第34話 狂気の沙汰
昼間に現れた刺客ヴォルフ、そして自分を助けてくれた謎の赤い仮面の女性。
その後、夜に出会った自分を狙ってきた白い仮面の女性の存在。
しかし、白い仮面の女性は美癒に危害を加える事なくその場から姿を消してしまい何故自分が狙われているのかが未だに分からなかった。
学校の教室で美癒は昨日の出来事一つ一つを思い返しながら外の景色を眺めていると、美癒の前に座っている桜が後ろに振り返る。
「どうした、何か悩み事か? 私で良ければ相談に乗るぞ」
「え……あ、ううん! なんでもないの。ちょっとぼーっとしてただけだから」
美癒は慌てながら両手を振ると、教室の壁に掛けてある時計を見てわざとらしく手を叩いた。
「もうお昼の時間なんだね、お弁当食べないと」
鞄から弁当箱を取り出し空と一緒にお弁当を食べる為に椅子を近づけようとした時、桜はある事を思い出し菓子パンを頬張りながら聞いてみる。
「そう言えば、昨日渡したCDは聴いてくれたか?」
「あっ!?」
何気なく桜に聞かれて美癒は昨日、桜から貰ったCDの事を思い出す。
「ご、ごめんなさい! 私まだ聴いてない……昨日帰ってからバタバタしてて……せかっく桜さんが渡してくれたのに……」
美癒の顔色は見る見る青ざめ深々と頭を下げると、その余りの落ち込み様を見て桜はそっと美癒の頬に手を翳した。
「そう落ち込むな。音楽というモノは好きな時に好きな場所で、言ってみれば何時でも何処でも聴けるものだ。急いで焦って聴くものでもない」
「で、でも……」
優しく言葉を掛けてくれた桜だが、それでも美癒は申し訳なさそうに俯いたまますっかり元気を無くしてしまっている。
それを見て桜は自分のスカートのポケットに手を入れると、その中からイヤホンを取り出し片方を美癒の耳に着けはじめた。
「桜さん……?」
耳に違和感を感じ美癒は俯いていた顔を上げ左耳を触ってみると、そこにはもう片方のイヤホンを自分の右耳に着ける桜の姿があった。
その時、ふと一人の女性の歌声が美癒の耳に聞こえてきた。
透き通るような美しい歌声は心地良く、その歌声が桜本人の声だと美癒は直ぐに分かった。
「これが桜さんの歌……」
その心地良い歌声、音色はずっと聴いていたい気持ちになる程美癒の心に残るものだった。
昼食の時間だと言うのに美癒は目を瞑り、頭の中に広がってくる曲のイメージを想像していく。
「この曲は私がデビューして初めて出したものなんだ、気に入ってもらえて嬉しいよ」
桜はそう言ってまた一口菓子パンを頬張ると、目を瞑り機嫌良く音楽を聴いている美癒を見てふと思いついた。
口元を少し拭い桜もまた目を瞑ると、そのまま自分の唇を美癒の唇に近づけはじめる。
「なにしてんねん!」
だが、その様子の一部始終を隣で見ていた鈴にハリセンで叩かれると、桜は不満気な表情で鈴を見つめた。
「見て分からないのか? キスに決まっているだろう」
「それはセクハラで犯罪って事を桜は分かってないやろ」
「同意の上なら問題無いはずだ!」
「同意してもらってないから言いよんよ!?」
桜と鈴の言い争いに気づいた美癒は目蓋を開けると、桜の顔が直ぐ目の前にあった為驚いてしまい直ぐに顔を引いてしまう。
そんな光景を美癒の隣から見ていた空は、羨ましそうに桜と鈴に声をかけた。
「本当、桜さんと鈴さんは息ピッタリでとても仲が良いですね」
仲良く話し合える親友同士の姿はとても微笑ましいものであり、空にはそんな二人がとても羨ましかった。
弁当箱を取り出す空を見て美癒も弁当箱を取りだそうとしたが、その手を止めると再び目を瞑り桜の曲を楽しみはじめる。
「この曲を最後まで聴いてからお弁当食べるね、空君は先に食べてていいよ」
美癒は桜の歌を最後まで聴きたいらしい、だからと言って空が先に弁当を食べ始める事もなく、美癒が一曲聴き終えるまで静かに待ち続ける───はずだった。
