壊れゆく体
私の家は、病院から40分の所にある。
同じ敷地内に義父母が暮らしている家がある。あっちゃんは、長男なのだ。
義父母には、帰ってもらった。
29日からの緊急入院騒ぎで、義父母も相当疲れているにもかかわらず、今日は、息子の「たった24時間の死の宣告」を受け、さらにその命の期限を、一人の人間の命の期限を「延命処置はしない」という決断で、私達が決めてしまったのだから。その疲れは、目にみえて分かった。いや、疲れと言うそんな簡単な言葉で表すことなどできない「絶望」に包まれ、力無く立ちつくしていたのだ。
病室は、個室だけど狭い。
しばらく、姉と妹と娘に一緒にいてもらった。
妹は、あっちゃんの足をさすりながら、話しかける。
姉は、顔色をうかがいながら・・・
娘は、手をさすりながら・・・・
あっちゃんは、気持ちよさそうにされるがまま・・・。
12月31日と言えば、我が家で
は、毎年ダウンタウンの「笑ってはいけない」テレビを見て過ごす。
世間は、新しい年を、美味しい食べ物を囲んで、年越しそばでもすすりながら過ごしているんだろうなーと、カーテンがしっかり閉められた病室の窓を見て考えた。
「 そう言えば・・・何年ぶりだろう。 」
あっちゃんと、大晦日に、一緒にテレビを見て過ごすのは・・・・。
去年もその前も・・・その前の年も・・あっちゃんは、家にいなかった。
年を越してから帰って来て、お風呂にも入らず布団にもぐる。
ゆっくりテレビを見て、年越しそば食べて・・・と、いう大晦日は、コンビニを始めてから全くしていないことに改めて気付かされた。
朝になると、
「店長が行かなくてもいいよ。今日ぐらいゆっくりしよ!」
「朝、山田君から電話があったんや。体調が悪いから休ませて欲しい。」って。
「そんなん嘘に決まってるやん。」
結局、あっちゃんか私が店に行く羽目になる。
・・・おせちも食べられん・・
娘は、東京の大学に通った。就職も東京でした。学生中は、バイトがあるから・・・・と。就職してからは、仕事が忙しいからと、ここ5、6年は、お正月を義父母と私達夫婦とで過ごしていた。寂しい正月だ。
今年の正月はどうなるんだろう?
24時間・・・?
でも、今年は、賑やかな大晦日になっていた。狭い病室に5人。薄暗い部屋だけど、ダウンタウンの「笑ってはいけない」のテレビもついている。何のご馳走もないけれど、夫婦・親子・姉妹が集まり、最高に幸せな年越しだ。これが、病室でなく、私の家ならどんなに騒ぎ、笑い、楽しく過ごしたことだろうと、思う。
あっちゃんは、私の姉や妹まで来たことを不思議に思わなかったのだろうか。ふと思った。
夜の11時を過ぎた頃、病院の近くにあるビジネスホテルを予約し、姉と妹そして、娘に泊まってもらう事にした。
歩いても、10分かからないホテルにいてもらった。
だって、この日は、あっちゃんと過ごす最期の日になるはずだから・・・・。
大切な大切な時間が過ぎていく。何を話したらいいものか、わからないものである。
おもむろに、 「あっちゃん、幸せ?」
「おぅ」
「コンビニしんどいやろ。
辞めてもいいよ。」
「そうやのぅー。」
「あんまり手伝わんでごめんね。」
「ええよ。お前も頑張りよるんやから。」
「あっちゃん、本当にごめんね。」
「ええよ。」
何故か謝罪ばかりになった。ごめんねと、ありがとうを連呼する私をおかしいと思ったに違いないが、そんなことは、ひと言も口に出さなかった。
大切な時が過ぎる。もうじき、「笑ってはいけない」テレビが終わってしまう。 このテレビが終わる頃 あっちゃんは、どうなるのだろうと、考えた。
急に苦しみだすのか。
苦しまないでほしい・・・・と、思った。
それとも、また、吐血するのか。
それは、嫌だ。
何をしていいか分からず、 私は、ベットの傍に椅子を置き、あっちゃんの手を握ったり、顔をさすってみたり、足を揉んでやったり、あっちこっち触っていた。
生きていることを確かめるように。
彼の温かさを覚えておくために。
そして、何より、
優しくしてあげられなかたことを、悔やみながら。
「今になって・・・・」
「遅いよね。」
「ごめんね。」・・・・・
泣きながら・・・謝りながら・・・
あっちゃんとの大切な時間を過ごした。
あっちゃんと、たわいもない話をした。
孫の事。コンビニの事。
「幸せだった」
「おぅ」
「ありがとう」
何度も言った。
ごまかしながら・・・・・・泣いた。泣いた。
あっちゃんを見ると、気持ち良さそうに眠っている。
嬉しかった。
あっちゃんが、いびきをかいて寝ていることが、何故かとても、とても嬉しくて嬉しくて・・・・・また、泣いた。後から後から・・・涙が止めどもなく流れた。
規則正しく息をしている。
確かに、確かに、生きている・・・・。
「あっちゃん❗️だいすき❗️」
「あっちゃん❗️ありがとう❗️生きて
いてくれてありがとう❗️」
気がつけば・・2014年が終わってた。
そして、奇跡の2015年元旦を迎えた。朝から、皆が集まった。
あっちゃん、食事もしていないのに凄く元気だった。
あれっ?
