表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/93

第91話 枷付きの解放

 カイトの右腕が一人の男によって切り落とされた。

 純白の光景は再び血生臭い地獄の光景へと戻り、ユイがその光景を目の当たりにしてしまう。

「ひっ……」

 その場に座り込んだまま腰を抜かしてしまったユイはとてもじゃないが自力で立ち上がる事が出来ず、ユイに寄り添うように体を近づけてくれるネコを抱かかえながら震えていた。

 王宮から跳躍し地面に着地してみせた王、煌びやかな魔装着に身を包み先程投げた槍が自動で王の右手に戻ってくると、そのトライデントを握り締めマントを靡かせながら堂々と歩いていく。

 すると、総隊長が王の後を追うように歩み寄り声をかけた。

「お止めください陛下、この少年は既に魔神でもなければ邪神でもない。危害を加えれば逆に……っ」

 そこまで言った直後、総隊長はある真実に気付き思わず足を止めてしまう。

「そういう事か、邪神」

 もはや自分の言葉など王には届かないのだろう。

 理性を失い、眼前の敵を殺すまで、王は決して止まらない。

 その気迫や執念が王から溢れ出ており、王が既に邪神の手によって『堕ちた』事を悟る。

 だからこそ、この王の行動が邪神にとって『有益』な行動だと言う事も理解できる。

 カイトは右肩から吹き出す血を止めようと苦痛の表情を歪めながら左手で抑えており、とてもではないが戦える状況ではなく、勝てるはずがない。

 だが、そんな心配など必要ない。

 何故なら本来、王の矛先が誰に向けられていたのかを知ればカイトがこれ以上、傷付く事はないのだから。

 カイトの目の前にまで歩いてきた王の足は止まらない、王の歩く先はカイトではなくユイであり、猫を抱かかえながらその場に座りこんでいるユイの目の前でその足は止まった。

「えっ……?」

 アルトニアエデンの住民なら誰もが知っている偉大なる王。

 その王が今、武器を振り上げ矛先を自分に向けている。

「やめろぉオオオオオオッ!!」

 その時、王を止めようとカイトが必死に声を張り上げ走って行くが、王が矛を振るい簡単に薙ぎ払われてしまう。

「げふッ───!」

 王と戦う所か近づく事すら出来ない。

 ユイを守ろうとしたのはカイトの意思。しかし、ユイを殺そうとしているのは紛れもない邪神の意思だった。


 邪神にとってユイの存在は唯一の誤算だった。

 カイトにとって最も大切な存在であり、唯一の希望、光、癒しとされていた姉『セレナ』。

 セレナを失ったカイトの心に光など皆無。狂い、穢れ、邪悪の権化となる存在に相応しかった。

 しかし、途中で表れたユイの存在によってカイトの心は再び人の心を取り戻す結果となる。

 それは邪神にとって忌々しいものだった。……しかし、それは同時にユイがカイトを絶望に淵に落とす最大最高のきっかけとなるのもまた、事実。

「邪神、貴様はあの少女の死を最後の糧にするつもりか」

 総隊長は邪神の真意に気付く。

 もしここでユイが死ねば、恐らくカイトは再び邪神に成り果て、覚醒するだろう。

 以前よりも更に強く、更に醜く、更に邪悪に満ちた存在としてこの世に君臨し、世界を染めていく。

 そうなっては何もかも手遅れになる……しかし、それでも尚、総隊長は王を止めようとはせず、ユイを守ろうとしなかった。



「うっ……くぅッ……!」

 吹き飛ばされたカイトは再び立ち上がろうとする。

 このままではユイが殺されてしまう、全ては自分の責任。

 残された左手を王へと向けてみるが、カイトの左手から魔法が発動されることはなく、カイトは涙を零しながら悔やんだ。

 人を殺す時や街を破壊する時ならあらゆる魔法が使えたのに、人の命を救う為、守る為の魔法がまるで発動されない。

 いや、そもそも自分にそのような魔法など存在しないのだろう。誰かの為の魔法など存在していない、全ては己の私利私欲の為にしか使えない自己中心的な魔法。

「結局、僕はっ……誰も守れない……幸せに、なれないんだ……」

 全てを失うのが自分の運命なのだろう、そう思わざるを得ない状況立たされたカイトは王がトライデントを振り上げた直後、ユイの殺される瞬間を見ないように目を瞑ろうとした。


 ……。


 ……本当に。


 ……本当に、これで良いのか……?


 どうして、自分が全てを失い続ける人生を歩まなければならない。

 あの時もそう、自分は何も悪い事などしていないのに───。


 丘の上の木の下で、今日も俺は待ち続ける。

(あれ……なんだ……? この景色……)

 二人はきっと来てくれる、約束したからだ。

 心配なんてしていない、ほら、二人の笑いが混じった話し声が聞こえてきた。

(僕の……記憶……!?)

 青髪の少女と赤髪の少女が俺の目の前に立っている。

 俺の顔を見て二人は微笑んでくれた。よし、今日は、何をして遊ぼうか。


「く゛っ……! あぅゥゥ!?」

 意識が混迷していくカイトは、残された左腕で自分の頭を掴み唸り始める。

 涙を浮かべる少女達の姿、血塗れの自分、燃え盛る宮殿。

 様々な光景がカイトの脳裏を過ぎる中、鮮明に蘇るセレナの死の光景。

『カイト……今まで……ごめんね……』




 ───こんなの、嫌だっ───!!


