第70話 蛇行
アルトニアエデン軍事拠点の本部、その向かい側の方角には巨大な王宮が建てられており、その二つの『要塞』に守られるように市街地が存在している。
付近には高層ビルが立ち並んでいるが、緑豊かな公園が幾つも存在しており、今日も子供達が賑やかに遊んでいる、そんな町の光景を今王宮の最上階にある部屋で一人眺める女性がいた。
「ティア」
その光景を眺める女性『ジャスティア・リシュテルト』は名前を呼ばれ後ろに振り向くと、そこにはジャスティアと良く似た女性が立っており、ジャスティアは軽く頭を下げた後再び町を見渡していく。
すると女性もまたジャスティアの横に立つと、同じように町を見渡しながら口を開いた。
「今日も良い天気ですね。こうして私や民の人達が平和な日々を過ごせるも貴方達のお陰です、ありがとうございます」
長閑で平和な世界が広がっている、それはこの場所から見渡せば良く分かる。
「陛下のお言葉、身に余る光栄であります」
「……二人きりなのですから、その呼び方をする必要は有りませんよ」
そう言って女性はジャスティアの方に顔を向けるが、ジャスティアの視線は町の方を向いたまま女性の顔を見ようともせず返事もしない。
そんなジャスティアの態度を見て女性は寂しそうな表情を浮かべると、本題に入るべく視線を町に戻した。
「ティア、貴方……『禁忌』に触れようとしていませんか?」
ジャスティアからの返事はない、けれど女性は静かに語り始める。
「この世には決して触れてはらない四つの『禁忌』が存在します、この王宮の資料室、それも最も厳重に保管してある資料の中に四つの『禁忌』について書き記した書物が有ります。その内の一つを、貴方は読みましたね?」
今度は視線をジャスティアに向け少し強めの口調で聞いてみるものの、それでも返事が返って来ることはない。
「もし『禁忌』に触れようとするなら今すぐお止めなさい、あれは私達『人』には決してどうする事も出来ない『天災』のようなもの。もしその『禁忌』に触れようとすれば、皆が不幸になりますよ」
女性は自分の胸中を伝えたが、それは『警告』でもあった。
王宮に保管されているSSSランクの資料、その中でも最も厳重に保管されている『禁忌』について記した書物。
それをジャスティアが閲覧した事には必ず意味が有ると女性は思っている。
「……十八年前、この世界は血で赤く染まりました」
その時、今まで沈黙を貫いていたジャスティが口を開くと、静かに語り始めた。
「しかし今では世界は再び平穏を取り戻し、民達は平和な日々を過ごしている。……陛下、私がこの世界を危険に晒すと本気でお思いですか?」
今まで町だけを見ていたジャスティアはそう言って女性の方を見るが、まるで睨みつけるような威圧的な態度に、女性は視線を下げ神妙な面持ちで答えた。
「ティアに限ってそのような事は絶対に有りえないと私も分かっています。しかし……私はティアが心配なのです、特に最近は胸騒ぎがして落ち着きません」
自分の胸元に手を当て女性は辛そうな表情でジャスティアの言葉を待っていると、ジャスティアはその場を離れ部屋の出口へと向かって歩き始める。
「私用があるので、私は失礼します」
「ティア!」
ジャスティアが部屋の出口にある扉の前で女性が名を叫ぶと、ジャスティアはその場で立ち尽くしたまま動きを止めた。
「あの日から今まで、貴方は一度も笑顔を見せてくれませんね……。お願いです、もうあの日の事は忘れ、今を共に、平和に過ごしていきましょう。だから、その……二人きりの時だけでいいの、私の事を『陛下』ではなく、一人の『姉』として───」
女性の言葉を最後まで聞かず、ジャスティアは部屋と後にしてしまう。
言葉、そして思いがジャスティアの耳に届いたのかは分からず、女性は苦しそうな表情を浮かべ胸元を手で抑える続けるのであった。
部屋を後にしたジャスティア、その表情が揺らぐ事は無かったが、その場で足を止めると拳を握り締め呟いた。
「忘れる……だとッ……」
刹那の瞬間、忌々しい過去の光景がフラッシュバックするよう鮮明に脳裏に浮かび上がっていく。
「テ、ティア? どうかしたの……?」
だが、ふと声を掛けられジャスティアの意識が声の方に向くと、目の前にはシルトが立っていた。
そのシルトも怯えた様子で顔色を伺っており、心配そうにしていると、そのシルトの後ろに立っていた女性、テアータが声を掛けてきた。
「やあティア、甘い物でも食べに行くかい? イライラしている時は糖分を取るといいよ」
「貴様が食べたいだけではないか?」
「ボクは今ダイエット中だもん、行ってもシフォンケーキぐらいしか食べないよ」
そう言って何故か強気の態度を取るテアータだが、その横に立っていたシルトがボソリと呟く。
「結局食べるのね……」
「二人で行けばいい、私は稽古に行く」
ジャスティアはテアータの誘いを断り一人歩き始めるが、黙ったまま背中を見つめ続けるシルトに対しテアータは直ぐに声を掛けた。
「ティア、最近そればかりじゃないか。たまには休息も必要だと思うよ?」
「……私を心配してくれているのか?」
「うん。でもね、ただ単にティアと一緒に過ごしたいって気持ちもあるんだ。ボクも、シルトもね」
テアータの言葉にジャスティアが振り向くと、二人が心配そうな面持ちで此方を見つめてくれている。