突如強大な圧力が空に襲い掛かる、その力から感じる凄まじい執念と憎悪に空は直ぐ様叫んでみせた。
「ッ!? レジスタル・リリース───」
教室の天井が崩壊、屋上から一階にまで何かが振り下ろされたかのように校舎は崩れ砂塵が舞うと、その砂塵の中から美癒と鈴を抱かかえた空が現れ校庭に着地し二人を下ろす。
美癒と鈴には何が起きたのか分からず困惑していると、魔装着を着用している空は手元に双剣を召喚した後、額に滲む汗を拭き取り校舎の方に視線向けた。
「美癒さん、鈴さん。刺客が来ました、ギリギリで『CLT』の展開に成功したので元の世界に被害は無いはずですが、今回の刺客はかなり厄介な相手になると思います。下がっていてください」
崩壊し砂塵に包まれた校舎を見つめ空は何時刺客が飛び出してくるか警戒しながら辺りを見渡していると、校舎の瓦礫を吹き飛ばし一人の男が歩き近づいてくる。
「あ、貴方は───っ!!」
その男に見覚えがあった空はその男の名を言おうとした瞬間、構えていた双剣を咄嗟に振り下ろす。
しかし二本ある内の一本は刺客に向けていたが、もう一本は美癒達に向けて振り下ろしていた。
美癒と鈴には空が何をしようとしているのか見る間もなく、突如吹き起こる突風に二人の体は軽々と浮きあがってしまいそのまま吹き飛ばされていく。
美癒は空中に浮いたまま体勢が思うように保てずにいるが、鈴は吹き飛ばされながらも魔法を唱え魔装着へと着替え終えると、颯爽と美癒を抱かかえその場に着地してみせた。
「大丈夫か美癒っち!?」
「う、うん! ありがとう鈴ちゃん」
自分より小柄な鈴に抱かかえられた美癒、そんな鈴の逞しさに少し胸をときめかせながら下りると、鈴と共に自分達が立っていた場所を見て驚愕した。
自分達が立っていた地面には亀裂が走っており、大地が荒々しく削られていたのだ。
「さっきの風は空っちがうち等を助ける為にやってくれたんやね、もしあのままあの場に残っていたらと思うと肝が冷えるわぁ」
鈴は両手で自分を抱きしめながら軽く震えると、運動場から激しい轟音が鳴り響き二人が咄嗟に視線を向けた。
その戦いは、嘗て無い程の『苦戦』を強いられる物だという事に美癒と鈴の二人はまだ分かっていない。
唯一理解している者といえば今、その刺客と剣を交える空ただ一人だけだった。
平凡で長閑な日常だったはずが、一秒もしない内に命の駆け引きを行う壮絶な戦いへと変貌を遂げる。
しかし、今ではこれこそがこの世界の日常であり、刺客に狙われる美癒の運命でもあった。
空には戦っている相手が誰なのかを理解している、何故なら一度戦った事のある相手だったからだ。
しかし、それでも空が戸惑いを隠せないのはただ単に相手が前回と比べ強力な力の支配者になっていたからだけではない。
「どうして貴方がここにいる!? 一体何があったと言うのですかッ!」
まるで別人かと見違える程その男の見た目は変貌を遂げ、全身を渦巻くオーラが『醜く』なっていたからだった。
「ドルズィ・ブラッド!!」
まるで別人かと見間違える程、その男───『ドルズィ・ブラッド』の全てが『醜く』なっていた。
両腕は赤黒く変色しその長髪は血で染めたように紅く、何よりもその瞳は人間の物ではないように見える程濁っていた。
『化物』。そう思われてもおかしくはなく、異質な存在へと変貌を遂げたドルズィに空は困惑していた。
するとドルズィはニヤリと不気味な笑みを浮かべ、両手に一つずつ握り締めた鉈を振り上げ空へと襲い掛かる。
空は振り下ろされた鉈を受け流そうとするが、その一撃は重く受け流すたびに手が震え痛みを伴う。
そんな一撃を高速で放ち、一瞬の隙も与えない程の連続攻撃に空の額には汗が滲み始めていた。
このままでは圧倒的力の前に押されてしまう、空は一旦ドルズィから距離を取ろうと後方に下がった後、双剣を振るい竜巻を発生させる。
