第65話 波乱の源
時は遡る事二日前、美癒達のいる世界とは別の世界である出来事が起きていた。
アルトニアエデン本部にある軍事基地、その基地内にある喫茶店のテラスでは今、一人の青年が椅子に座り紅茶を嗜みながら外の景色を見渡している。
高所にある本部の軍事基地だからこそこのアルトニアエデンの市街地の全貌を見渡す事が出来る、彼にとってここから見る町の風景はとても良いものだった。
「おい薙、お前さんよくこの状況で暢気に茶なんて飲めるな」
薙と呼ばれた青年、薙龍馬は男の声に気付き視線を向けると、そこには中年の男が呆れた様子で立っていた。
「おやおや、バランさんではありませんか。お久しぶりです」
バランと呼ばれた男は龍馬と同じアディン専用の軍服を着ており、このバランという男が龍馬と同じアディンに所属している事が分かる。
バランは慌てた様子で椅子に座ると、澄ました表情を浮かべる龍馬に話しかけ始めた。
「聞いたぜおい、アディンであるお前さんが人一人消す任務すら達成出来ず、更にはあのジャスティア王女に無礼をはたらき目ぇつけられてるって噂だぞ。本当なのか?」
「まぁ、物は言いようですが殆ど事実ですね」
「お前阿呆か!? 任務失敗がまだ可愛いもんだぞ、なんたって相手は泣く子も黙る最強の戦乙女、ジャスティア・リシュテルト様だぞぅ!? 一度無礼を働けば即斬首された奴だっているっていう噂だぜぇ?」
「おっかない噂ですね、それにあのお方の力は重々理解しておりますよ」
そう言って特に動じる事もなく紅茶を飲む龍馬に対し、バランは大きく溜め息を吐いた後真剣な面持ちで語り始めた。
「あのなぁ、俺ぁ生まれも育ちもアルトニアエデンだがお前さんは違うだろ。ただでさえ周りの奴等から目ぇつけられてんだ。あんまり派手な事はしねぇほうが身の為だぞ」
その言葉に龍馬は口に近づけていたティーカップが止まると、一口も飲まずにティーカップを戻し町の景色を見渡しはじめる。
「身の為、ですか……所で、最近調子はどうですか? 貴方は今、本部に入隊した一部の新兵達の教官をしておられましたよね」
「ん? ああ、今日も午前の特訓を終えて来た所だ。流石本部に入ってくるだけあって物覚えも良くセンスある奴等ばかりだ、教え甲斐があるぜ」
「それは楽しそうで何よりです」
龍馬はそれだけ言うと再び町の景色を見つめながら紅茶を飲みはじめるが、バランは話を自分の事に摩り替えられた気付き声を荒げた。
「って俺の話はどうでもいいんだよ! ったく、お前さんはほんと緊張感が無えなぁ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
相変わらずの減らず口にバランは再び大きな溜め息を吐くと、一人の少女がバランの元へと歩いてきた。
「バラン隊長、そろそろお時間です」
淡く美しいエメラルド色のツインテールを靡かせ、本部直属の軍服を身に纏うその少女の姿に龍馬は意瞬釘付けになってしまった。
それは単に本部直属の軍服を着ている者がまだ年端も行かない子供だったからではなく、その少女に少なからず見覚えがあったからだった。
「おっともうそんな時間か、そんじゃまぁぼちぼち行こうかねぇ」
少女の声を聞いてバランは左手首に付けてある腕時計を見て席を立つと、少女を見つめ続ける龍馬に気付いたバランが腕を組んだ。
「こいつは新兵の中でも優秀な奴でな、この機会に少しでも本部の中を案内してやろうと思って連れて来たんだが、どうした?」
「いえ、とても若くて驚いていたのですよ。子供でありながら本部の新兵になるという事はそれなりに才能が有るということなのでしょう」
「銃器の扱いが特にな。えーっと、今幾つだっけか?」
そう言ってバランは腕を組みながら首だけを軽く振り向かせ問いかけると、少女は少し緊張しつつも応え答えた。
