第62話 不断な迷い
甲斐斗とリーナ、二人の激しい戦いは一旦終わりを迎える。
そしてリーナが空に語り出した、甲斐斗が犯してきた数々の罪を。
「空様。カイト様と唯様の関係、そしてこの世界に来た理由をどのように聞いていますか?」
そう聞かれた空は、自分が甲斐斗から聞いた説明をそのまま話し始める。
「それは、甲斐斗さんが唯さんを守る為の傭兵で、唯さんはご結婚を成されてこの世界に来たと……」
「いいえ違います、その話しは全て偽りです」
「なっ!?」
全て偽り。そう言われた空は驚きが隠せず、リーナは淡々と説明しはじめる。
「真実はこう、カイト様は傭兵ではなく唯様の幼馴染であり、唯様がこの世界に来た理由はカイト様をアルトニアエデンから逃がす為です」
真実を語るリーナの言葉に空は動揺し口を開けたまま硬直していると、少しずつ言葉の意味を理解しながらリーナに問いかけた。
「アルトニアエデンから……逃がす? 甲斐斗さんはアルトニアエデンで何かをしたと言うのですか……?」
「ええ、大罪を犯しました。空様はご存知でしょうか、今から十八年前、アルトニアエデンで起きた『血の楽園』を」
『血の楽園』、それはアルトニアエデン至上最悪の惨劇。
その事件は未来永劫語り継がれるものであり、その他の世界にも語り継がれる程の事件だった。
文明ランクA級の世界、アルトニアエデンの世界に降臨した一体の『魔神』。
破壊と残虐の限りを尽くしたその存在は多大な犠牲を払いつつもアルトニアエデンの手により滅する事が出来たと言われている。
「カイト様こそがあの事件を引き起こした張本人……即ち、『魔神』なのです」
その滅されたはずの存在が、リーナの言葉の通りなら目の前に存在している。
『甲斐斗』という男という存在に変わり、その『魔神』が存在している。
そのリーナの言葉、例え事実だとしても空には信じられないないものだった。
「……は? いえ、ちょっと待ってください! 甲斐斗さんが魔神? リーナさんが何を仰ってるのかが僕には理解が……」
出来る訳がない。
空の頭の中には様々な憶測が飛び交う。
確かに甲斐斗は強い、その桁違いの魔力の強さは認識しているつもりだ。
だが、アルトニアエデンを壊滅させる程の『魔神』とイマイチ結びつかなかった。
理由は? 何故甲斐斗がそのような事を? いや、第一に本当に甲斐斗がその魔神なのか?
『血の楽園』、吐き気を催す程の最悪の事件、その悲劇を文章だけで閲覧した者でさえ気が狂い吐き気を伴うと共に発狂し、錯乱状態になると言われている。
何十万と超える人間が無残な死を遂げ、その魔神を倒す為に戦った兵士達の殆どが生還する事が出来なかった。
アルトニアエデンの決死の戦いでその『魔神』を排除する事に成功はしたが、『最悪の存在』が引き起こした事件は歴史に大きく刻む事になる。
「私の発言は全て真実です。空様はカイト様と過ごしていれば気付いたはずです、『カイト』という存在の危険性を」
「で、ですが。あの日魔神はアルトニアエデンの全戦力をもって排除したと……!」
「それはあの世界の人間がその方が都合が良いと勝手に話しを作っただけです。何故なら私が唯様の命令で唯様とカイト様を他世界へ転移させたのですから」
つまり、リーナは全ての真実を知っている。
何故ならあの日、あの時。唯と同じくその全ての惨劇の目の当たりにしていたからだ。
空は愕然とした表情で甲斐斗に視線を向けるが、甲斐斗は依然項垂れるように俯いたまま会話に入ってこない。
「何故世界を破壊したのか、何故そのような力を持つのか、それは私も存じません。ですがカイト様のしてきた事は全て許されるものではないのです。それにしても唯様はお優しすぎる……何故このような男の為に自分の人生を捨ててまで助けたのか、私には理解が出来ません。いえ、実はあの時私には黙っていただけで何か弱みを握られていた可能性もあります」
あの時リーナが二人を他世界へと転移させたのはあくまで唯の指示があったからこそであり、リーナの望む事ではなかった。
