第54話 巡り巡る縁
夜が明けた森では今、空と美癒が川沿いにそって歩き始めていた。
本来なら空の魔法で飛ぶ事も出来るのだが、魔力と体力を消耗してしまう為極力徒歩で移動するように決めている。
実際の所、美癒が『自分の知らない世界を歩いてみたい』という強い思いがあったからだった。
「あっ、見て見て空君! あそこに可愛い動物がいるよ!」
美癒が指を指した方に視線を向けると、そこには大きくモフモフとした耳が特徴的な小動物が小枝の上に立っており、美味しそうに木の実を齧っていた。
「見た事のない動物ですね、ああいう動物なら大歓迎ですが、何時獰猛な獣が襲ってくるか分かりません。くれぐれも僕から離れないでください」
「うん、心配してくれてありがとう」
見た事の無い動物、植物を見て目を輝かせる美癒、その後ろからは空が見守りながら歩いていた。
余程他世界が珍しいのだろう、きょろきょろと周りを見渡しながら楽しそうに観察しており、水辺に生えていた綺麗な花を見つけると嬉しそうに近づいていく。
「わぁ綺麗! なんて花だろう?」
青く透き通るように美しい花弁に見惚れながら美癒がその花の匂いを嗅いでみると、ぱっと笑顔を浮かべ空を手招いてみせる。
「とっても甘い匂いがする! 空君も匂ってみるといいよ」
そう言われて空もまた青い花に近づき、その美しい花に顔を近づけた───その時だった。
「嗅いではいけません!!」
「えっ───?」
何処からか女性の声が聞こえたのと同時に空は無意識に花の匂いを嗅いでしまう。
その瞬間、空の意識はブツリと途切れるかのように無くなってしまった。
「っ!?」
空が意識を取り戻すのにそう時間は掛からなかった。
ベッドの上で飛び起きてしまった空は、此処が何処なのかを把握する前に隣に座っていた美癒が声を上げて喜んでいた。
「空君っ! 気が付いて良かったぁっ……!」
心配してくれた美癒を見て空は自分が意識を失った事を再認識すると、どうして意識を失ってしまったのかが分からず困惑していた。
「えっと、あれ? 美癒さん? 僕はどうして……いや、それよりも此処は……?」
その疑問に答えるのは美癒ではなく、液体の入ったコップを手にして部屋に入ってきた一人の女性だった。
ブロンドの長髪を束ねワンピース姿の女性は心配しながら空に近づいていくと、美癒の隣の椅子に座り説明しはじめた。
「大丈夫? 貴方は『オラシア』の匂いを嗅いで倒れたからここに連れて来たの。憶えていないのかしら? さぁ、まずはこれをお飲みになって」
空は女性に言われるままに飲み物が入ったコップを受け取るが飲もうとうはせず更に疑問を投げかけた。
「あ、ありがとうございます……あの、オラシアとはあの青い花の事ですか?」
その言葉に女性は驚いた様子で空を見つめると、首を傾げながら空と美癒を交互に見ていた。
「男性がオラシアを嗅げば意識を失ってしまう、子供でも知っている常識なのだけれど……お二人は本当にご存知ないのでしょうか?」
当然二人がこの世界の植物についての知識など皆無であり、この世界の常識を知るはずもない。
「す、すいません……」
ただただ謝る事しか出来ない空はコップに入っていた飲み物を一口飲むと、緑茶のようにほろ苦い液体を我慢して飲み続けていく。
「ごめんなさい、責めている訳じゃないのよ。それにしても、どうしてあのような所にいたのかしら、街からも随分遠いのに……」
すると、部屋の外から何やら物音と数人の声が聞こえてくると、三人はふと視線を扉の方に向けた。
その瞬間、扉が勢いよく開くと数人の幼い子供達が雪崩れ込むように倒れてしまい、三人に見つかってしまったのに気付いて少年少女達がわめき始めていた。
「もー! おすなっていっただろー!」
「お~も~い~! はやくどきなさいよー!」
「わー! レインせんせい! その人たちだ~れ?」
何人もの子供達が一斉に喋り始め美癒と空は呆気にとられきょとんとしていると、レインは椅子から立ち上がり子供達一人一人を優しく抱き上げ立たせていく。
すると子供達はレインに甘えるようにぴたりと引っ付き始めると、珍しそうに空と美癒を見つめ始める。
レインは自分に引っ付く一人の少女の頭を優しく撫で始めると、二人の方を見ながらゆっくりと口を開いた。
「自己紹介がまだでしたね、私はレイン・フィアンネ。ここの施設で教師を勤めております」
ここは親のいない子供達を引き取り育てる小さな施設。