 零れ落ちる涙に宿るもの。


 怒り、恨み、悲しみ、悔しさ。


 純粋に心の中で抱くその感情、思いが、カイトの目の色を変えた。





 王がトライデントを振り下ろし、ユイは恐怖で顔が強張り目を瞑る事すら出来なかった。

 だからこそ、ユイの目にはハッキリとその後姿が見えた。

 カイト・スタルフ。失ったはずの右腕は復活、黒色の腕と成り、その右手には黒い大剣が握り締められていた。

 間一髪、王の攻撃を黒剣で払い退けたカイトは、俯いた様子でボソリと呟く。

「───ヶんな……」

 聞き取れないその一言に王と総隊長、そしてユイが反応した直後。

「ふざけんなあああああああぁぁぁぁぁァァァァッ!!!」

「っ!?」

 カイトは剣を振り上げ全身から魔力を拡散させ王を後退させるように吹き飛ばしてみせた。

 王はトライデンを盾に衝撃に耐え、総隊長は依然腕を組んだまま動こうとしないが、明らかにカイトの様子に変化が生じているのを見て視線が鋭くなる。

「なんで……なんで『俺』だけが失い続けなくちゃならねえんだよッ!!」

 その目からは止め処なく涙が零れ落ちているが、カイトの戦意は向上するばかりであり、視線をやや下げると自ら語り始める。

「俺の魔法は皆を守ったり救ったり出来ない? 俺の魔法は戦う為殺す為嬲る為破壊する為蹂躙する為穢す為汚すの為の魔法? 上等だよッ!! だったらその力で俺は俺だけの大切な存在を守るッ! 何が魔神だ、何が邪神だッ!! 俺の魔法は自己中心的で私利私欲の為にしか発動されないっつーのなら、俺の望むが侭、思うが侭に発動しろッ! 誰の為でもない俺の為の魔法だ!」

 カイトの握る黒剣に魔力が渦を巻いて集まるのが肉眼でも確認できる。

 すると、カイトは無意識に自分の事を『俺』と呼んでいる事に気付き、今まで見た事の無い記憶に一瞬困惑してしまう。

(なんだ……? どうして僕はこんな事を……?)

 突如発動された魔法、過去の記憶、黒剣───。

(いや、いい。今は何も考えるな)

 今のカイトに迷う余裕もなければ立ち止まる暇などない。

(今はユイを守る、それだけだッ!)

 黒剣を握り締めるカイト、眼前の王が鬼神のような形相と気迫で襲い掛かってくる。

「殺らせねえッ!」

 体が無意識に動いた。

 振り下ろされたトライデントを黒剣で弾くと同時に追撃を繰り出す。

 王はカイトの攻撃を交わすが、カイトの攻撃が止まることはない。

 もっと早く───。

 今まで剣など振るった事のないはずのカイトが、まるで百戦錬磨の達人の如く黒剣を振るう。

 もっと強く───。

 その圧倒的な攻めに王は防戦一方を強いられるかと思えば、王もまた僅かな隙を狙いトライデントを振るう。

 互いが攻撃を繰り出し剣とトライデントが火花を散らしながら激しくぶつかり合い、攻撃は直撃しないものの体を掠らせ両者の魔装着が傷と血で汚れ始めていた。

 カイトの黒剣が王を傷つける度、王の記憶が一瞬だけカイトの脳裏に映りこむ。

 その映像はどれも王が幸せそうに家族と共にいる光景であり、カイトは徐々に王の記憶を辿り始める。

(ああ、そうか……。この人にも、この人の人生、世界があったんだ……)

 だが、幸せな世界はいとも簡単に崩壊してしまった。

 邪神の魔法に蝕まれ理性を失った人間達の行動。

 血に飢え、肉に飢え、欲に飢え、食い散らす。

(それを穢したのは、僕か……)

 トライデントの鋭利な刃先がカイトの頬を掠り、一本の血筋が浮かび上がる。

 それでも尚、カイトは動揺することなくその瞳は真っ直ぐと王を見つめ続けていた。

 この現実も、目の前の光景にも、目を逸らすつもりはない。

 だからこそ、活路が見えた。

 既に百を超えた互いの攻撃の次の一撃、カイトが振り下ろしていた黒剣を巧みに振り上げ王に迫る。

 王は咄嗟に攻撃を防ごうとトライデントを盾にしたが、カイトは両手で黒剣の柄を握り締め防がれるのを承知で渾身の一撃を振り上げた。



 今まで聞こえてきた互いの武器がぶつかり合うような音とは違う、また別の音。

 それが何を意味するのか、王のトライデントは真っ二つに断たれ、黒剣の斬撃が王を襲う。

 勝敗は決した。王は膝から崩れ落ちるように倒れ、カイトは剣を握り締めたまま堂々と立っている。

 初めて魔法を使い、初めて戦い、初めて人を殺した。

 邪神に変わり果てていた時とは違う。己の意思、己の力で、戦ったのだ。

 それは自分の世界の為であり、自分の大切な存在の為。

 カイトが黒剣を握り締めたまま振り返る、そこには猫を抱かかえ震えるユイがカイトを見つめており、その動揺した表情を見てカイトは呟いた。

「ごめん」

 気の利いたカッコイイ台詞なんて言えない。

 何の罪もないというのに、平穏に暮らしていたユイを血肉と私欲で渦巻く醜い戦場に連れて来てしまった。

 ここはユイのような優しい少女の居ていい世界ではない。

 ましてや自分のような歪な存在がユイと同じ世界にいてはならない……カイトはこれ以上ユイに関わるまいと背を向けようとした瞬間、ふとユイが左手で猫を抱えながら右手を伸ばすのを見た。

 まるで手を引いてもらうのを待っているかのような仕草に、カイトは最初何をしているのかを理解出来なかったが、自分が来るのを待っている事に気付きようやく一歩ずつ歩きながらゆっくりとユイに近づいていく。

