第60話 相違の幸福
お風呂から出たばかりの美癒は自室のベッドに座り一冊のアルバムを見ていた。
それは今日、昼間に空達と見た自分の幼い頃のアルバムであったが、美癒は再び懐かしそうに一枚一枚写真を見つめ始める。
すると、部屋の扉を数回ノックされる音と共にリーナの声が聞こえてきた。
「み~ゆ~、入っても良いかなー?」
「リーナさん? うん、いいよ!」
美癒はアルバムを開いたままそう言うと、部屋の扉を開けてリーナが部屋の中へと入ってくる。
するとリーナは美癒の手に持っていたアルバムに視線を向けゆっくり歩み寄り、美癒の隣に並ぶようにベッドへと座った。
「またアルバム見てたんだ」
リーナも美癒の隣に座りアルバムに張ってある写真を見ると、美癒は一枚の写真を指差し懐かしそうに語り始める。
「うん、小さい頃の事あんまり覚えてなくて、写真を見たら思い出せるからたまに見てたりするの。ほら、この写真もね、私が幼稚園児の頃の写真、お母さんと一緒におままごとしてる」
美癒が指差した写真にはプラスチックで出来た玩具の包丁で玩具の野菜を切っている所だった。
するとリーナは唯と美癒の二人が写っている写真を見てある事を尋ねてみた。
「これ、美癒のお父さんが撮ったんだよね? 美癒はお父さんの事憶えてる……?」
「えーっと……私が小さい時にお父さんは家から出て行ったからかもしれないけど、私お父さんの顔が思い出せないの。お母さんにお父さんの写ってる写真が無いか聞いてみた事もあったけど、お母さん一枚も持ってなかったから……」
幼い頃、確かに父は側にいた。
しかし、父は美癒が幼稚園を卒業するよりも前に母と別れてしまい、美癒の頭の中にある父との記憶が曖昧になっていた。
姿を思い出せなければ顔も思い出せない、けれど確かに父は幼い頃自分の側にいてくれたのは紛れも無い事実。
「ねえ美癒、どうして唯はお父さんと別れたんだと思う?」
「……分からない。お母さんはお父さんの事話したがらないから、私もお母さんに詳しく聞いたこともなくて……」
それから美癒は言葉が続かず俯き沈黙してしまう、するとリーナは美癒を抱き寄せ口を開いた。
「忘れようよ」
「えっ?」
ふとリーナの口から漏れた言葉に美癒は顔を上げると、リーナは美癒の目を真っ直ぐ見つめながら話し始める。
「過去に囚われちゃダメ、そんな過去必要ないよ。リーナも過去に色々な事があった……でもね、ずっと思い悩んだって過去は何もなりはしないし、変わりもしない……」
リーナは思い詰めた表情でそう言うと、美癒の手を優しく握りながら言葉を続けた。
「だからもうお父さんの事は忘れよう、ね?」
それは美癒を思っての優しさであり、リーナは美癒の手を優しく握り締めたままじっと返事を待っていると、美癒は暫く考えた後大きく首を横に振った。
「ううん。忘れたくない」
そもそも美癒は忘れたいと思った事も無ければ、辛い過去だと思ってもいない。
母と別れた父の事を嫌ってもおらず、それ所か何時か会えたらいいなとさえ思っていた。
リーナはそんな美癒の意思を感じ取ると、少し残念そうに視線を下げてしまう。
「そっか……あ、そうだ。実は美癒にプレゼントがあるの、リーナが『いいよ』って言うまで目を瞑ってもらってもいいかな?」
唐突に話しを切り替えリーナは美癒の前に立ち恥ずかしそうにそう言うと、美癒は直ぐに目を瞑り始めた。
「プレゼント? わぁ、なんだろう!」
期待に胸を弾ませながら嬉しそうに美癒は目を瞑りじっとリーナの言葉を待つ。
だが、対照的にリーナの顔に笑みも無ければ、その冷たい視線でただただ美癒を見つめ続けていた。
そこには先ほどまで和気藹々と話していたリーナはおらず、ふと手を前に出し手元に拳銃を召喚すると、その銃口を躊躇い無く美癒の額に向けた。