森の中にポツンと建てられているその施設の回りには他の建物等は一切ない。
教室の数も一つしかなく、生徒の人数は二桁もいない小さな学校。
レインはたった一人で子供達の面倒を見ながらも勉学を教えるこの施設の唯一の教師であった。
一通りの話しを聞いて美癒と空の二人は納得すると、助けて頂いたお礼に子供達の世話を共にしていた。
幼い子供達と絵を描いて遊んだり、外に出てボール遊びをしたりなど、二人は直ぐに子供達に懐かれ仲良く過ごしていく。
こうして現在、お昼寝の時間になった為子供達を全員寝かせると、レインは美癒と空と共に一室で休憩をしていた。
案内されるままに美癒と空は椅子に座り、レインはお茶の準備をし始める。
子供達と接する二人を見てレインもこの二人が悪い人ではない事と実感すると、二人にお茶を淹れた後レインが二人に声をかけた。
「天百合さん、風霧君、ありがとうございました。お二人のお陰で生徒達も大喜びです」
二人にお茶を淹れたレインもまた椅子に座りお茶を一口飲むと、空は軽く頭を下げて応え始める。
「いえいえ、助けて頂いたお礼です。僕達の方こそ素性も聞かず親切に接して頂き助かりました」
結局の所、二人は何処から来たのかをレインにまだ告げていなかった。
それもそのはず、他世界から来たと言っても信じてもらえるかどうかも分からないのだ。
ましてや二人は魔法使い、この世界では魔法が無い可能性も有る為この世界に深く関わりを持つ事は好ましくない。
これから先、どうすば良いのか……空と美癒がお茶を飲みながら考え始めようとした瞬間、レインが何かに反応し微かに顔を上げた。
「レインさん……?」
美癒はそんなレインの異変に気付き声を掛けるが、レインは徐に立ち上がり部屋の扉の前に移動すると、後ろに振り返ってみせる。
「少し外の様子を見てきます。二人とも、私が帰ってくるまでここにいてください。いいですね?」
先程までの和やかな雰囲気とは違い、真剣な表情を浮かべるレインの言葉に二人は動揺しながらも頷いてしまう。
「は、はい……」
「直ぐ戻ります、それでは」
美癒の返事を聞いてレインは安心させるように少し微笑んだ後、部屋を後にする。
二人は残されたまま顔を見合わせてしまうと、空は席から立ち上がり扉の前にまで移動しはじめる。
「外で何かあったのかもしれません、美癒さんはここに残っていてください」
「えっ、でも……」
「子供達の側にいてあげてください、何もなければ僕も直ぐに戻りますので」
それだけ言い残し空も部屋を出ると、レインを探すように辺りを見渡しながら施設の外へと出て行く。
すると、施設から少し離れた草原にレインらしき人物の人影が見えた為空が近づこうとした瞬間、視界には思いがけない物体が入り込む。
それは空にとって実際には見た事のない物……いや、生物なのかもしれない。
全長五メートルを超える程の人の形をした巨大な岩石、レインはその岩石の前に立ち何やら話し始めていた。
(ゴーレム!? この世界には魔物がいるのかッ……!?)
初めて見るもの魔物に空は驚いていると、その魔物はレインが話している途中だと言うのに巨大な右腕を振り上げはじめていた。
「危ないッ!」
瞬時に風を纏い空は疾風の如くレインの元まで跳躍すると、魔物の豪腕が振り下ろされようとした寸前に間に合いレインを抱かかえたままその一撃を回避する。
殴られた地面は拳の衝撃で亀裂が走り地震が起こると、レインは驚きながら空を見つめた。
「風霧君!? 貴方も魔法が使えるの……?」
魔法を見て驚くレインを空は優しく地面に下ろすと、手元に双剣を召喚し魔物を見つめながら応え始める。
「ええ、黙っていてすいません。『貴方も』という事はどうやらこの世界は魔法が有る世界のようですね。所で、あの岩石の魔物はいったい……」
初めて見る岩石の魔物を見つめながら空はそう言うと、レインは残念そうに応え始めた。
「私にも分かりません、説得を試みましたけど駄目でした……」
その一言に空は思わず驚いてしまう、何故なら言葉も通じるかどうか分からない魔物と話し合おうと言っていたからだ。
(魔物を説得!?……肝が据わっているというかなんというか……っと、それより今はあの魔物をどうするかを考えなければ。言葉が通じないとしても一方的に攻撃をしかけるなんて……野性の魔物? それとも誰かに召喚され、その指示で動いているのか……?)