 そしてユイの目の前で立ち止まると、血で汚れた右手でユイの右手を掴み優しく立ち上がらせた。

「ありがとう」

「……は?」

 お礼を言われたカイトは訳も分からずきょとんとした表情で呆然としていたが、ユイはカイトを見つめながら再び口を開く。

「助けてくれて……ありがとう」

 この状況で何を言うのかと思えば、助けたお礼を言い出すユイにカイトは肩の力が抜けてしまう。

「……怖くないのか?」

 今この世界で起きている現状、周りに散乱する無数の死体と崩壊した建物、邪悪な魔力を宿したカイト自信の存在、現実で起きているその全てを問うかのようにカイトは尋ねると、ユイは目に涙を浮かべ呟いた。

「……怖いよ。だからっ……カイト君を見てるの……」

 当たり前だ、ユイは今も尚全身の震えが止まらない。

 怖くて、心配で、だからこそ胸が苦しく、辛い。

「俺を……?」

「うん。カイト君を見てたら、安心するから……」

「っ……」

 こんな血塗れの自分を見ていて安心出来るというユイの心がカイトには分からない。

 けれど、この辺りに広がる惨劇を目にするよりは、自分を見つめていたほうが回りを見なくて済むのかもしれない。そうカイトが思った直後、けたたましいサイレンの鈍い音が聞こえ始めた。