あっちゃんの友達一号(尿袋)も大量。
でも、誰の口からも出てこない。
「あけましておめでとう」と、言う言葉が。
24時間は、とっくに過ぎていた・・・
お医者さんって、嘘をついてもかまわないのですか?
生死に関わるような嘘を言っても、許されるのですか?
あっちゃんは、1日500mlまでの水だけ許された。
もちろん、絶食、24時間の点滴、そして、友達一号(尿袋)とも離れられずにはいたが、お正月の三日間を過ごすことができた。
毎日、24時間あっちゃんと一緒に過ごした。
朝起きると、まず、顔を拭く。次に、歯磨きをする。
それから、顔にたっぷり化粧水とクリームをつける。マッサージをしてあげる。 もちろん、髭剃りも忘れない。髪は、水のいらないシャンプーをする。おしゃれなあっちゃんだったから。毎日かかさずしてあげた。罪ほろぼしのつもりだったのかもしれない。
毎日、あっと言う間に過ぎていった。
あまり覚えてないけれど、沢山話もした。
コンビニを経営するようになって、二人でゆっくり、のんびり過ごすなんて全くできなかった。だから、この病院での生活は、治るという希望のある看病をしているのであれば、最高に幸せな時間を過ごしていたと言えるだろう。
娘と一緒に病室に泊まることもあった。親子三人で過ごす夜は、二人の時より、あっちゃんは、嬉しそうにしてた。これからの夢についても娘に語ってた。
寝る場所なんてないから、私と娘は、ずーっと話をしていた。体が元のような健康な体に戻ることはない。ただ、もうしばらくは、生きていて欲しいと二人で願った。
娘は、私の体を気遣ってくれた。家に帰って眠らない私のことが心配で、義母に、
「おばあちゃん、今日私と一緒に病院へ泊まって!お母さんを布団に寝かせてあげたい。私が、お父さんを看てるから。おばあちゃんは、寝てもいいから。お母さんを家に帰してあげたい。」と。
娘の優しさに、疲れ切った心が慰められたような気がした。
そんな時、主治医から、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい報告を聞くことになる。
いつもの様に、部屋に呼ばれた。
心臓の音が聞こえるぐらい ドキドキ、ドキドキ・・して、入った。
主治医は、確かに言った。
「峠は越した❗️」と、
はっきり私にそう言った。
やったー。やったー。
やったね!あっちゃん。
あっちゃんは、死なない。
あっちゃんは、死なない。
「やったー。」
何度叫んだことか。
「あっちゃんが、奇跡をくれた。」
泣いた泣いた。泣いた。
あっちゃんは、生きるんだ。
「 やったね!」
人間とは、不思議なもので、安心すると、腹が立つらしい。
腹たちまぎれに言ってしまった。
「大晦日の日、先生に呼ばれたやろ。あの時、あっちゃんが、24時間の命だって言われたんよ。皆が、集まって病院へ来たやろ。死ぬって思ったんよ。みんなで泣いたよ。どうにかなりそうやったよ。」
その日の夜、家族が集まって葬儀会社の話までしたことを話した。
話しながら・・泣いていた。
泣きながら・・話した。
最後に、あっちゃんに心をこめて言った。
「ありがとう。あっちゃん。
生きていてくれて、ありがとう。」
本当に、そう思った。 生きているだけでいい。
「ありがとう。」って本当に思ったから。何度も何度も言った。
後日、聞いた話だか、その夜、沢山の友達に電話をかけていたらしい。
「俺の 葬式を手配してたらしい。殺されるところじゃった。葬儀会社を、どこにするか決めよったらしいわい。」