「ですが、唯様がそれで『幸せ』になれるのでしたら私は構わない、そう思うようにしていました。しかし……この世界に来て話しを聞いた時、私は絶望し、カイト様に失望したのですッ……」
冷静に語っていたリーナが眉間にシワを寄せ辛そうな表情を浮かべる、唯の事を思うリーナだからこそその苦しみを理解し、胸の奥底から込み上げて来る憎しみ、憎悪の視線を甲斐斗に向ける。
「唯様はまだ十六という歳にも関わらず子を孕まされ、女手一つで美癒様を育てたのです。親も友達もいない、誰一人頼れる人がいないこの孤独な世界で不安な日々を過ごしながら……」
「えっ……と、待ってください。『子を孕まされ』って……もしかして……」
リーナの言葉にふと違和感を感じた空は思わず視線をリーナから甲斐斗に向けると、リーナはゆっくりと頷いてみせた。
「空様も薄々気付いていたのではありませんか? 美癒様の父親にして唯様の夫───」
その答えは直ぐ目の前に有る、リーナは徐に右手を突き出し人差し指で真っ直ぐ向けて言葉を続けた。
「それがこの男、『カイト・スタルフ』だと」
俄かに信じられない話しだが、リーナの言葉には説得力があった。
全てとまでは言わないが辻褄も合う、納得できない所といえば何故甲斐斗が美癒の父である事を隠しているかだった。
「ほ、本当なんですか? 甲斐斗さん……っ……」
謎を知りたければ直接本人に聞くしかない、空はリーナの話しが本当か確かめるべく甲斐斗に尋ねた。
だが、甲斐斗は息を殺すように全く身動きを見せず答えようともしない。それを見ていたリーナが口を開き更に問い詰めようとした。
「美癒様が生まれて直ぐにカイト様は他世界へと唯様を残し逃げたのです。どうして側にいてあげなかったのですか、どうして唯様を支えてあげられなかったのですかッ……貴方は───」
その時だった、微かに甲斐斗の肩が震えているのが見えた瞬間、甲斐斗は俯きながらも口を開いた。
「クククッ……ははっ! くははッ! だはははは!!」
一切笑えるような内容では無いにも関わらず、甲斐斗は面白おかしい程に笑い声を上げた。
「甲斐斗……さん……?」
甲斐斗の笑う姿に空は唖然としてしまうが、甲斐斗は徐にその場に立ち上がると口元だけ少し笑みを浮かべながらからかう様に言い放つ。
「ああ、怖いねぇ、それ全部お前の妄想だろ? 俺が美癒の父親? 笑わせんじゃねえよ」
全てを認めるのかと思えば、真っ向から反論してきた甲斐斗にリーナは首を傾げてしまう。
「何故この期に及んで嘘を吐くのか理解し難いですね。お認めにならないのですか? 貴方は美癒様の父親であると」
すると甲斐斗は右手の中指を突きたてあざ笑うように声を荒げた。
「第一に『俺』と『美癒』は血が繋がってすらねえんだよッ!! そんな事も知らずにお前は戯言ほざいてたのか!?」
思いがけない甲斐斗の言葉にリーナは動揺し驚きの表情を露にしてしまう。
「何ですってッ!?……いえ、しかし、唯様はっ……!」
「俺は頼まれたッ。『美癒を守ってほしい』、『唯を幸せにしてほしい』。奴はそう言って消えたッ。俺はただその言葉の通りに行動しているだけだからなぁッ!!」
動揺するリーナを畳み掛けるように甲斐斗は言葉を続けていく、それはリーナを説得するには今しかないと思えたからでもあった。
「たしかに俺はお前の言うとおり唯の側にいてやれなかった、幸せにしてやれなかった。だからこそ今、側にいて、幸せな日々を送る為に俺がいる。それでお前は───」
「納得出来ません」
瞬間移動とも言える高速、それは瞬く間も与えないリーナの攻撃。
甲斐斗の腹部はリーナの右膝により大きく抉らるたように蹴り上げられると、甲斐斗はそのまま木々の生い茂る森の中に蹴り飛ばされてしまう。
「ガハッ゛!?」
蹴り飛ばされた甲斐斗が木に直撃した直後、その衝撃で軽く木が圧し折れてしまうと、甲斐斗はそのままその場に腰を下ろし立ち上がれず両手で腹部を抑えたまま苦しそうに俯いてしまう。
「どちらにしろ唯様を悲しませたのは事実であります。それに貴方はただ頼まれただけ? 最早貴方の言葉は信用に値する価値はありません。結局の所唯様が送ってきた日々は全て真実という訳です。そこで私は思いつきました、唯様が今後どうやって幸せになれるのかを」
