄色い涙の意味は、私を絶望の淵に立たすことへの謝罪なのか。
新しい仲間が増えた。ラシックスちゃん・・・・(利尿剤)だ。
やはり、入れる点滴の量に対して、かなり友達一号(尿袋)の量が少ないのだろう。
娘は、あっちゃんが入院して、友達一号を身に付けるようになってからずっと、尿の管理をしている。管理と言っても、管に溜まる尿を袋の中に移動させることだ。これが、1mlでも2mlでも、袋の中に流れ込むと嬉しいらしい。
尿が出ると言うことは、命が延びるということだと思っていたから、私達は、 友達一号に入ってくる尿の量と、あっちゃんの命の長さを重ねて考えていた。
嬉しそうに、少しでも溜まると、管をクネクネさせて、袋の中に運んだ。
楽しいそうに。ニコニコしながら。
そんな時に、強い味方ラシックスちゃんが登場したものだから、 この新しい仲間に、期待するのは、自然な流れであろう。その期待の星に「俺の妹」と、名付けた。
1月18日・・ 今日も絶好調!
「永ちゃん、流してくれ。」
手拍子・・・・ そして、歌う。
車の話に、また、花が咲く。
嬉しそう!
あっちゃんは、すっかり入院生活に慣れ、自分の周りにあるたくさんの点滴にも、全く食事をしていないことにもふれることなく、文句一つ言わずに過ごしていた。
あっちゃんは
全てを素直に受け止めているようだった。
(あっちゃん!ずっと、ベッドの上にいてええよ。 生きているのならそれだけでええよ) と、・・・心の中でつぶやいた。
そして、うんこも少量だけど出た!
「うんこちゃんありがとう。」って、お礼を言った。
しかし・・・しかし・・・・
俺の妹を注入してから、何時間経っても、友達一号の量は、今までとさほど変化がなかった。
俺の妹・・・ラシックスちゃんは、期待通りの仕事はしてくれなかった。
「おい! ラシックス・・・・しっかり働け! 期待しているのよ。」
あっちゃんは、そんな私の焦りも気にも留めずに、ただありのままを受け止めようとしていた。
どうしようにも回復しない肝臓のことも・・・・
溜まってきた腹水のことも・・
抜けきれない尿の量にも気にせず・・
異様に腫れていく体のことも、
もしかしたら、
自分の死で すら・・・・。
1月19日
いつも通りあっちゃんと過ごしていた。私の心の中には余裕すら出ていた。
このまま入院が続くようだったら、私もそろそろ仕事に復帰しなくちゃ・・・・とまで考え始めていた。
理由はないが、あっちゃんはまだ死なないと思っていた。 明日も、明後日も、ずっとベッドの上だけど、こうして体を撫でながら、手を握りながら横に居て話が出来ると思っていた。
ただ、正直、10年も20年も生きる・・・なんて思っていなかった。思えなかった。一ヶ月、いや二ヶ月・・・運が良かったら、一年ぐらいだろうと、思っていた。
長い長い「年単位」の時間ではないけれど、まだ、あっちゃんと一緒にいられると本当に思っていた。そう信じたかったのかもしれない。
明日から、仕事に行こうと心に決めて病院を後にした。
まさか、まさか、あっちゃんの命の炎が、消えかかっているなんて知らないから。
私の大好きな人が、死ぬはずなんてありえないじゃない。と、思っていたから。
死ぬなんて、最大の裏切り行為でしょ!
でも、この日、あっちゃんは、一人で旅立ちの準備をしていたようだった。ありのままに。自然に任せて。
ひとつ思い当たることがあった。
肝性脳症が ひどくなる前に起こる症状である「眠気」・・・・があった。
19日、一緒に過ごしていた時、「あっちゃん、今日は、やけに目をつむるなあー。眠たがるな」って思った。
だけど、まさか・・・あっちゃんが、あっちゃんが何も、本当に、なーにも言わずに
私と「さよなら」するなんてことは、あるはずがない。と、思っていたから。
まだまだ話さなければならないことが山ほどあるのに、私を置いて・・・・・死ぬなんて絶対にない!と、信じていたから。
私は、大好きなあっちゃんの心の叫びを聞けずに・
・・・眠りについた。
朝、いい天気だった。カーテンを思い切り開けて、あくびをした。冷たい空気が、一気に入ってくる。新鮮だった。あっちゃんのことも気にはなったが、久しぶりの仕事に身が引き締まる思いだった。
仕事をし始めて、3時間過ぎた頃、事務員さんが走って私の所に来た。よく見れば、片手に電話機の子機をもっいる。
「娘さんから電話。」
心臓が高鳴った。息苦しく感じた。
「お母さん、何時頃帰れる?心配しないでいいからね。お父さん、ちょっとしんどそうだから、3時ぐらいまでには、病院へ来てね。」と、言って切れた。明るい声だった。しかし、私は、 足が震える。手さえも・・・・
電話の内容を上司に知らせ、病院へ駆けつけた。車をとばした。
40分、職場からだから、50分の道のり。すれ違う車、通り過ぎる人達。
季節は、冬真っ只中だけど、2月に入ってから、春を思わせるくらい日差しが暖かかった。
その光が、やけに目に入ってきて涙を誘う。何故涙が出るんだろう。
「絶望」にも値するこの気持ちに押し潰されそうだった。
後から、後から・・・涙が出た。
病室に入った。
普段より、上半身を傾け(起き上がっている状態)その両脇には、娘と義母がいて、しきりに、声を掛け、背中や腕を撫でている。
ひと目見て、分かった・・・・。