美癒とリーナ。二人しかいないこの部屋で今、美癒の命は危険に晒されていた。
ゆっくりと引き金に人差し指を掛けたリーナは、ただただ美癒を見つめながら指に力を籠め始める。
これで終わりと始まり、両方を迎える事になる。
それはきっと悲劇なのだろう。だが、その悲劇が有るからこそ人は人の儚さ、尊さを知り、乗り越えていく為に人を欲する。
これは過程。それはリーナが望む、最高の結果の為の───。
「っ!?」
鋭く突き刺さるような殺気を背後から感じる。
リーナは背筋をビクリと震わせ思わず後ろに振り返ると、そこには部屋の扉に凭れかかり腕を組んだままリーナを見つめる甲斐斗が立っていた。
何時からこの部屋に居てリーナの背後に立っていたのかが分からなかった、つまり甲斐斗の気配を感じ取れなかった事にリーナの心は少し困惑するが、その様子を表情に出す事はない。
依然として甲斐斗の瞳はリーナを見つめている。だが、リーナを止めに入る事もせずその成り行きを見守るように見つめ続けるだけでリーナを止める気配が感じられない。
互いに見詰め合う緊張状態が続く中、リーナは徐に俯き手から拳銃を消すと、唐突に甲斐斗に近づき右腕を力強く振り上げた。
「はい! 目を開けていいよ~っ!」
リーナの言葉に美癒が勢い良く目を開けると、そこには後ろから肩を掴まれた甲斐斗が目の前に立っていた。
プレゼントと聞いててっきり『物』を渡されると思っていた美癒だったが、まかさ人間、しかも甲斐斗だと気付き思わず目を丸くしてしまう。
「え、ええっ!? 甲斐斗!?」
「そう! 美癒へのプレゼントは甲斐斗でした~! 煮るなり焼くなり好きにしてオッケーだよー!」
リーナはそう言って甲斐斗の背後から肩を掴み左右に揺らしていると、甲斐斗は気だるそうな表情を浮かべて口を開いた。
「おーうオッケーだーい、今日から俺はお前の玩具だぁーい」
流れのままに甲斐斗はそう言うが、美癒は怒ったように手を振り動かしはじめる。
「もー! 二人してからかわないでよー!」
「ごめんごめーん、ちょっとしたジョークのつもりだったんだけどね~」
「私は甲斐斗を煮も焼きもしないからっ! あ、でも今度一緒にお買い物行こうね! 私まだ甲斐斗とお買い物行ったことないからっ!」
「は?……ああ……うん、分かった」
突然買い物の約束をされた甲斐斗は思わず素で返事をしてしまうと、リーナに肩を掴まれたまま部屋の外へと連れて行かれてしまう。
「ほら甲斐斗、行くよ~。ごめんね美癒、お邪魔しました~!」
そのまま二人は美癒の部屋から出て行ってしまい、ベッドに座っていた美癒は思わず溜め息を吐くのであった。
つい先ほどまで和やかな雰囲気だったにも関わらず、美癒の部屋を出た途端にリーナと甲斐斗の顔か柔らかな表情は消えた。
リーナは笑みを消し冷たい視線を甲斐斗に送ると、甲斐斗もまた俯きつつ視線を下げたままだった。
「甲斐斗、話しがあるの。付き合ってもらえる?」
「ああ……行くか」
それだけの会話で二人は重い空気の中、階段を下りて一階に着くと、甲斐斗は足早に玄関へと向かい家を出た後、リーナもそれに続いて口を履き替え出て行こうとした時、丁度お風呂上りの空が寝巻き姿でリビングから出てきた。
「あれ、甲斐斗さんにリーナさん? こんな晩くに何処へ行くんですか?」
「んー? 甲斐斗とデートにでも行ってきまーっす! お留守番よろしくね~!」
空をからかうように笑顔でそう言い手を振りながら玄関の扉を開けるリーナ。
だが空は見てしまう、りーナが外へと行く直前、先ほどまで浮かべていた笑みが消え、冷たく重い表情を浮かべたリーナを。
「今のって……」