「陛下の死によりコード『Eden』が発動された」

「ッ!?」

 敵はまだ残っていた───背後から聞こえてきた総隊長の声、カイトは咄嗟に振り向き左手でユイを守るように広げると、右手に握る黒剣を構えてみせる。

「尤も、既に精神は死んでいたがな。……少年、俺は亡き陛下の意思を引き継ぎその少女を殺そうと思うが、どうかな?」

「絶対にやらせねえッ!───っ!?」

 カイトが両手で黒剣を構えユイを守ろうとしたが、一瞬で目の前に立っていた男が消えるとカイトの体はいとも簡単にその場から吹き飛ばされてしまう。

 元々カイトの立っていた場所にその男は立っており、吹き飛ばしたカイトを見つめながら残念そうに呟いた。

「……弱い。やはり邪神の力の無い貴様はただの子供だな」

 そして男は視線を下ろし目の前にいる怯えた表情を浮かべるユイに目を向けた。

「それで、この少女を殺せば再び邪神が降臨するのだろう?」

 そう言って男が下ろしていた手を上げようと僅かに上げた瞬間、男の後方から怒鳴り声が聞こえてくる。

「止めぬかッ! マキシマムよ!!」

 そのグレイゼフの声にアルトニアエデン親衛隊総隊長である『マキシマム』は上げようとしていた手を静かに下ろすと、振り向きながら尋ねた。

「グレイゼフ、宮殿の中はどうだった」

「ジャスティア以外、皆死んでおったわい。恐らく邪神の魔法によって狂わされたんじゃろう……惨い光景じゃった。ジャスティアはワシが安全な場所に転移させたが……」

「そうか、アルトニアエデンも終わりだな。こうなってしまった以上、全責任は俺にある訳だが……これも裏切り者の『黒牙』の連中が計算したシナリオ通りという訳か」

 マキシマムが腕を組み一人納得する中、杖を握る手を震わせるグレイゼフが詰め寄るようにマキシマムへと近づいていく。

「終わりじゃと? マキシマムよ、伝説の魔法『Eden』が発動されたサイレンの音を聞いたぞ。何故王が死んでおる、ここで一体何があったのじゃ!?」

「……なぁ、グレイゼフ。貴様は俺の本気を引き出す事が出来るか?」

「何を、言っておる……」

 マキシマムの言葉の意味を悟りグレイゼフは足を止めると、グレイゼフは自分の右手を見つめながら言葉を続けた。

「漸く会えたのだ、俺の本気をぶつけられる相手をな」

「御主、再び邪神を呼び起こし、戦おうとでも言うのか……?」

「ああ、その通りだ」

 この男、マキシマムなら有りえる───グレイゼフがそう思うよりも早くマキシマムは返事をすると、後ろに立っているユイ目掛け魔法陣を帯びた輝く右腕を振り下ろした。



 マキシマムの攻撃は命中した。

 しかし、それは無防備なユイではなく、マキシマムの前に立ちはだかったカイトの黒剣にだった。

「絶対ッ!! させねえ゛ッ!!」

 肩で呼吸をするカイトはそう叫びマキシマムの拳を防ぎきると、それを見ていたマキシマムは俯き肩を震わせた。

「クク、ククク……ハハハハハハ!」

 俯いていた顔を上げたマキシマムの顔は満足気な表情を浮かべて笑っていた。

「見たかグレイゼフ!? この少年、俺の攻撃を防いだぞ!……やるじゃないか」

 まるでカイトを認めるような発言をしたかと思えば、マキシマムは攻撃を繰り出した右腕を下ろしはじめる。

「正直に言えば俺は『神』等という存在に興味もなければ『陛下』の仇を取ろうなどとも思っていない。俺が興味有るのはその『神』をも超える力を秘めた『人間』の可能性だ」

 そこまで言うとマキシマムは自分の足元に魔法陣を展開すると、光輝く魔法陣の上で腕を組みカイトを見下ろした。

「少年、名は『カイト』と言ったな。貴様がこの先どのように成長するのかが楽しみだ。尤も、それはこの『Eden』を乗り切れたらの話しだがな」

 その言葉を最後に、マキシマムは光に包まれ姿を消してしまう。

 他世界への転移魔法の発動。それはグレイゼフが見れば理解出来たが、カイトには何故この状況でマキシマムが姿を消したのかが理解出来なかった……が。

「っ───!」

 カイトは見上げてしまう、遥か上空を多い尽くす程の無数の魔法陣から豪雨の如く降り注ぐ戦略兵器の数を───。




「フルマルチロックオン完了。全兵器の排除を開始します」

 千の数を超えて降り注ぐ戦略兵器、その全てを貫く紫色の閃光。

 空は瞬く間に爆煙に包まれていく最中、地上には夥しい量の対空兵器が並べられていた。

 そしてカイトとユイの目の前に、美しい紫色の長髪を靡かせる紫陽花色のメイド服を着た女性『リーナ』が立っていた。

「ユイ様、お怪我はありませんか?」

 毅然とした態度のリーナはそう言って振り返ると、ユイは驚きと同時にリーナの姿を見て安心したのか目に涙を浮かべてしまう。

「リーナ!? 私は大丈夫だよっ! それよりリーナのほうこそ大丈夫なの!?」

「はい、わたくしは大丈夫です。ご心配を掛けて申し訳ありませんでした」

 リーナは反省して深々と頭を下げると、ユイはリーナの元へと駆け寄り嬉しさの余り抱きついてしまう。

 そんなユイの頭をリーナは優しく撫でていたが、ユイからカイトに視線が向けられた途端、その目付きが鋭くなる。

「それで、何故このような状況に陥っているのかを説明して頂きましょうか」

「そ、それは……っ……」

 事の状況を理解出来ていないリーナにどう説明して良いか分からずカイトが戸惑っていると、杖を突きながら歩いてきたグレイゼフがカイト達の側にまで近づき空を見上げた。

「そのような暇などない……次が来るぞ」

 その言葉に皆が空を見上げると、上空に浮かび上がる魔法陣の色が変わり始める。

「あのような高度かつ巨大な魔法陣は見た事がありません。あれは……?」

 リーナが珍しそうに尋ねると、グレイゼフは自分の髭を触りながら説明し始める。

「王の死によりコード『Eden』が発動されておる。あの魔法は王の命を奪った存在が死ぬまで連合軍を含め基地の保有する全ての戦略兵器が放たれ続ける仕組みじゃ」

「全て、ですか。この世界が宇宙の塵と化すのも時間の問題ですね。ならば他世界へ避難をすれば……」

「無駄じゃ。『Eden』が発動された時点でこの世界は隔離されておる。『Eden』が終わるまで他世界へは行けん……一人を除いてな」

 グレイゼフの言葉だけではカイトもユイも今自分達がどれだけ追い詰められているのかが分からなかったが、リーナの素っ気無く言ってみせた言葉を聞いて漸く理解し、それと同時に第二波の攻撃が降り注ぐ。

 再びリーナの追撃が始まるが、第一波と比べて兵器の数が倍以上に増えており弾幕の僅かな隙間を掻い潜り地面へと直撃しはじめる。

 爆発から三人を守る為にグレイゼフが魔法のシールドを張り巡らせるが、既にグレイゼフの魔力は消耗されており長時間シールドを張る事は困難だった。

 第三派、ミサイルだけでなく高出力のレーザーや魔法等も降り注ぎ始め、リーナが召喚した対空兵器が次々に破壊されていく。

 リーナはまるで戦車の如く分厚い武装を装備しながら降り注ぐ兵器を撃ち落とし続けるが、上空に広がる魔法陣や戦略兵器の数は増える一方であり徐々に押され始めていた。

「……このままでは魔力が消耗する一方だと判断。目標ターゲットをあの兵器を転送させる魔法陣の破壊に変更します」

 そう言ってリーナは身に付けていた全ての武装をパージすると、紫色に輝く魔法陣がリーナの足元に展開されはじめ、その中でリーナは両手を重ね合わせたかと思えば、ゆっくりと手を放しながら紫色に輝く球体を作り始める。

