第46話 責任の果て
美癒も桜も鈴も、今まさに何が起きているのかが理解出来なかった。
気付けば美癒は空に抱かかえられており、桜と鈴は風に吹き飛ばされるように宙に浮き、四人は共に元いた場所から遠ざかっていく。
「そ、空君……? 空君!? どうしてっ、甲斐斗がまだあそこに居るのに……!」
空に抱かかえられながらも美癒は抵抗しようとするが、空は腕に力を込め絶対に美癒を離そうとしない。
「空っちなんでなん!? 甲斐っち置いて逃げるとかありえんやろ!!」
鈴もまた空中でバタバタと手足を動かしながら空に向かって話しかけるが、空は黙ったまま誰よりも何よりも早く戦場から遠ざかる事だけに集中していく。
「見損なったぞ空ッ、お前は仲間を見捨てるのか……!?」
空を除く三人は分かっていない、理解出来ていないのだ、あの『ジン』という存在がどれ程『危険』なのかを。
それも無理はない、生まれたばかりの子供が初めて銃や刃物を見た所でそれが危険な物だと感じはしないだろう、水のように透明な液体が実は猛毒だったとしても見て気付ける訳でもない。
知らない、分からないからこそ、その危険を理解する事が出来ないのだ。
故に空は、知っている、分かっているからこそ下した決断だった。
(あのジンという男、次元が違うッ!! ジンが現れるまであの空間は甲斐斗さんの覇気で完全に支配していた。なのにジンがその場に姿を現した瞬間にあの甲斐斗さんの覇気を全て塗り潰してしまったッ……下手をすれば甲斐斗さん以上の力を持っている! それを甲斐斗さんも分かっていたからこそ、僕に言ってくれたんだ……ッ!)
『任せたぞ』───甲斐斗の言葉と表情は今でも鮮明に思い出せる、その思いに応えるべく、空は美癒達を連れて戦場を離れた。
正直に言えば、空はジンが降臨したあの時から内心恐怖で震えていた。
余りにも規格外の力の存在に、もはや数でどうになる相手ではない事を察すると、最早戦う事など考えてもいなかった。
いかにしてこの場を切り抜けるか、美癒達を守る事が出来るのか……それはもう戦闘ではどうにも出来ない、逃げる事でしか成し得ない事だった。
唯一救いが有るといえば、空達と共にこの世界に甲斐斗も来ていた事だ。
甲斐斗がいたからこそ、あの場は均衡を保つ事が出来ていた、もし甲斐斗がいなければ空達は一方的に駆逐されていただろう。
不安は募るが、恐らく甲斐斗なら、きっとあの場からも生還してみせるはず。
そう空は思っているものの、あの場を甲斐斗に託し美癒を助けるという名目で戦場から離れてしまった事に少なからず後悔していた。
本当ならあの場に残り戦いたかった、本来なら甲斐斗や桜、鈴と力を合わせ美癒を守るために戦いたかった。
しかし、戦いにすらならない相手がもし現れたとすれば答えは違ってくる。
戦えない。余りにも戦力差が有りすぎる、思いだけでは守る事も救う事も出来ない。
ジンの言う通り、力無き者が力有る者に歯向かう事など、ただの『無謀』に過ぎないのだ。
……だからこそ、空は美癒達を守る最善の手を今実行した、それは一刻も早くジンから遠ざかる事、一番の脅威から離れる事で、少なからず危険度は下がる。
だが、危険が消える事はない。後方から感じる魔法使いの気配に空は気付くと、このまま逃走しても何れ追いつかれる事を悟りその場に踏み止まった。
(数は二人ッ! 恐らく残りの刺客を甲斐斗さんが足止めをしてくれたんだ、だったらこの二人だけでも僕が止めてみせるッ!)