導き出した答えは一つ、リーナは空の方を見つめると力強い口調で言い放った。
「空様、貴方が唯様の夫になってください」
一瞬、空は自分が何を言われたのかが理解出来なかった。
その突拍子も無い発言の意味に空は固まり戸惑いながらも口を開く。
「なっ……何を、仰っているのですか……? 正気、ですか……?」
「ええ、至って正気です。既に筋書きは出来てあります、先ずこの世からカイト様と美癒様を消します。当然そうなれば子を失った唯様は酷く傷付くでしょう、そこで空様、貴方の出番なのです。貴方が唯様に優しい言葉を掛けて唯様をお支えになるのです、当然それは空様が唯様を愛する必要がありますが然程問題はないでしょう、空様は可憐で美しい唯様を一人の『女』として見た事が必ずあるはずですよ。勿論私も空様を全力でサポートさせて頂きます、こうして空様が唯様の夫となり唯様に一生を捧げるのです、子宝にも恵まれ二人は睦まじく幸せな一生を過ごす……完璧だと思いませんか?」
「全く正気じゃないッ……」
リーナの語る『幸せ』それはあくまで結果だけ見ればそうなのかもしれない。
だが、それに至るまでの過程が余りにも醜く酷いものだった。
「良くお考えになってください。唯様がこれまでどれだけ酷い人生を過ごしてきたのかを、貴方のような若く心優しい好青年が唯様に相応しいのです」
「リーナさんは、唯さんの幸せの為なら全てを犠牲にしても良いというのですか……?」
「当然です、それが私『MG』の使命なのですから」
一切の迷いの無い返事、恐ろしく冷静な態度のリーナだが、それを聞いていた空もまた同じ態度を示していた。
「僕は貴方の語っている世界が唯さんにとって本当の幸せだとは思いません」
何故ならこれまでの日々を過ごしてきた空は唯が『不幸』だと思ったことが一度も無かったからだ。
リーナの言う通り唯の過去には色々な事があったのかもしれない。
辛い出来事、苦しい日々……しかし、それを乗り越えたからこそ今、唯は幸せに暮らしている。
「そもそも唯さんが幸せかどうかは貴方が決める事ではない。唯さんは仰ったのですか? 今が不幸せだと、美癒さんや甲斐斗さんと過ごす毎日が苦しく、辛く、悲しいものだと」
唯がそのような言葉を吐く事すら想像がつかない空は鋭い視線でリーナを睨むと、そんな視線に怯む事もなくリーナは答えてみせた。
「……唯様の口から今の所そのような言葉は出てきていません。ですが、唯様の過去の境遇を見れば明らかに不幸であり、その原因がカイト様であるとお分かり頂けると思います」
そう答えた所で空がリーナの言葉に納得する訳もなく互いが睨みあっていると、リーナは一つの提案を投げかけた。
「ではこうしましょう、空様。カイト様をこの世界から排除した後、空様が唯様の夫になる事を約束して頂けるのであれば美癒様の命はお助けいたします、悪い話では───」
「僕は、美癒さんの全てを守ります」
リーナの言葉を遮るように空はそう呟くと、両手に双剣を召喚してみせた。
「誰一人欠ける事無い世界、そこには皆がいなくてはならないのです。だから僕は守る為に戦います、美癒さんも、唯さんも、甲斐斗さんも……そしてリーナさん、貴方もです」
「……貴方のような青二才が、私を……守る?」
自分より遥かに弱い存在に守ると言われたリーナは首を傾げてしまうと、大きな溜め息を吐いた。
「どうやらお互いの『幸せ』には相違があるみたいですね……致し方有りません」
次の瞬間、リーナは紫色に輝く六枚の翼を広げると、背後に六つのフェアリー、そして右手に輝剣、左手に拳銃を召喚してみせる。
それはリーナが臨戦態勢に入った証拠、互いが互いを睨みあい、武器を握り締め対峙した。
「少し痛い目を見せてあげましょう、そうすれば貴方の目も覚めるはずです」
互いが望む『幸せな世界』の為、空とリーナは武器を手に取り戦う。
その行為は皮肉にも、互いが望む世界には本来必要無いはずだというのに───。