「十四です」
その年齢を聞き龍馬は少し驚いた素振りを見せたが、同じ部隊の隊長のバランまでも少し驚いてしまう。
すると龍馬は席から立ち上がると、少女に向かって軽くお辞儀をしてみせた。
「はじめまして、私はアディンに所属しているは薙龍馬と言います。以後お見知りおきを」
アディンである龍馬の名前を知らない人間などアルトニアエデンの兵士にはいないのだが、改めて自己紹介を済ませると、少女もまた緊張した面持ちで自己紹介を始めた。
「はじめまして薙さん。私はバラン隊長率いる本部第四師団に所属しています。名前は───」
その時、少女は龍馬の目を真っ直ぐ見つめると、真剣な面持ちで自分の名を告げた。
「風霧汐咲と言います」
午後二時、全指揮官が集う軍事会議は無事行われており、その内容は現在あらゆる世界で多発している魔法使い達による戦争について議論されていた。
その巨大な会議室には百を超える兵士達が集っており、まるで劇場のように広く一階から五階まで吹き抜けのような空間が広がっていた。
そして議論の進行を務めるのはジャスティアであり、現在各世界でどれだけの損害が出ているか等の説明をアルトニアエデン全指揮官に伝えていく。
「百を超える世界が今、名も無き組織によって被害を受けている。罪の無い人々を攫い、世界を破壊するこの者達を決して許す事は出来ない。アディンを筆頭に各世界へと散らばり世の為人の為に全力を尽くして欲しい───」
皆がジャスティアの言葉を真剣に聞いている最中、バランだけは隣に空いた席を横目で見た後、深く溜め息を吐いてしまう。
するとバランの横に座っていた黒い猫耳のフードを被った少女がバランの溜め息に気付き声を掛けた。
「んにゃ~? バランのおっちゃんどうかしたにゃ?」
「薙の奴、人の部下連れてどっかいきやがってな……」
「ムッハ~! それは雌? それとも雄かにゃ!? この際どっちでもいいにゃ、発情期真っ只中とは薙も隅に置けにゃいにゃ。今頃熱々のラブラブにゃん、ニャフフフ」
不適な笑みを浮かべ少女はよからぬ妄想をしていると、バランは腕を組み少女の方に目を向ける。
「なぁニャロメナ、悪いがこの会議終わったら一緒に薙を探してくれねえか? お前なら人一人探す事ぐらい簡単だろ」
するとニャロメナと呼ばれた少女はぷいっとそっぽを向いてしまうと口を尖らせ不機嫌になってしまう。
「ニャロは自由気ままがモットーにゃ、誰かの指図で行動とか反吐がでるにゃ」
「おいおい、ここまで聞いておいてそりゃないだろう?」
「おっちゃんが勝手に話しただけにゃ、ニャロな~にも知らんにゃ~ん」
そのままニャロメナは肘を突きジャスティアの方に視線を戻すと、バランは呆れたように溜め息を吐いてしまう。
(アディンで随一の気紛れ、面倒くさがりに頼んでも無駄か……にしても、あいつはなんで急にあんな事を───)
今から数十分前の事、汐咲が自分の名前を紹介した途端に薙は笑みを浮かべて汐咲を抱き寄せると、そのまま抱かかえてしまった。
突然の事に汐咲もバランも固まってしまうが、バランは直ぐに龍馬に声を掛ける。
「お、おい。何やってんだ……!?」
「バランさん、私は彼女とデートをしてきますね」
「は、はぁっ!? お前さん何を言ってんだぁ!? 会議はもう直ぐ始まるし、それになんで突然───」
「安心してください、会議が終わる頃にはお返ししていますので。では」
それだけ言い残し龍馬は汐咲を抱かかえたままバルコニーから颯爽と飛び降りてしまう。
急いで止めようと身を乗り出したバランだったが間に合わず、龍馬は遥か遠くの地上へと下りていくのが見えた。
この高さから落ちればただでは済まない。しかし、それは普通の人間ならの話しになる。
