第12話 好敵手の春
空が教室から出て行った後、美癒は一人校舎の中に残っていたが、やはり空が心配になり教室を出て一階にある靴箱の所にまで下りて来ていた。
(空君、大丈夫かな……)
物音一つ聞こえてこない校舎を不気味に思いながら美癒は靴を履き校庭へと出ようとした直後、突如大地を切り裂くような轟音が聞こえてくると、驚いた美癒は急いで物陰に隠れ恐る恐る校庭を見つめた。
空対龍馬の戦い。龍馬が空に右手を向けた直後、空の立っていた地面からは尖った大地の柱が一斉に突き出しはじめる。
その攻撃を間一髪で避けた空だったが、空が回避した方向には土で作られた壁が一瞬で作られると、行く手を塞がれるだけでなく、気付いた時には遅く全身を叩きつけてしまう。
「くっ……!」
次の攻撃が来る──空は全身に走る痛みに耐えながらもすぐさまその場から移動した瞬間、空の立っていた地面には無数の柱が飛び出し始めていた。
二度目は無い。一瞬でも動きを止めてしまえば間違いなく大地の柱に体を貫かれる。
(この人は土を自在に操る事が出来るのか……っ!?)
必死にかく乱しようと高速移動を繰り返し、龍馬に接近を試みるが、龍馬はその場から一歩も動くことなく地面から現れる土を自在に操り柱や壁を使って空を妨害、全くと言っていいほど近づく事が出来ない。
避けるだけで精一杯な空を見ていた龍馬は終始笑みを浮かべながら戦いぶりを見続ける。
「貴方の事は一通り調べさせていただきました。貴重な風のレジスタルを持ち、模擬戦ではトップクラスの強さを誇っていたそうですね。貴重な人材だ、時空保護観察局などと言う生ぬるい所ではなく、正式に軍隊に志願していればより強くなれたはずなのに……本当に残念ですね」
落ち着いた物言いとは裏腹に、大地から放たれる攻撃は次第に数を増し、空の体には無数の傷が付き始めていく。
すると空は上空へと跳躍すると、空中から龍馬目掛け双剣を振るいはじめる。
双剣から放たれる風の刃を見て、龍馬は自分の目の前に壁を作り出し防いでみせるが、壁は一瞬で切り崩されると、双剣を構えた空が姿を現した。
壁を作らせ視界を遮った後、空は風の力を使い高速で龍馬の眼前にまで接近したのだ。
既に双剣を構え完全に間合いに入った龍馬に攻撃をしかけようとした時、龍馬の何食わぬ顔を見て息を呑んだ。
空が壁を切り崩した直後、まるで空の動きを読んでいたかのように、空の左右から巨大な土の壁が現れると、そのまま挟みこむように壁が接近しはじめる。
「しまった───!?」
分厚い壁により破壊は不可能、空は双剣をその場に落とし壁を受け止めるように両手を広げると、自分を挟もうとする壁を止めに掛かる。
両手に自分の魔力を集中させ何とか壁を受け止めてみせる空だったが、少しでも気を緩めば押し潰されてしまう程の力に全身から汗を噴出してしまう。
「つぅぅゥッ!がッ……!」
壁の力は徐々に力を増し、空の両腕が震え始める。その姿を見ても龍馬は特に表情を変えず、追い詰められていく空に顔を近づけた。
「風のレジスタルを持つ者……もう少し私を楽しませてくれると思っていましたが、所詮はこの程度ですか。貴方の動きはどれも単純ですぐに読める、速さだけが取り得では私には傷一つ付ける事は出来ませんよ」
にこりと笑みを浮かべながらそう言うと、空は汗を滲ませながら龍馬を睨みつけると、一瞬笑みを浮かべた。
「不用意にッ……近付きすぎです!!」
その直後、空の足元に光り輝く魔方陣が浮かび上がると、一斉に大気が渦を作り、空を中心とした竜巻を発生させると、風の力は壁や大地諸共龍馬を空高く吹き飛ばし、切り裂いていく。
遥か上空にまで舞い上げられた龍馬、その目の前には自分目掛けて双剣を振り下ろす空が太陽を背にして浮かんでいた。
「はぁあああああああッ!!」
