第53話 思いの夜明け
次元の渦へと飲み込まれ、空が意識を取り戻したのは深夜の出来事だった。
微かに目蓋が開きぼやけた光景が目の前に映る、空はそのまま焦点が合うまでじっと目を開いていくと、星が煌く美しい夜空の光景が広がっていた。
涼しくて、静かで、いっそこのまま永遠に夜空を見つめていたいとさえ思えてしまう。
「っ……」
だが、そういう訳にもいかない。空は少しずつ意識がハッキリしていくと、自分が今草原の上で寝そべっている事に気付いた。
「ここは……っ!? 美癒さん!!」
空が直ぐに体を起こし辺りを見渡そうとした瞬間、自分の左手の指先に温かいものが触れた感触がした。
見渡すまでもない、美癒もまた空の隣で寝そべっており、意識を取り戻していないものの穏やかな表情ですやすやと寝息を立てていた。
外傷も無く心地良さそうに眠る美癒を見て空は胸を撫で下ろすと、その場に立ち上がり辺りを見渡していく。
森の中にある草原、夜風が微かに芝生や木々の葉を靡かせていく。
人気は無く、空は自分のズボンのポケットに入っている端末を取り出し今自分達がいる世界が何処なのかを調べ始めると、余り嬉しくない結果に行き着いてしまう。
(『該当無し』……どうやら僕達はアルトニアエデンでさえ管理していない世界に飛ばされてしまったみたいだ……)
この世界がどのような世界かも分からない、人間がいるのかすらも分からない、空は立ち上がったまま途方に暮れていると、再びその場に座り美癒の寝顔を見つめた。
今ならハッキリと思い出せる、あの世界で何が起き、そして自分が何を出来なかったのかを。
「誰も……守れなかった……」
ジン、ゼオス、相反する存在、何者にも対抗する事が出来なかった。
ノートは殺され、ベリーチェは傷を負った、桜と鈴、美癒も守る事が出来なかった。
自分の中で揺れ動く感情の数々、守る為ならと理由を付け、覚悟は出来ていたはずだった。
だが未だに半端な自分が存在している、未だに自分の『何か』を恐れ、矛盾の行動を取っている事に嫌悪感を抱いていく。
「僕はっ、なんて不甲斐ないんだ……ッ!」
振り上げた拳を思わず地面に叩きつけると、空は悔しさで目に涙を浮かべていた。
争いの無い、平和な日々を過ごしてもらいたい。その為にも空は美癒を守ると約束した。
長閑な日常、学校へ行き授業を受け、友達と和気藹々と雑談。それは一人の学生として当たり前の日常。
しかし平和が長続きする事は無く、現実は危険な日々の連続。自分の力だけでは到底守る事の出来ない日々。
一ヶ月前までの美癒は普通の高校生だったというのに、今では魔法を使い命を懸けた戦いをしている。
彼女の望んだ魔法と世界は現実と大きく異なる所もあり、理想を塗り潰す現実が牙を剥く世の中。
思いだけでも、力だけでも、世界を守る所か、人一人守る事すら出来ない。
「くっ!!」
自分の目から涙が零れ落ちるのを見て、今の自分がどれ程情けない存在なのかを実感すると、空は再び拳を振り上げ地面に叩きつけようとした……その時だった。
「そらくん」
美癒に名前を呼ばれた直後、空の拳は地面にぶつかる寸前に止まった。
優しくもどこか寂しい呼び方に、空は目元の涙を袖で拭い寝そべっている美癒に目を向けた。
「美癒さん……」
美癒は優しい表情を浮かべながら、目に涙を浮かべる空を見つめつつそっと右手を伸ばし振り下ろそうとしていた空の拳を開きその手を優しく握り締める。
「全てを背負わないで……空君だって私と同じ高校生、まだ子供なんだよ」
何時も一人で責任を感じている空の姿を見るのは美癒にとってとても辛かった。
守られるだけの存在を拒み、自分という存在に気付いて欲しかった。
決して一人ではない、皆がいる。だからこそ皆で背負い、だからこそ皆で乗り越えていける。
「ええ、そうですね……ありがとうございます。僕は僕が一人ではない事に、まるで気付いていませんでした」
その言葉を聞き空が自分の気持ちを分かってくれた事に気付くと、美癒は安心したように微かに笑みを見せた。
するとその時、空が美癒の手を力強く握り締めると、寝ていた美癒を引き上げるように体を起こしそのまま美癒を抱きしめた。
突然抱きしめられた美癒は目を丸くして戸惑っていると、空は美癒を抱きしめながら言葉を続ける。