「ただのメイドではないと思っていたが、御主まさか……」

「ユイ様、下を向いて目を瞑っていてください。この魔法の光は少々刺激が強いです」

 そのリーナの姿を見てグレイゼフが正体を確かめようとしたが、リーナはユイに注意を促すように喋ると、言われていないカイトもまた遅れて強く目を瞑った。

 リーナは両手の中で形成されていく魔力の塊が形を変え一輪の紫陽花に変化すると、その一厘の紫陽花は空高く舞い上がっていく。

「咲き乱れなさい───」

 魔法で作られた紫陽花は花畑を広げるように咲き乱れ始めると、リーナは両手を空に掲げ唱えた。

『ハイドランジア』

 直後、リーナの足元に広がる魔法陣が閃光を放ち、そして上空に咲き乱れた紫陽花が眩い光を放ち同時に爆発を始めた。

 紫色の光は空と大地、地平線の彼方まで染め、その閃光の強さは目を瞑っていたユイとカイトの二人にもハッキリと感じられた。

 魔法の爆発力に戦略兵器は跡形もなく消え去り上空に広がっていた魔法陣にも亀裂が走り始めると、亀裂は大きく広がりを見せ崩壊を始める。

「ミッションコンプリート。ユイ様、目を開けて頂いて大丈夫ですよ───っ?」

 そのリーナの言葉にユイとカイトは瞑っていた目を開けると、そこには険しい表情で空を見上げるリーナが立っており、二人も釣られて上空を見上げる。

「二層目……?」

 リーナの呟いた言葉の意味、崩壊する魔法陣の隙間から見える更なる魔法陣。

 一層目の魔法陣が散っていく事で露となった二層目の魔法陣はより複雑な形成をしており、王を殺した者への攻撃を始めるべく輝くのを見てグレイゼフは静かに説明しはじめた。

「あの魔法陣を破壊できるとは……じゃが、あの陣は十層により構成されておる。一層目を破壊した所でより強力な二層目の攻撃が始まるだけじゃ」

 その言葉で全ての魔法陣の破壊が困難である現実を突きつけられたリーナの次の行動は早かった。

「ではカイト様、死んでください」

 魔法陣の存在理由、それは王を殺したカイトの死。

 グレイゼフは確かに言った、『王の命を奪った存在が死ぬまで戦略兵器が放たれる続ける』と。

 ならばカイトが死ねば攻撃は止まる、そうすればユイを守る事が出来る。

 合理的なリーナの判断に迷いは無い、だからこそ、その右手に握られた輝剣はカイト目掛けて振り下ろされようとしていた───。




 しかし、その輝剣は振り下ろす事が出来なかった。

「……ユイ様、そこを退いてください」

 何故ならユイが両手を大きく広げカイトを庇うように前に立っていたからだ。

 その足元では猫もリーナに逆らうように睨んでおり、リーナの言葉を聞いてもなおユイは退こうとしない。

「今の私の力ではこの状況からユイ様を守りきる事は不可能に近いです。ならば『Eden』を終了させるしかありません、ご理解頂けますよね。例えその方がユイ様の大切な方だとしても、ユイ様の命には代えられません」

 リーナがユイを説得している間にも上空の魔法陣、第二層の攻撃準備が進んでいる。

 それでもユイは一歩も動く事なくその場に立ち止まったままカイトを守ろうとしていた。



 そんなユイの後姿を見ていたカイトは混乱していた。

 何故ならリーナの言葉を誰よりも理解したのがカイトであり、この状況を止めるには自分の死しか考えられなかったからだ。

(なんでユイさんは、僕を守ろうとしているんだ……? 王を殺した僕が死ねば……この攻撃は止まるのに……)

 カイトは地面に突き刺していた黒剣を見つめると、その場に跪き、その刃先に自分の首を近づけていく。

(勇気……そうだ、僕に死ぬ勇気があれば……ユイさんを助けられる……!)

 今自分の必要なのは死ぬ勇気、ただそれだけ。

 この死でユイを守れるのであれば、カイトは躊躇い無く死ぬ事が出来る───。




 はずだった。

 全身は震え、冷たい汗が噴出し、目には涙が浮かび上がる。

 何故? そうか、死ぬのが怖いのは当然だ。

 だが、どうせこのまま皆で死ぬより、自分一人が死んだほうがいいに決まっている。

 ならば早く死のう。

 しかし、どれだけ焦り意を決しても、カイトは自分の首をその黒剣の刃先に当てる事が出来ない。

(クソッ! 僕は最後の最後まで、なんて弱いんだっ……!)

 もう時間が無い。早くしなければ───そんなカイトの脳裏に、姉であるセレナの姿が過ぎる。

(姉さんッ……そうか、あの世には、姉さんがいる……僕は、死ぬよ……待ってて、すぐそっちに行くから)

 もう、何も怖くない。これで永遠にセレナの側に居続けられるのだから。

(ああ、そっか……自殺するのに勇気なんて必要ない……生きる希望が無くなった時、人は始めて自分を殺せるんだ……)

 希望だったセレナはもうこの世にはいない、カイトは安心したように目を瞑ると、その首筋を刃先に触れさせた。



「カイト君!!」

 そのユイの名を呼ぶ大きな声にカイトは目を見開き涙を零してみせた。

 気付けば首筋に刃先を当てており、僅かに首を動かせば容易に首の頚動脈を切れる状態だった。

 見開いた目は無意識に目の前で背を向けて立つユイを見つめてしまう。

「カイト君、まさか……死のうなんて、思ってないよね……?」

 鼓動が高鳴る。此方を見てもいないのに、どうしてユイには死のうとしている事に気付かれたのだろうか。

「私いやだよっ……カイト君に、死んでほしくないよぉっ! ううぅっ……!」

(ユイさん……僕が死ぬのを……悲しんでいる……?)

 肩を震わせ泣くユイの後ろ姿を見てカイトは漸く理解できた。

 この人は、自分を……カイト・スタルフをどのような人間なのかを解かっており、大切な存在だと思ってくれている。

 そんな事を考えてくれる人なんて姉のセレナだけだと思っていた。

 けれど違う、理解者はセレナだけではない、ユイもまたカイトを理解している一人なのだ。

 気付けば脳裏に姉の姿はなく、目の前のユイを見ていたカイトにグレイゼフが語りかけた。

「カイトよ、御主には『魔神』と『邪神』。両方の力が宿っておる、分かるじゃろう? 御主には『力』があるのじゃ。御主にとって大切な存在を守る為に……生と死。どちらを選ぶ」

 自分にとって大切な存在、確かにそれはセレナだが、決してセレナだけではない。

 自分の事を本気で心配し、守り、助けてくれた。

 今誰よりも、何よりも自分にとって大切な存在、希望───。



「そんなの……決まってるだろ……」

 跪いていた足で立ち上がり、黒剣は力強く引き抜かれ、カイトは身を呈して守ってくれたユイの横を通り抜ける。

「ありがとう」

 擦れ違い様に呟きユイに思いを伝えると、カイトはユイ達三人と少し距離を置いた所で歩くの止めた。

「誰が好き好んで死ぬ事を選ぶんだ……俺だって死にたくない、生きていたいよ。そして俺の力で、俺の大切な人を守りたいよッ!!」

 それがカイトの本音であり、本心だ。

 その本気の気持ちを言葉にしたからこそ、カイトの思いに答えるように黒い魔法陣が展開され、カイトの額に魔法陣が浮かび上がる。

「だったら戦ってッ……抗うしかないだろッ!!」

 この不幸で理不尽な世界で生きる為には、己の力で逆行に抗い戦って生きていくしかない。

 カイトの握り締めていた黒剣は光を放ちカイトの右手の一部となるように変形していくと、その黒剣と同化した右手を全開し天へと掲げ、誰にも聞こえてない声で呟いた。

「そうだろ、弱気な俺」

(そうだね、強気な僕)