笑って話していたと言う。
あっちゃんも、死を回避できた事が嬉しかったんだ。と、思い、何故かほっとした。
まさか、自分が、死ぬとは、思ってなかったんだ。 嬉しかった。また、涙が出てきた。
「 良かったね。あっちゃん!」
だけど、私は、両手を挙げて喜ぶことができずにいた。彼の体から、悲鳴にも似た叫びを聴いたような気がしたからだ。
ずーっと前から感じていたことでもある。
本当に言いたいことを・・・
本当に聞きたいことを・・・
本当に知りたいことを・・・
互いに、口に出せずにいた時があった。
互いに体が、心が疲れていた時があった。仕事のせいにはしたくないが、コンビニを始めたことが原因だったと言っても過言ではない。
今、ここで・・
少しでも涙を流してしまうと、止められなくなってしまう。
一言でも泣き言を言うと、責め立ててしまいそう。
あっちゃんにも、小言を言ってしまいそうな気がしたから。
自分自信を責めて、泣き崩れてしまいそうだったから・・・・。
だから、黙っているしかなかった。
黙って、一人で、静かに もがいた・・・。
「何故こんなに辛いコンビニを辞めさせることができなかったんだろう。」
「病院へ引きずってでも連れて行くべきだった。」
「自分の体は、自己管理して欲しかった」
心の中で、もがいていた。
あっちゃんの体は、疲れ果て、壊れる寸前だった。
24時間の命と言われて、9日目の朝である 1月8日。
また、嬉しいニュースが入って来た。
「今日から、食事を出しましょう。」 と、主治医から許可が下りたのだ。それを聞いた時のあっちゃんの喜び・・・・クリスマスにサンタクロースが来た子どものようだった。
スプーンで粥を口の中へ運ぶ。ほころぶ顔が、とても可愛い。
嬉しそうに、ブロッコリーを一口頬張る。大きく口を開けて、美味しそうに、全部食べた。
「あっちゃん。美味しい?」
「おぅ」
生きている喜びを感じていたんだろう。
でも、でも・・
1月9日、突然その時が来た。朝から、何やらおかしい。体の動きが鈍い。
「なんか、朝ごはん食べ過ぎたみたい。」と、言って、あんなに喜んでいたのに、 その日の昼食は、半分も食べなかった。
夕食にいたっては、全く・・・口にすることがなかった。
何かが・・・・・起こっていた。
何かが・・・・・。
まさか、
死のカウントダウンが・・・
また、
始まったの?
不安は的中した。
うとうと・・・・
うとうと、眠り出す。
「眠いの?」
「おぅ」
うとうと
・・うとうと
・・・・してる。
テレビを消すと、
「テレビつけて!」と、
すると、しばらくして
また、うとうと
何故か眠いらしい。
この時は知らなかったんだけど、何でも、食事が、タンパク質がいけなかったらしい。
えっ?
病院が出した食事よ!おかしいでしよ!
あっちゃんは、
翌朝になっても、目を開けることは、なかった。
次の日も、また・・・・次の日も。
何も話さなくなったあっちゃん。
手も動かさない。
目も開けない。
ただ・・・・寝てる。
そして・・・
体も、あっちゃんの体じゃなくなってきていた。
パンパン張り裂けそう。
パンパン(24時間の点滴で?)
針を刺したら、ピーと水が飛び出してきそうなほど浮腫んでいた。
かわいそうなほど・・・。
「痛くないのかなあー?」
お腹、足、足の甲も、手も指もパンパン。
そして、体の色は・・・黄色。
元気な人の体ではないことは観て取れた。
元気な体になることは、もうないだろうと・・・・感じた。
あっちゃんは、それから、6日間眠り続けた。