そんな二人の姿を見て軽く頭を下げると、ジャスティアは再び後ろに向きなおす。
「感謝する。その気持ちだけで私は十分だ」
「……そっか、分かった。何時でも言いに来なよ、ボクもシルトも待ってるから」
テアータはそれだけ言ってジャスティアを見送ると、残念そうに両手を後頭部に持っていく。
「行っちゃったか……ま、無理に引き止めるのは野暮だし。どうだいシルト、一緒に甘い物でも……」
「私はティアの側にいる。私はティアの盾だもの。……それより、本部の資料室に忍び込んだ人が誰か分かったの?」
「んー、その件に関してはエルフェルが調査を進めてくれていてね、全て任せてあるんだ」
そのテアータの言葉に納得がいかないのか、シルトは少し不機嫌そうな表情を浮かべてしまう。
「ふうん……ねえ、あのエルフェルって人、信用して大丈夫なのかしら?」
「心配ないよ、彼女は研究熱心だから。それに、『審判の日』は順調に進んでいるんだろう?」
『審判の日』が進んでいる。そう言われてもシルトは少し首を傾げてしまうが、テアータの表情を見て言葉の意味を察した。
「進んでいるって……テアータ、もしかして……」
「うん、もう直さ。これで全て……終わる」
この時、既に計画が最終段階に移行していた事をシルトは確信すると、シルトは微かな笑みを浮かべ期待で胸が膨らみ始める。
「遂に迎えるのね、『審判の日』!」
「……嬉しそうだね、シルト」
「当たり前じゃない。漸く終わるのよ、これできっとティアも……!」
待ち遠しく、待ちきれない。
体が無性に疼きだし、遂に終わりを迎える日が来た事にシルトは嬉しそうな表情をしていたが、一方でテアータは不安な表情を浮かべていた。
「シルト、ボクはね……正直言うと怖いんだ」
テアータの弱気な発言は続く、例えその言葉をシルトが快く思わなくとも。
「審判の日、それは『終わり』を意味している。ボク達が待ちわびた終わり……けど、本当に終わりを迎えられるのかな? ボクはティアを信用していない訳じゃない、でも、それで全てが終わるなんてボクには思えないんだ」
「テアータ、貴方今更怖気づいてるの?」
先程まで活き活きとしていたシルトは、テアータの言葉を聞いていく内に表情が元に戻り冷静になっていくと、テアータの目を見つめながら次々に疑問を投げかけていく。
「貴方はティアを信用してないの? ティアを信じてないの? ティアの思いを分かってあげられないの……?」
その視線はテアータを敵視していると言っても過言ではなく、不穏な雰囲気が二人の周りに立ち込めるが、テアータは力強い視線でシルトの目を見つめ返した。
「分かってるッ。……だからこそ、ティアが心配なんだよ。ボクも……君もね」
ジャスティアを信頼し、敬愛しているからこそ、この気持ちが生まれる。
だとすれば、少なからずシルトにもそのような感情が生まれるのは必然だった。
シルトだってきっと不安はある、けれどシルトはそれを表に出さず計画の成功を切に願い、成功を信じている。
誰にも見せていないはずの迷い、心境を見抜かれたシルトはテアータを睨むように見つめ返すと、不意に視線を逸らしテアータに背を向けた。
「っ……私はティアを信じてる。それに私はティアの盾、もし何かあっても、私がティアを守るもの」
それだけ言い残しその場を後にするシルト、その行く先がジャスティアの向かった稽古場だという事はテアータも分かっており、シルトの後を追う事もなく自分の基地へと戻る為、テアータもまた後ろに振り返り歩き始めようとした───その時だった。
「こんにちは、テアータ」
藍色の髪に薄らと笑みを浮かべる女性、エルフェルが通路の真ん中に立っていたのだ。
「エルフェル……君からの情報は既に目を通したよ、順調そうだね。その意気で頼むよ」
エルフェルを見たテアータの表情が一瞬曇ったのも束の間、テアータは緩い笑みを浮かべながら擦れ違い様にエルフェルの肩に手を置きそのまま横切ろうとしたが、エルフェルは肩に手を置かれた瞬間口を開いた。
「貴方も邪悪ね。見て見ぬふりをしてるつもりだけど、結局やっている事は変わらないじゃない。それだけジャスティア王女の事を好いているのかしら?」
まるでからかうようなエルフェルの視線と表情に、テアータは全く動じる事なくエルフェルを見つめながら言葉を返す。
「うん、そうだよ。ボク達『親衛隊』はティアの為なら何でもやる、覚えておくといいよ」
「ふふっ、怖い顔。まぁ、私は自分の研究も続けられて、あのお方達にも気に入ってもらえたから、貴方達には感謝しているのよ。これからもよろしくね」
それだけ言ってエルフェルは軽い足取りでその場から去ると、テアータはその場に立ち尽くしたまま拳を握り締めていた。
「……今更もう、どうにもならないよね」
だが、その拳も緩み始めると、その場で俯き一人言葉を吐いてしまう。
「『正義と悪』とか、『正しいと間違い』とか、ボク達はそんな基準で動いている訳じゃない。正義の反対が別の正義と言うのなら、悪の反対はまた別の悪。だからボク達は皆、悪なんだ」
まるで自分を納得させるようにテアータはそう呟くと、俯いていた時に浮かべていた辛そうな表情を消し歩き始めると、来たるべく日を待ちつつその場を後にした。