この攻撃でドルズィにダメージを与えられるとは思っておらず、空は一時しのぎの苦肉の策のつもりで放った魔法だった。
しかし、ドルズィはその魔法を見るとその場に踏み止まり、あろう事か全身で魔法による攻撃を受け始めたのだ。
回転する風の渦に飲み込まれ、無数に襲い掛かる風の刃はドルズィの全身を切り裂いていく。
腕や足、体の至る箇所から血飛沫を上げる光景を見て空は息を呑んだ。
笑っている。
ドルズィは、全身に浴びる様に風の斬撃をその身に受けて笑っている。
傷付き血飛沫を上げようとも余裕の笑みを浮かべながらドルズィの瞳が空を睨んでいる。
この言い様の無い不気味な雰囲気───それは甲斐斗を思い出させる程の凶悪な姿だった。
───空は、余所見をしていた訳ではない。ただ自分の血を浴び血塗れになっているドルズィの姿に目が放せず見つめていただけ。
そのドルズィが笑みを浮かべ真正面から向かって来たのを見て、ほんの一秒程反応が遅れてしまう。
振り下ろされた鉈、受け流しに掛かる剣。間一髪で攻撃は受け止めた、だが……受け流す事は出来ない。
剣と鉈のぶつかり合う音とは思えない程の轟音が響き、空は校舎へと吹き飛ばされてしまう。
吹き飛ばされる体は止まらない、身動きもとれず力の流れのまま空の体は校舎に叩きつけられると、校舎の壁に亀裂が走り空は口から血反吐を吐いてしまう。
(強いッ!? 何故これ程までの強さを……いや、それよりも彼の身に何が起きたんだ……!?)
空は口元に付いた血を拭い、こちらを見つめ続けるドルズィを見ていた。
するとドルズィは自分の力を思い知った空ではなく、困惑した表情を浮かべる美癒に向けて話し始める。
「どうだァ? これがお前の大好きな『魔法』、つまり『力』だ。……そしてこの『力』で、今からお前達を殺す」
そう言ってドルズィは数を数えるように一本ずつ指を曲げていくと、殺しの過程を伝え始めていく。
「まずは指の爪を剥ぎ、次に指を切り落とした後四肢を切断する。その後は耳と鼻を削ぎ、片目だけを潰し歯を砕く。最後に残った目玉で自分の醜い姿を頭に焼きつかせた後……殺す」
辺りはドルズィの鋭い殺気に呑まれ、狂気が戦場を支配していた。
殺しの過程を聞いた美癒と鈴は全身にゾクリと寒気を感じ、緊張した面持ちで立ち尽くしている。
そんな二人の戦慄した顔を見てドルズィは満足気に笑みを浮かべると、自分の右手を見つめながら語り始める。
「ククク……最高の気分だ、今では感謝すらしている、俺の身に有り余る拷問をしてくれたあの甲斐斗とかいう男になァッ!!!」
胸に突き刺さるようなドルズィに言葉を聞き美癒は不安の色が隠せず、その不安を胸に疑問をぶつけた。
「甲斐斗が、拷問……? どういう事なの……?」
「お前は何も知らないのか? あの男がどれだけ醜く歪んだ存在なのかをォ……無知とは、罪だな」
今でもドルズィの脳裏に浮かび上がってくる甲斐斗の歪んだ笑みに、ドルズィは全身を震わせながらもよりいっそう笑みを浮かべ続ける。
「あの男は狂っているゥ……人間じゃあないッ! ……だがァ、今となってはそれこそが俺の『力』となった訳だ……参考にさせて貰ったよ、『魔法』の使い方をなァッ!」
ドルズィの全身から流れでる血が形を変え、無数の触手のような物を生み出したかと思えば、その血の触手一つ一つが刃へと変わりドルズィの回りをうねっていた。
「お前が奴の言う『可能性の候補者』だと言うのなら、その力で仲間を守ってみせろ、俺を止めてみせろ、俺をッ、お前の大好きな魔法で殺してみせろォッ!!」
先程までの魔力が嘘かのように莫大に膨れ上がっていくドルズィの魔力は、空気が震え大地に亀裂を走らせていく程にまで達し、ドルズィは高ぶる自分の魔力に酔いしれながら薄っすらと笑みを浮かべ美癒を睨んだ。
「終わりの始まりだ」