「でも、それは美癒さんも同じです。もうこれ以上、無理や我慢をしないでください。吐きたい気持ちを隠し続け、無理やり笑顔を浮かべるなんて悲しすぎる。辛い時に辛いと言えない苦しさは、僕だって分かっていますからっ……!」
震える両腕で美癒を抱きしめる空、その言葉を美癒が聞いた直後、その目から一筋の涙が零れ落ちた。
空には分かっていた。
一番傷付いているのは自分ではなく、心優しい美癒だということに。
大好きな魔法で大切な人達が傷付く光景を見てきた。
可愛がっていたノートは死に、友達になれたはずのベリーチェは深い傷を負った。
自分の内に眠る強大な力、それを利用する存在、傲慢な野望、残酷な策略……。
空は思う。先程美癒に言われた言葉、『まだ子供』という言葉をそっくりそのまま返したかった。
魔法により、自分のせいで、目の前で人が死ぬ光景、紛れも無い世界の現実。
それでも尚、美癒は空に心配をかけまいと精一杯明るく振舞おうとしていた。
だが、先程浮かべた美癒の上辺だけの笑顔を見て、空は美癒が一番無理をしている事を思い知る。
戦いの無い日々で暮らし続けていた少女にとって、今この世界がどれほど辛く苦しいものなのか、想像しただけでも胸が張り裂ける思いだった。
「そら、くん゛っ……うっ、ひっく……」
押し殺し、隠し通そうとしていた感情が空の言葉で込み上げ始める、もうそこに歯止めがかかる事はない。
「うぅっ、うわああああぁぁぁぁぁん゛っ!!」
初めて見せる、弱い自分。
初めて見た、美癒の泣く姿。
幼く、か弱く、震えながら声を上げて泣きじゃくる。
止め処なく、ぽろぽろと涙が零れ落ち、空の肩を冷たく濡らしていく。
空の目からも既に涙が零れていたが、涙を拭う事はなくただただ美癒を優しく抱きしめ続ける。
美癒達は世界の為に戦っていた訳ではない。
ただ自分達の平和な日常を守る為に戦っていた。
しかし今では戦いが激化し、世界を巻き込む大戦にまで関わってしまう。
野望の為に戦争は起こる。
私利私欲の為に尊い命が尽きる。
失う事の方が余りにも多すぎる毎日。
余りにも重過ぎる責任、重圧───。
人々の野望、無限の可能性、相反する存在、そんなもの美癒は知らない。
美癒はただ、一ヶ月前のような生活を送りたいだけだ。
望むのは嘗ての生活、争いとは無縁の平和な世界で、皆と楽しい日常生活を送る、ただそれだけだというのに───。
暫くして、美癒の咽び泣く声が聞こえなくなった。
それでも二人は抱きしめあったまま離れようとはせず、互いの温もりを感じ続けていく。
そのまま眠りについてもおかしくない程周りは静かで、空の目蓋がふと閉じようとした瞬間、美癒が何かに気付き声を上げた。
「あっ……」
その言葉に空は少し後ろに振り向いてみせると、木々の向こうから少しずつ日の出が見え始めようとしていた。
夜が終わり、朝を迎える。突然空は抱きしめていた美癒を抱かかえながらその場に立つと、一言美癒に囁いた。
「美癒さん、しっかり掴まっていてください」
空の言葉に美癒は頷きくっつくように身を寄せると、空は魔法で風を纏い颯爽とその場から浮上してみせる。
上昇し続ける空と美癒、二人の視線の先は同じ、太陽が昇る夜明けの瞬間だった。
眩い光が世界に浸透していくように広がり、森の木々や草花は色を奏で、湖と川の水達は煌いていく。
まるで全てのものに命が宿る瞬間を見ているかのような光景───毎日訪れている夜明けが、これ程にも美しく、幻想的なものだと思ってもみなかった。
「綺麗……」
世界は美しい。
美癒は夜明けの瞬間を見て目を輝かせながらそう呟くと、空もまた世界の美しさに目を奪われたまま返事をした。
「ええ、とても」
生きていれば様々な事が起きる。
時には傷付き、苦しみ、涙を流す事もある。
それでも前に進み続けられるのは、その先に今日のような夜明けが待っているからではないだろうか。
気持ちを繋ぎ、分かり合い、共に感動する。
ふと、空は美癒が笑みを浮かべているのが見えると、美癒は優しく微笑みながら空を見つめた。
「空君、泣いた後は笑うのが一番だよっ!」
にこりと元気良く笑みを浮かべる美癒に、空も思わず笑顔になってしまう。
その笑みはこの雲一つ無い大空のように晴々としており、夜明けを迎えると共に自分達にとって新たな一日の始まりだとも思えた。