空は後ろに振り返り抱かかえていた美癒を下ろすと、風の力を止め鈴と桜を地面に下ろし指示を出した。
「桜さん、鈴さん。美癒さんの側にいてくださいッ!」
来る───思った以上に早く刺客は自分達の元へと来た。
一人は金棒を握るベインという男と、もう一人は短剣を握り締めるタクマという少年だった。
(やはりあの『ジン』という男は来ていない、甲斐斗さんが戦っているんだ……そしてこの二人がここに『これた』という事は、甲斐斗さんがこの二人なら僕でも対処できると信じたからこそに違いない)
あくまでも、空は甲斐斗を信じ続ける。
二人の刺客がここに来たのは甲斐斗が苦戦しているからではない、負けたからではない。あえて、わざと通したのだと信じていた。
双剣を構えベインとタクマ、どちらから攻撃を仕掛けてくるのか警戒している空だったが、その空の隣に桜が立つと鞘から刀を抜き構えてみせた。
「桜さん!? 美癒さんの側にいてください! 僕があの二人を───」
「信じてくれ」
桜は敵を見つめたままハッキリと断言すると、その言葉の重みに空は言葉を止めてしまう。
「私もお前と同じ、美癒を守りたいんだ。美癒を守りたいという気持ち、お前にも負けないつもりだぞ」
「桜さん……」
「心配してくれてありがとう、しかしこのまま黙って見ている訳にはいかない。『私達』で美癒を守るぞ」
その逞しい桜の言葉と姿に空は眼を丸くしてしまう。そして気付かされた、自分は一人ではないと。
自分には掛け替えの無い仲間が居る、全てを自分一人で背負う事が出来なければ分け合えばいい、空は桜を見つめながら力強く頷くと、桜と空は武器を構え臨戦態勢に入った。
対してベインとタクマもまた臨戦態勢に入ると、ベインは空の方を一度見た後に刀を構える桜を見つめた。
「男には興味無え。おいタクマ、お前は男の方とやれ。俺はこっちの女共を相手する」
「うん、分かった」
互いの戦う相手が夫々決まった。タクマは空の元へ、そしてベインは美癒達の元へと近づいていく。
「おい、『美癒』だっけか。お前すっげえ面白いな」
ベインは歩み寄りながら美癒を指を指すと、金棒を手元で振り回しながら喋り始める。
「争いたくない? 話し合いで解決ぅ? お前よくあの状況でそんな事言えたな、笑いを堪えるのに必死だったぜぇ?」
世界が炎に包まれた戦場のど真ん中で、まさかそのような戯言をほざく人間がいるとは思ってもみなかったベインは正直美癒の愚かさに興味が湧いていた。
すると、ベインの言葉を聞いていた桜は刀を構えながら鋭い視線でベインを睨みつける。
「美癒を愚弄するな、むしろあの状況でも尚『平和』を望んだ美癒を私は尊敬する」
その桜の言葉に続くように鈴もまたハリセンを構えながら声を荒げる。
「そやそや! あんた等みたいな野蛮な集団とちゃうんよ!」
威勢だけは良い二人に、ベインはニヤリと笑みを浮かべながら手元で回していた金棒を止めると、金棒を構え走り出した。
「ほざいてろカス共ッ! 精々俺を満足させてくれよなぁッ!」
金棒を振り上げ襲い掛かるベインに、桜は刀を構えたまま瞬き一つすることなくベインの動きをその眼で捉えていく。
相手は自分よりも確実に強い、しかし戦いにおいて『強者が勝つ』のではない、『勝った物が強者』なのだ。
相手の武器、性格、威勢を冷静に分析する桜は、いかにしてベインに勝つかを考えながらその刃を振るった。
だが、様子見で敵の金棒を受け流そうとした桜の刀は、無残にも弾き飛ばされてしまう。
(な、なにっ───!?)
想像以上の衝撃に両手は痺れ、弾き飛ばされた刀は彼方へと吹き飛び地面に突き刺さる。
武器を失い動揺が隠せない桜、だがその前には既に次の攻撃へ繋げていたベインの金棒が振り下ろされようとしていた。
これが戦場。自分の思い通りに事が運ぶど極稀であり、戦いの中は常に予想外の事が起きる。
だが、それは敵であるベインも同じ事だった。
桜に向けて振り下ろされた金棒、その強力な一撃を相殺するかのようにハリセンは振るわれた。
「桜! うち等でこいつを倒すでッ!」
美癒の側にいたはずの鈴が桜の横で戦っている、ベインの攻撃を受け止めた鈴はハリセンを構えそう告げると、桜は力強く頷き弾き飛ばされた刀を取り戻そうとした。
「逃げてんじゃねえよ!」
だが、そう易々とベインが隙を見せるはずもなく、刀へと手を伸ばす桜に向けて再び金棒を振り下ろすが、その攻撃もまた鈴がハリセンを盾に防いで見せた。
「美癒っちも桜にも、手ぇ出させんで」
自信気に笑みを浮かべ鈴はそう言うと、その態度に腹が立ったベインは目の前の鈴を睨みつける。
「くっそウゼェなァッ」
鈴の強気な態度に苛立ちが隠せないベインは金棒に魔力を込めると、攻撃の相手を桜ではなく鈴へと切り替えた。
だが、その時既に桜は地面に突き刺さっていた刀を回収している事をベインは気付いていなかった。
前後からの同時攻撃、完全に注意が鈴へと逸れる事で桜はベインの背後に周り、その刀を既に振り下ろしていたのだ。
殺すつもりはない、せめて相手の行動を不能にするだけでいい。桜はその思いでベインの背中に刀を振り下ろした。
「───なっ……!?」
驚いたのはベインではない、攻撃をしたはずの桜だった。