 伝説の魔法『Eden』による第二層の攻撃が始まった。

 万を超える魔法及び戦略兵器の放出、投下、発動。

 それに対抗するかのようにカイトの右手に魔法陣が展開されると、黒い稲妻を発しながら黒色の光が溢れ出し異様なまでの急速な魔力の高まりに大地が震え始めていた。

 グレイゼフは事の成り行きを見守るようにカイトを見つめ、リーナは自分がどうして良いか分からずカイトを見つめていたが、ふと自分の手を握ってくれる感触に目を向けるとそこには覚悟を決めたユイがリーナと目を合わせた後に頷いた。

 その頷く姿を見てリーナは確かにユイの強い意思を受け取り、二人は互いに手を繋いだままカイトに視線を向ける。

「俺の世界にとって、邪魔な存在を全て抹消しろ───」

 迫り来る死から抗う為に。

 失い続ける人生に勝つ為に。

 どん底から這い上がるために。

「レジェンド───」

 生きる為に。

 希望の為に。

 幸せの為に。

 大切な人の為に。

 渦巻く胸の思いを全てを吐き出すかのように、カイトは目を見開き高らかに叫んで見せた。

「ゼェロォオオオオオオオアアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」

 カイト・スタルフにとって初めて発動した魔法。

 黒い稲光を発した右手から放たれた魔法は、天を飲み込む程の広範囲で上っていく。

 飲み込まれたあらゆる魔法や兵器は塵すら残らず抹消され、天に広がる第二層の魔法陣を消滅させる。

 続いて第三層、第四層、第五層……魔法の勢いは全く衰えない、更に高く、天へと上りつめていく。

 第六層、第七層、第八層、第九層……そして、大気圏外に存在する第十層までもを抹消すると、魔法は無限に広がる宇宙の彼方へと一本の道を作るかのように伸びていった。




 天にはもう、魔法陣は広がっていない。

 即ち伝説の魔法『Eden』は完全に抹消され、命の危機を脱したのだ。

 ただ一人、カイトを除いて。

「っ……」

 何もなくなった空を見ていたカイトは自分の体が倒れている事に気付いた。

 全身に力が入らない。感覚もなければ感触もなく、心臓の鼓動が段々と弱々しくなっていくのが分かった。

「カイト君!!」

 名前を呼ばれると、目の前には涙を流すユイが覗き込んでいる。

「しっかりして! 今助けるからぁっ……!」

 ユイは涙を拭い両手を重ねカイトの胸に当てると、白く柔らかい光がユイの手元から溢れ出す。

 しかしその光は不安定で小さく、カイトの全身に負った傷が全く治療されない。

 ユイにとって、それは無理もないことだった。

 何故ならユイがこの魔法を発動するのは初めてであり、昨日覚えたばかりなのだから。

 昨日、傷ついた猫を治療したのはセレナであり、その時魔法を見ていたユイはセレナに頼んで魔法を教わったのだ。

 しかし、カイトが治療されないのは根本的に原因が違う。

 リーナとグレイゼフだけには分かった。

 ユイの治療魔法が原因ではなく、カイト自身の肉体に原因があるのだと。

 まるで治療を拒み、弾くようにユイの治療魔法がカイトの肉体に浸透していないのだ。 

 恐らくそれをユイに伝えても治療魔法を止めはしないのだろう、僅かに開いていたカイトの目蓋も次第に閉じ始める。

「死んじゃだめだよっ! 起きて……起きてよぉっ……カイトォ!」

 咄嗟に叫んだ名前が呼び捨てになっている事にユイは気付かない。

 それでもユイは必死にカイトの名前を呼び続けたが、カイトの目蓋は静かに閉じてしまい息を呑んだ。

「カイ……ト……っ……」

 眠るようにカイトは動かない。そんなカイトの上体を優しく起こすと、ユイは涙を流しながらカイトの体を抱きしめた。

 その口からは言葉にならない悲しい泣き声が渋るように出され、ユイはカイトの体を抱きしめたまま深く俯いた。




「ユイ様、落ち着いてください」

 その言葉にユイは涙で濡れた顔を上げると、ユイの目の前で膝をついて座るリーナは言葉を続けた。

「カイト様は生きております」

「ふぇっ……?」

「カイト様は魔力と体力の両方を消耗し衰弱した事で意識を失っておりますが、亡くなってはいません」

 生きている……そう言われた途端、密着させた胸から伝わってくるカイトの鼓動にユイは気付いた。

 零れ落ちる涙は悲しみから安堵の涙へと変わり、もう一度カイトの体を抱きしめる。

「御主達、このままアルトニアエデンに残れば明るい未来は待っていないじゃろう。『Eden』が消え他世界へと行ける今がチャンスじゃ、避難したほうがよいぞ」

 グレイゼフの言う通り、このままアルトニアエデンの世界に留まれば命の保障もない。早急に安全な世界へと移動する必要がある。

「ご心配なく、私の転移魔法でユイ様とカイト様を連れて安全な世界へと移動します」

 リーナが両手を広げ転移魔法の発動の準備をするべく、カイトの倒れている地面に魔法陣を展開させると、それを見ていたグレイゼフは小さく頷いた。

「うむ、それでよい。早くしなければ───」