「私を待ってくれていた。」って。
「あっちゃん」と、言って抱きついた。
「あー」
「あー・・・」
と、一生懸命声を出している。
肩で息をしている。
「あっちゃん。来たよ。しんどいね。 だけど、私のために、もう少し頑張っ てね。」
あっちゃんの血圧、呼吸数、脈拍数、心拍数、酸素濃度は、全部コンピューターに数字として表されている。その見方は、ここ1週間でマスターした。
まだ、大丈夫。
あっちゃん頑張ってるから。
心拍数が140も150にもなる。
「苦しいの?」と、心配になる。
だんだんあっちゃんの声が弱々しくなってきた。
呼吸の、仕方も弱々しく・・・
心拍数も少なくなっている。100を切る。だんだん少なくなっていく。
その時、
「あっちゃん、!目を、目を開けて!」
と、叫んだ。
あっちゃんは、大きな大きな目を、カッと見開いて、私を見た。
「あっちゃん、ありがとう。ありがと う。大好きやった。ありがとう。」と、何度も何度も言った。
娘も、義父母も、思い思いのことを消え逝こうとしているあっちゃんの心に届けとばかりに口にした。
泣きながら・・
カッと見開いた目を、手で閉じようとしてもなかなか閉じることができなかった。あっちゃんが、自分の意思で開けているようだった。まだまだ家族の顔を、見ていたかったんだろう。まだまだ、愛している人達との別れを望んでいなかったんだろう。まだ、私と見つめ合っていたかったのだろう。
あっちゃんの大きな目から涙が出た。
それは、それは、見たことのない 黄色い 涙 だった。
残酷だ。
優しくて、面白くて・・・・
人が大好きで、お酒が好きで、 働き者で、文句なんか一つも言わず一生懸命頑張ったきたあっちゃんが、今、私たちに、さよならを、しかも永遠の別れを告げようとしていた。
心拍数がゼロに、なった。
血圧がゼロになった。
あっちゃんは、
静かに
死んでしまった。
入院してから、ほぼずっとつけていた友達一号が、空だったことに気づいた。今日は、全く尿が出ていなかった。
復活くんも、外された。
その日の夕方、23日間過ごした病院を後にした。主治医、お世話になった7人の看護師さん達が見送ってくれた。
本当にお世話になりました。
本当に忙しくなったのは、その夜からだった。
23日間の病院生活は、現実とかけ離れていたし、今、あっちゃんが死んだってことも、嘘みたいで、私の心は、ここにあっても、どこにもなかった。ただ形式的にやらなければならないことを、義父母に支えられながらこなしていた。
そんな、宙に浮いたような私の心に、あるものが飛び込んできた。すごい衝撃を感じ、一瞬にして、目が覚めた。心が動いた。
それは、葬儀会場を知らせる白い看板であった。
そこに、あっちゃんの名前が書いてあった。
会葬御礼の葉書であった。喪主の欄に、私の名前が印刷してあった。
わたしは、この二つの冷酷な、人の気持ちも考えない薄情な代物に、あっちゃんの死を確信させられた。
体の周りに、ドライアイスが置いてあって、そこで寝ているあっちゃんを見ても、棺桶の中にいるあっちゃんを見ても
あっちゃんの死を受け入れられずにいたのに。そんな紙切れのような薄ペラい物が恨めしく、私の気持ちを絶望の淵に追いやった。
文字の力は、すごいと思った。目と脳と心に入ってきた。
本当に、本当にあっちゃんは、死んだんだ。
お通夜、告別式終わった。
みんなが、てんでに帰っていく。寂しくなった。
毎日泣いた。遺影を抱いて・・
あっちゃん(遺骨)を抱いて・・・
泣き疲れて眠りについていた。
告別式が終わって、1週間が過ぎた頃たくさんの仕事があることを教えてもらった。
これから、私一人の生活が始まる。
いやだなあー!あっちゃんが、
いないなんて。
一人?生きていけるかなあー?
まあ、とにかく、 水道、ガス、電気に電話をどうにかしなくっちゃ!
そして、自動車の名義変更しなくちゃ。
それから、コンビ二は、どうなるんだろう?
不安だらけ・・・・全く何から手をつけていいのかわからない。
まずは、ライフラインだろうと思い、銀行に行って手続きをした。車も名義変更した。
コンビニは、本社から二人の人が来てくれて、「合意解約」することになった。(しかし、後でいろいろな問題がでてくる。)
そこで、私は、コンビニの毎日の売り上げを払い込んでいたもう一つの銀行に電話し、通帳解約をお願いしようと思った。
ただ、通帳の解約を、それだけをするつもりだった。ただそれだけのつもり。
すると、
「お話したいことがあるのでお伺い します。」と、言われた。
「はい。わかりました。お待ちしております。」
少し、不思議に思ったが、あっちゃんの通夜の前日わざわざ家に訪ねてくれた若い男性がいた。銀行員で、あっちゃんの担当だったと、言っていた。
彼は、涙を流してあっちゃんの死を悼んで下さった。きっと深い思い入れがあるのだろうと、大して気にもせず、その日を迎えた。
今でも、覚えている。
今年の2月3日。
あっちゃんが死んで、14日。(ふた七日)
私の人生が大きく変わった日である。あっちゃんの死で絶望の淵に立ち、そしてこの日、その奈落の底に落ちてしまった。
裏切られた。
大好きなあっちゃんに 裏切られた!
どうすればいいのか、考える心もなくなっていた。
苦しかった。