刀はベインの着ていた衣服を切り裂き確かに背中に直撃したはず、だがベインの背中は人間の皮膚とは思えない程の黒く濁った色をしており、姿形からして明らかに人間の背中ではなかった。
その瞬間、鈴と桜はベインから異様な気配を全身に感じる。それはベインが『本気』で戦う事を表していた。
「俺を斬りつけるとかマジありえねぇ……全員半殺しだ」
突如、ベインの瞳は黒く濁りはじめると、全身が発光したかと思えば、そこに『人間』の姿をしたベインはいなくなっていた。
そこにいる存在は言わば『鬼人』と言えるだろう、頭には一本の角が生え、全身は斑模様の黒い鎧のようなものに包まれており、その手には金棒が握られている。
「その後は俺がたっぷり調教してやる。頼しみだなぁおいぃッ!」
速い。
鈴と桜の目の前からベインが消えたかと思えば、既にベインは桜の目の前に一瞬で近づきその腹に強力な蹴りをおみまいしていた。
「がァッッ!?」
訳も分からず腹部に痛みが走り桜は嗚咽しながら驚愕していると、それを見ていた鈴が桜を守ろうと近づことしたが、一歩足を前に踏み出す前にベインは鈴の背後に回るとその手に持った金棒を振り下ろした。
「くゥ゛ッ!?」
反応が間に合わない、間一髪でハリセンを前に出し金棒の直撃を免れたものの、その衝撃で鈴は吹き飛ばされ、あろう事かその体は桜に直撃してしまう。
二人はそのまま瓦礫の山へと衝突してしまい辺りには砂塵が巻き起こっていく。
「よっわ、手応えまるで無えじゃん……まいいや、さっさと連れて帰るか」
『鬼』へとその姿を変えたベインはつまらなそうに金棒を引き摺りながら二人が埋もれた瓦礫の元へと歩いていくが、ふと後ろから魔力を感じ振り向いてみせる。
そこには両手にステッキを握り締め、魔装着に着替え終えた美癒が立っていた。
怖くない訳がない、今でも足が震える程の恐怖に美癒は立っていられるのもやっとだ。
しかし、美癒はそれ以上に強い意志を持っているからこそ立っていられる。
守りたい。桜を、鈴を、掛け替えの無い大切な仲間を。
守られ続けるのはもう嫌だ、これ以上自分を守ろうとしてくれる人が傷付いていく姿など見たくもない
それならどうすればいい? 話し合いで解決する事は出来ない、心を通わす事も出来ない。
決して逃れられない皮肉な運命だとすれば、最早戦うしかない、魔法を使うしかない、立ち上がり、抵抗し、勝つしかない。
美癒の眼は泳いでなどいない、両手にステッキを握り締めたまま真っ直ぐベインを見つめ視線を逸らさなかった。
そんな美癒の表情を見たベインはニヤリと笑みを浮かべると、興奮しながら美癒へと近づいていく。
「良い。お前最ッ高に良いじゃん、お前は一番最後に犯してやるよ」
その果敢な美癒の意思を圧し折り、強気な表情をグチャグチャに歪め、汚したい。
ベインは美癒にそそられた、それはある意味『惚れた』と言えるものにも近かった。
邪悪な魔の手が美癒に近づいていく、美癒はステッキを構えたままどうしていいのか分からずベインを見つめたまま動けなかった。
桜も鈴も瓦礫に埋もれたまま出てこない、空もまたタクマとの壮絶な死闘を繰り広げており、誰一人助けてくれる者はいなかった。
だが、それでも美癒は良かった。自分のせいでこれ以上人が傷付く姿を見たくない。
人が傷付くなら自分が傷ついた方がまだマシだ。美癒は目の前にまで迫ってきたベインの手を見つめながらそう思ったが、余りの恐怖に美癒は堪えるかのように強く眼を瞑った───その瞬間だった。
「ぐふぉォッ!?」
何かが当たる強い衝撃音と共に聞こえてくるベインの声。
美癒は瞑っていた目蓋を開けてみると、そこには見覚えのある男が立っていた。
「ヴォルフ……さん……?」
間違いない、服装に髪、後姿だけでもその男が以前自分を襲ってきた刺客『ヴォルフ』だという事が分かると、ヴォルフは後ろに振り替える事無く喋り始める。
「ふん、これで借りは返したぞ」
借り……そう言われても美癒には何の事なのか分かっていないが、ヴォルフは今でもハッキリと憶えている。
刺客である自分の命を救い、あろうことか共に食事までしてしまう美癒の事など忘れたくても忘れられない。
ヴォルフは殴り飛ばしたベインを睨みつけると、拳を構え魔力を高めていく。
「お前、よくも俺の世界を荒らしてくれたな。これじゃあ金が有っても意味無えだろがッ……」
美癒に話しかけたような口調は消え、内に秘める怒りを抑えるようにヴォルフは話しかけると、殴り飛ばされたベインは瞬時に起き上がり、怒りに震え血管が浮き出た顔で叫び始める。
「何しやがんだよボケがァッ!? 男に用は無えんだよ! ったく、ああマジでムカツクッ!! 今俺はガチでキレたからなぁ……ぶっ殺してやるから掛かってこいよ!!」
怒りを爆発させるベインの姿はまさに『鬼人』……すると、ベインもまた今まで抑えていた怒りの感情を魔力と共に爆発させた。
「生憎、俺もキレてんだよッ───」
全身が光りに包まれたかと思えば、ヴォルフもまた変身を遂げ『獣人』と化す。
覚醒したヴォルフはまさに『獣人』、それに対するのは『鬼人』。
互いの漂わせる魔力が衝突し回りに覇気が立ち込める状況の中、獣と鬼が繰り広げる壮絶な戦いが始まりを告げた。