「いやはや、何を早くしなければならないのかな?」

 グレイゼフの言葉を遮るように聞こえてきた陽気な男の声にグレイゼフとリーナが振り返る。

 そこには黒い軍服を身に纏った一人の男が立っており、気付けば同じ軍服を着け仮面を被った五人の人間がユイ達を囲うように間隔を開けて立っていた。

「本当驚いたよ。まさか『Eden』をも退けるとはねぇ……それも『魔神』でもなく『邪神』でもないたった一人の少年が、これが若さの力っていうやつなのかな~」

 陽気な男はマイペースに話し続けているが、そんな男を見ていたリーナの額に汗が滲み始める。

 一目見て分かった、『強い』。

 それもこの男だけではない、囲むように立っている五人の人間からも並々ならぬ力を感じる。

 リーナは警戒して一歩も動かずにいたが、グレイゼフは近くにいるユイ達だけには聞こえる声で囁いた。

「ワシが連中を引きつける、その間に御主達は他世界へ行け」

 グレイゼフはわざと歩き始めると、喋りかけてくる男の元へと一歩ずつ近づき始めた。

「早かったのう裏切り者の『黒牙』の諸君、狙いはこの少年と少女じゃろう?」

 危機的情を前にしてもグレイゼフは動揺せず落ち着いた物言いでそう尋ねると、男はまるで今グレイゼフだと気付いたように喜んで手を振ってみせた。

「やぁやぁグレイゼフ! 先程ぶりだね、二人を渡せば今回だけ特別に楽に殺してあげるけど。拒否するなら俺の手で直々にじっくり殺そうと思う。どうする?」

「御主に殺される程ワシもまだ老い耄れておらんわい。それに何を企んでおるのかまだ聞いておらぬからのう」

 地面に杖を付き堂々と立ってみせるグレイゼフに黒牙の男は不思議そうに首を傾げた。

「おやおや? その無駄に強気な態度はなんなのかな。重傷を負ってまだ完全に回復はしてないはずだけど───っ!?」

 男が一歩グレイゼフに近づこうとした瞬間、グレイゼフの杖が光を発したかと思えば地面がうねりを上げて波打ち囲んでいた五人を地平線の彼方へと大地ごと移動させてしまう。

 これがグレイゼフが作り出した『隙』である事を理解したリーナは足元に展開していた魔法陣に魔力を込め他世界へと転移を試みる。

 しかし、リーナの表情が険しくなると足元で輝いていた魔法陣は光を失い始め、その異常事態に気付いたグレイゼフが目を見開いた。

「何をしておる!? 早く行かんかっ!」

「転移魔法の妨害を確認。私の残存魔力で打ち破る事は不可能です……!」

 既に魔法陣は完成しているものの妨害魔法により転移する事が出来ないリーナ、それは黒牙の者達によって想定内の結果だった。

「いやはや、小賢しい……逃がすわけないだろ」

 うねる地面を粉砕し貫いて表れた男はグレイゼフの眼前に現れるが、グレイゼフは先を見越して既に魔法陣を展開し目の前の男目掛けて攻撃魔法を放っていた。

「おや───」

 男は魔法を受け止める為両手を盾にするが、魔法の勢いに逆らえず再び吹き飛ばされ距離を離されてしまうがが、五人に黒牙の内二人がグレイゼフの左右から迫り、残り三人がリーナを三方向から同時に迫ってきており、グレイゼフは左右に魔法陣を張り防御に専念するが黒牙の二人が振り下ろした拳は容易くシールドを粉砕してしまう。

「愚か者め」

 それは予想通りの結果、陣が砕けた直後閃光を放ち起爆。黒牙の二人を爆風が飲み込み吹き飛ばしてしまう。

 グレイゼフによる防御魔法とみせかけた爆破トラップの発動。機転を利かせ黒牙に立ち向かうと、リーナもまた二人の黒牙と立ち向かう為に右手に輝剣、左手に拳銃を召喚し構えてみせた。

 するとリーナに向かっていた一人の黒牙が右手を突き出すと、掌に魔法陣を展開しはじめる。

(何を───っ!?)

 突如、リーナの全身の力が抜けその場に跪いてしまう。

 それを狙ったように魔法陣を展開する黒牙とは別の黒牙がリーナの眼前に現れ腹部を蹴り上げると、リーナは軽々と蹴り飛ばされユイの側から離されてしまう。

「……グレイゼフ、君一人で俺達五人を相手にする気かい? 大人しく投降したほうが身の為だと思うけど?」

 正面から魔法を受け吹き飛ばされたはずの黒牙の男は平然とした様子で立っており、グレイゼフの魔法を受けた二人も爆発に飲まれ吹き飛ばされたはしたが、魔装着が煤で軽く汚れただけで対したダメージを負っていない。

 リーナは倒れ、ユイはカイトを抱きしめたままその場に座り込んだ状態であり、まともに戦えるのはグレイゼフしか残っていない状況になってしまった。

「ふむ、このままじゃと全員掴まってしまうのう……仕方あるまい」

 グレイゼフは残念そうに髭を摩っていた左手で杖を握り両手で構えると、杖は光を放ちながら姿形を変えより一層長く神秘的な形状になると、その場にいた全ての人間の足元に魔法陣が広がり始める。

 魔法陣は複雑で、一つの魔法陣の中に複数の陣が形勢され回転している陣もあればまるで時計のように針が動いている陣も展開されており、まるで閉じ込めるように全員は光の筒に包まれ移動する事が出来ない。