それはほんの一瞬だったが、そのリーナの冷たい表情は空の目に深く焼きつき、言いようの無い焦りと不安が胸から込み上げ始めていた。
甲斐斗とリーナは終始無言で歩き続け、気付けば人気のない山奥へと来ていた。
既に日が暮れていたが、上空には星空などは広がっておらず、黒く巨大な雲が遥か彼方まで覆い尽くしていた。
暫くして甲斐斗が足を止め、後ろに振り返る、するとリーナもまた足を止め、二人は一定の距離を保ったまま先に甲斐斗が喋り始めた。
「リーナ、今日の出来事は見なかった事にしてやる。だから───」
「黙れ」
リーナの冷たい一言に甲斐斗の言葉が止まると、リーナは普段と同じような口調で会話を進めていく。
「ねえ、なんなのこの茶番。リーナこの世界に来た途端にビックリしちゃったし、それこそ甲斐斗の話しを聞いて思わず吹き出そうになっちゃったもん」
「色々と事情があると言っただろ、お前が困惑するのも無理はないが今はこれで平穏に……」
「事情? 事情って何? 結局それ全部甲斐斗のせいじゃん、リーナね、今日一日で唯、美癒、空、皆から今までの話を聞いたよ。それでもう全て理解できたから」
甲斐斗の言葉に呆れてしまったリーナは蔑むような目で甲斐斗を睨み、そして遠くにいる唯へと儚そうに視線を向けた。
「結局甲斐斗は唯を幸せにする事が出来なかった……それもそうだよね、甲斐斗みたいな『奴』が唯を幸せにする事なんて無理、不可能、有り得ないもんね。……この屑がッ」
それだけ言うとリーナは束ねてあった髪を解き、美しい紫色の長髪を靡かせる。
「よって、これより私はご主人様の為に成すべき事を成さなければなりません」
甲斐斗は腕を組んだままだったが、リーナが本気になったのを見て何時でも動けるようリーナの動きに集中していく。
「甲斐斗様……いえ、カイト・スタルフ。貴方がもし唯様の為を思うのであれば……死ねとは言いません、今直ぐこの世界から消え、二度と唯様の前に現れないでください」
「……悪いがそれは出来ん。俺は美癒と唯を守らなくちゃいけないからな」
『美癒と唯』を守る、その不愉快極まりない言葉を聞いたリーナは一瞬冷静さを欠いた表情で甲斐斗を睨んだ。
「何を今更ッ……私がこの世界に来た事でその心配が最早必要無いとご理解頂けないのですか?」
「ああ、お前だけじゃ無理だ。それに、『俺が』二人を守りたいんだよ」
「傲慢で身勝手、自己中心的であり我侭。このような方に人生を振り回されるなんて……唯様はなんとお労しいのか……」
最早怒りや呆れといった感情を通り越し哀れな甲斐斗に同情すらしてしまうと、甲斐斗は苛立ちを見せながら口を開いた。
「で? 俺はこの世界から消えるつもりは無いんだが。その場合お前はどうするつもりだ」
「どうするもこうするも、先程も仰いましたよね。私はご主人様の為に成すべき事を成す……と」
その言葉の意味を察した甲斐斗は、もう避けられない事だと分かっていても念の為、もう一度力強い眼差しで聞く。
「俺の実力、知らない訳が無いだろ……それでもか?」
その甲斐斗の言葉に答えるかのように、リーナは背中から美しく輝く紫陽花色の六枚の翼を広げると、輝く花弁が辺りに舞いはじめる。
右手に輝く剣、左手に拳銃、そしてリーナの周囲から六つの魔法陣が展開されると、小型自律起動兵器『フェアリー』を召喚した。
本来なら戦いは避けたかったが、甲斐斗は渋々右手に黒剣を召喚すると、今にも襲いかかりそうなリーナに剣先を向け構えてみせる。
「カイト様も私の実力をご存知のはずですよね。私は第6MG、名はリーナ。唯様の幸せの為、これより『害悪』を排除します」
『害悪』、そう言われた甲斐斗の脳裏に一瞬過去の出来事が過ぎると、残念そうな表情を浮かべたままリーナと戦闘を開始するのであった。