喫茶店のバルコニーから地上までは数百メートルの距離があるにも関わらず、龍馬は軽々と地面に着地すると、汐咲を優しく下ろし手を引きながら何事も無かったかのように歩き始めていた。
そのまま行方をくらましてしまい、会議の時間も近い為バランは龍馬を追わず会議に参加していたのだ。
(ったく、派手な事するなつってんに……)
会議に参加もせず半ば強引に汐咲を連れていった龍馬、彼は今汐咲と共に基地の直ぐ近くにある見晴らしのよい丘に来ていた。
昼間といえど人影はなくその場には龍馬と汐咲の二人以外誰もいなかった。
「……随分すんなりと来て頂けましたね」
多少の抵抗があってもおかしくないはず、それなのに汐咲は龍馬に連れられたまま何も言わずこの場に来てくれた。
それだけ龍馬は汐咲が今、何を考えているのかを理解する。
「貴方の兄、風霧空の事を知りたいのでしょうか?」
その名前を汐咲が聞いた途端、先程まで落ち着いていたにも関わらず慌てふためくように驚いてみせる。
「っ!? やっぱり空にぃの事知ってるんですね!?」
先程まで落ち着いた様子だった汐咲が空の名を聞いた途端に取り乱し龍馬に迫るが、そんな自分に気付いた汐咲は直ぐに冷静さを取り戻して一歩後ずさりしてしまう。
「す、すみません。兄の事をご存知なんですね……私、兄が命令違反を犯して他世界に行ったって聞いて、それで兄の行方を調べていたんです。そこでアディンである薙さんが兄と接触したって情報が残っていて、でも……」
「その後の手掛かりは一向に掴めない。本来軍の転移装置を使用し他世界に飛べば必ずどの世界に飛んだのか記録が残るはず。しかし……その記録は何者かによって消されている、違いますか?」
「~~~っ!? ど、どうして分かったんですか!?」
どうやら図星らしく、汐咲は目を丸くして驚いており龍馬が簡単に説明していく。
「私は彼と接触した後、風霧空について色々調べようとしました。ですが、彼についての情報は全てロックが掛かりアディンの権限を持つ私でさえも内容を閲覧する事が出来ませんでしたからね」
「え? それって……」
「君は何も知らなくていい。それと、兄について調べる事は金輪際止めなさい」
風霧空は今、大きく歪んだ陰謀に巻き込まれているのは紛れも無い事実。
例え妹だろうと関わらせる訳にはいかない、龍馬は警告するようにそう伝えたが、汐咲は大きく首を横に振ると真っ直ぐ龍馬を見つめながら口を開いた。
「止めませんっ! 薙さん! 私、兄が何処の世界に行ったか知りたいんです! そして聞くんです、無断で他世界に行った理由を!!」
「……居場所を知った所で行く事は出来ないでしょう、まさか貴方まで兄と同じように無断で転移装置を使用するつもりですか?」
「そ、それはっ……」
汐咲の考えている事など龍馬からしてみれば実に分かりやすい、龍馬は自分の左腕に付けている腕時計を見て時間を確認すると、少し遠くに見える本部の建物を見ながら歩き出した。
「さてと、着く頃には会議も終わっているでしょう。戻りますよ」
龍馬はそれだけ言い残し本部の軍事基地へと戻り始める。
納得のいかない汐咲はその場に立ったまま歩き出さない、すると龍馬は足を止めると、汐咲に向けて一つの質問に答えてあげた。
「あ、そうそう。どうして君の兄が他世界に行ったのか、その理由は知っているよ」
そう言って少しだけ振り返って見せると、横目で汐咲を見つめなながら囁いた。
「女性の為さ」
「え……えええ~~~っ!?」
まるでわざと誤解を与えるような龍馬の言い方に汐咲は思わず息を呑むと、龍馬は楽しそうに薄っすらと笑みを浮かべながら再び歩き始める。
信じられない様子の汐咲は驚愕したまま歩き出せずにいたが、更に詳しい事が知りたく慌しい足取りで龍馬の後を追い駆けるのであった。