 その足元に広がる魔法陣を見てリーナの魔力を奪った黒牙の人間が呟く。

「この魔法……私達、飛ばされるんじゃない?」

 飛ばされる、そう言った女の横に立っていたもう一人の黒牙は腕を組むと特に動揺した素振りも見せず話しだした。

「我等には意識もある、魔力もある、抵抗する意思もある。更にこの世界は既に隔離されている、強制的に転移させるなど不可能だ」

 グレイゼフが発動した『強制転移魔法』に黒牙の人間は特に陣を破壊する素振りや脱出を試みる者はいない。

 すると、五人を束ねていた黒牙の男が皮肉るようにゆっくりと拍手を始めたかと思えば、自分を包み込む筒状の魔法陣を触りはじめた。

「いやはや、その体で最上級魔法を使うなんて……死ぬ気かい? そんな事をしても今この世界で転移魔法は発動できないというのに」

「主等にあの子達を渡すぐらいなら命を懸けてでも試す価値はある。それに……ワシは罪人じゃ。罰は受けなければならぬ」

「どうぞご自由に、自滅してから少年少女はゆっくり回収させてもらうよ」

 よっぽどの自信があるのだろう。黒牙の者達は皆グレイゼフが魔法を発動するのを待っていると同時に失敗に終わる事を確信していた。

 地面に横たわるリーナはグレイゼフの魔法を見ていたが、黒牙の人間と同様の考えを持っていた。

 確かに本来のグレイゼフの魔力、魔法であれば可能かもしれないが、この世界は既に何者かの手によって隔離され転移魔法が妨害されている。それに強力な魔法使いを強制的に転移させる事など不可能に近く、今この状況下で成功する確率など無に等しい。




 そしてその考えは正しく、グレイゼフが最後の力を振り絞り発動された魔法は誰一人として転移させる事が出来なかった。



 ……が、それはあくまでもきっかけに過ぎない。



 余裕の表情を浮かべていた五人の黒牙の表情がある気配に気付き反応を示すと、グレイゼフが展開していた輝く魔法陣の色が一瞬にして黒い輝きとなり魔力が増大していく。

「リーナッ! 転移魔法を発動しろッ! 今ならできるはずだッ!!」

 その場にいた全員が少年の声がする方に向くと、そこには気を失っていたはずのカイトが黒き大剣を足元の魔法陣に突き刺し立っていた。

 まるで黒剣から魔力を送り込まれるように魔法陣は活性化していき、一人の黒牙が魔法陣から脱出しようと殴り始めるがヒビすら入らず脱出する事が出来ない。

「ワシの魔法陣に無理やり魔力を送り込む事で活性化させておるのか、やるのう……」

 グレイゼフも負け時と魔力を魔法陣に込め魔法陣の力をより強化させはじめると、今まで余裕の表情を浮かべていた黒牙の男が両手に己の武器レジスタルであるトンファーを召喚すると、深く溜め息を吐いた。

「はてさて、そんな事まで出来るようになるなんて……若いって怖い」

 その直後、男がトンファーで繰り出した一撃は筒状の魔法陣に亀裂を走らせると、再び力を込め陣の破壊にとりかかりはじめる。

 男による魔法陣の破壊は一分もかからないだろう、リーナはカイトの声を聞き再び転移魔法を発動しはじめると、前回感じたはずの妨害がまるで感じられず目を見開いた。

(妨害魔法が無効化されている!? 確かに今なら私の魔力を足して発動させる事が出来るかもしれない、しかしこの不安定な力では転移先の世界を選択出来ない。それだとユイ様と離れ離れになってしまう……!)

 グレイゼフ、カイト、リーナの三人が協力すれば強制転移の発動が奇跡的に可能になる、しかし……。

「確かに転移は可能かもしれません。ですが、それではユイ様とカイト様、二人だけを他世界へと転移させることになります。そのような危険な真似、私には出来ません!」

 ユイの安全を考えればリーナが躊躇う理由も分かるが、カイトは再び声を荒げリーナに声をかけた。

「んな事言ってる場合かッ!? ここで奴等に捕まったら何もかも終わりだぞッ!!」

「しかし……私には……!」

 命の保障はない、無事に他世界へ転移する前に次元の狭間に飲まれ永遠と異次元を彷徨う可能性もある。

 自らの手でユイを間接的に殺してしまう恐れだってあるのだ、リーナが躊躇う中陣に穴を空け黒牙の男が出ようとした瞬間、カイトの隣に立っていたユイが両手で自分の胸を強く抑えながら叫んだ。

「お願いリーナ! 魔法を発動して!」

 これが皆が助かる唯一の方法。

 ユイは涙を流しながらリーナにそう伝えると、ユイの言葉を聞いたリーナは揺らぐ心を振り払い意を決した。

「ユイ様っ!? ……くっ!!」

 己が非力な余りこのような選択しか出来ない自分が憎い───。

 リーナはユイの命令通り、再び転移魔法を発動。

 その時には既に黒牙の男が陣を破壊、脱出し。カイトとユイの目前にまで迫っていた。

 だが、男の指先がカイトに触れる瞬間、その男を除く全ての人間が強制転移されアルトニアエデンから一瞬で姿を消してしまう。

 男は無言のまま手を伸ばしていたが、ふと溜め息を吐くと両手のトンファーを消し腰に手を当てた。

「いやはや……まさか転移魔法が発動されるとは、この状態では転移先の世界も分からないなぁ」

 さほど残念そうな態度を示さず男は飄々とした口振りでそう呟くと、後ろに振り返り笑ってみせた。

「予想外って楽しい。そうですよね、隊長」

 仮面で顔を隠し黒い軍服を身に纏う黒牙の隊長は、今までその場にずっといたかのように平然とした様子で立っていた。

「俺達は次の舞台に行くとしましょう、その準備も手伝わせて頂きますよ。勿論、表舞台には立たずにね」

 男の中に宿る腹黒い野望が隻眼に宿るように光ると、二人は一瞬でその場から姿を消し、荒廃したアルトニアエデン北部は不気味な静けさだけを残すのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