空が思考を凝らし魔物をどう対処しようか考えていると、魔物は地面に手を突き刺し巨大な岩石を掘り起こしてみせる。
だが魔物の狙いは二人ではない、魔物は岩石を持ち上げたまま施設の方に顔を向けると、体の向きを変え施設へと巨大な岩石を放り投げた。
(狙いはレインさんではない!? 施設なのか───ッ!)
魔物の思わぬ行動に空の動きが僅かに遅れてしまう、今移動した所で投げられた岩石を破壊出来るか分からない状態だった。
それでも何もせずにその場に立ち止まっている訳にはいかない、空は再び風を纏い施設へと投げられた岩石を破壊する為に移動しようとした瞬間、施設の前に一人の小柄な少女が颯爽と現れた。
「うちに任せてやッ!」
聞き覚えのある声に空は思わず息を呑む。
それもそのはず、施設の前に立ち迫り来る岩石を睨みつける少女は逸れてしまっていたあの鈴音鈴だったのだから。
魔装着に身を包み、両手に巨大なハリセンを握り締め迫り来る岩石へと大きく振りかぶった。
「大~爆~衝───ッ!!」
まるで投げられたボールを打つバッターのようにハリセンを振り上げると、巨大な岩石は粉々に砕けその場に散らばっていく。
「よくやった鈴、後は私達に任せろ!」
そしてまた聞こえてくる聞きなれた少女の声に空は声のする方へと顔を向けた。
その時、空の目の前でサクラの花弁が舞い降りると、魔物の前に魔装着を来た桜が魔物目掛けて抜刀しようとしていた。
「大人しくしてもらうぞ───」
瞬速の抜刀、一度瞬きしただけで桜は魔物の背後に立っており、次の瞬間魔物の両腕が簡単に切り落とされてしまう。
桜は刀を鞘に納め振り返るが、魔物はそれでも尚怯む事無く立っていると、今度は一人の男の声が聞こえた来た。
「甘いな。こいつは感情を持たない人形だ、情けを掛ける必要なんて無い」
その言葉と共に魔物の目の前に降り立った一人の男、ヴォルフ。
拳を構え呼吸を整えた直後、岩石で出来た魔物目掛け数十発の拳を揮い魔物を砕き始める。
魔物に成す術は無く、ヴォルフの魔力を籠めた最後の一撃で全身を粉砕され粉々になると跡形も無く消えてしまう。
「鈴さんに桜さん!? それにヴォルフさんまで……!」
思いがけない再開に空は驚いたまま呆然と立ち尽くしていると、外の異変に気付いた美癒も施設から出てきて驚いていた。
「皆!? 無事だったんだね!」
美癒が目を輝かせて喜んでいると、そんな美癒に気付いた桜は軽く手を挙げ微笑み、鈴は大きく両手を振りながら美癒に走り寄っていた。
「美癒っち~!」
走りながら近づいてくる鈴を美癒は快く受け止めながら抱きしめると、鈴は目に涙を浮かべながら喜びを露にしていた。
「良かったぁ! 美癒っちも無事やったんやぁぁぁ~!」
美癒の胸元で顔を左右に振りながら喜ぶ鈴に美癒も嬉しくなって力強く抱きしめると、先程まで魔物の付近にいた桜が全力で美癒の元へと走ってきていた。
「ずるいぞ鈴! 抜け駆けは許さーんッ!!」
そう言って桜は両手を広げ鈴を抱きしめる美癒目掛けて飛びつくと、美癒は飛び掛ってきた桜を支えきれずその場に倒れてしまう。
そのまま三人は安堵しつつも抱きしめあっていると、空は皆が無事だと分かり安心して手元から双剣を消し、ヴォルフは呆れた様子で腕を組みながら美癒達を見つめた後、レインを見て軽く手を上げた。
「久しぶりだな、レインさん」
「ヴォルフ君! お久しぶりです」
声を掛けられたレインもどうやらヴォルフと面識があるらしく軽くお辞儀をすると、空はレインとヴォルフの二人に面識がある事に驚いてしまう。
他世界へと飛ばされたしまった以上、仲間達と再会出来るかどうかも分からないはずだというのに、こうも簡単に巡り合えてしまったからだ。
ましてやレインとヴォルフには面識があるらしく、空は皆と出会えて安心しながらも考えてしまう。
この偶然も美癒による、『無限の可能性』の力ではないのかと───。