巨大な竜巻の中で空は叫びながら龍馬目掛け双剣を振り下ろすと、風の刃をその身に受けた龍馬は成す術もなく切り裂かれ、そのまま地面に叩き落とされてしまう。
龍馬が地面に叩きつけられた衝撃により地面は抉れ、亀裂を走らせると、斬撃と衝撃を全身に受けた龍馬の口からは軽く血が吹き零れた。
完璧に決まった空の強大な一撃に龍馬は立ち上がれず、空は少し離れた場所に着地すると倒れ続ける龍馬を見つめながら喋り始める。
「僕を見縊り過ぎましたね。貴方が初めから全力で戦っていれば僕は負けていたかもしれません、ですが貴方は魔装着も付けず、武器も使わない戦い方をした。これは貴方の油断が招いた結果です」
勝敗は決した。幾ら強い魔法使いでもあれだけの攻撃を受けて無事な訳がない。
空はこのまま龍馬が自分を殺すのを諦め元の世界に帰ってくれる事を願っていると、ふと龍馬の体を白い光が包み込むのが見えた。
光は龍馬の嵌めている指輪から放たれており、何が起きたのかを気付く前に、全身に傷を負い動けなかったはずの龍馬が平然とした態度でその場に立ち上がった。
「なるほど……速さだけが取り得ではないということですね。素晴らしい魔力の爆発を感じましたよ、思わずその攻撃を身に受けてしまいたいと思わせる程に、ね」
空は思わず言葉を失ってしまい、愕然とした表情で龍馬を見つめていた。
そこには傷はおろか汚れ一つ付いていない、無傷の状態の龍馬の姿があった。
「そんなっ……あれだけの傷を、どうやって……」
全身の無数の傷に胸の大怪我、全てを治療し終えた事に空は信じられない様子で龍馬を見つめていると、龍馬は右手の人差し指を上に向けた。
地面から突如飛び出してきた石柱は空の腹部に命中、その直後に空の目の前には土の柱が現れると一瞬にして砂塵となり空の全身を包み込んだ。
「がはッ!──ぐっ!?」
土を石に変え、更に砂へと変えての連携攻撃に空は一瞬で跪かされ目や気管に砂が入り苦しみもがき始める。
「かハッ! う゛っ……ゲフッ──!」
何も見えず暗闇の中で呼吸が出来ず意識が朦朧とする中、空の意識を呼び覚ますように無数の石柱が次々に空の体を吹き飛ばし始めた。
まるでビリヤードで弄ぶかのように空を突き飛ばし、その石柱は数を更に増え続けると容赦無く空の肉体を破壊していく。
石柱に突き飛ばされるごとに苦しむ声を上げながら暗闇の中で必死に攻撃を避けようとする空だが、視界も奪われ呼吸も満足に出来ない状態では成す術がなく、石柱により全身を滅多打ちにされていく。
血反吐を吐き散らし、骨が折れようとも石柱は止まらない。十本以上もの石柱を食らわした龍馬は魔法を止めると、血と土で汚れた空はぐったりとその場に倒れてしまう。
だがその休息を許してくれる者はいない、龍馬は倒れた空の髪を掴み無理やり立たせると、初めて出会った時のような笑みを浮かべながら話しかける。
「見縊る? いえいえ、見下しているんですよ。空君」
その言葉が空の耳に届いているのか分からない、指先を痙攣させるように動かす空の手から双剣が零れ落ちると、龍馬は空の髪を掴んだまま強引に校舎へと投げ飛ばした。
空の体は校舎に直撃し壁を突き破ってしまう、血塗れの空にはもう立ち上がる気力も残っておらず、そんな空を見つめながら龍馬は一歩ずつ、ゆっくりと空に近付いていく。
空にとって、それは初めてだった。
自分がこれ程まで追い詰められ、完膚なきまでに叩きのめされるのは。
ドルズィ戦では圧勝、ノートとの戦いも勝利してみせ、少しばかり美癒を守る事に自信がついていた空だったが、今回己の限界を知り、動揺していた。
冷静に考えてみれば、『アディン』の一員である兵士に勝てるはずがないのは心の奥底で気付いていた、だがそれでも僅かな望みと、希望。そして自分の可能性を信じ抗い戦った。
結果は惨敗、空にはもう全身に力が入らず近付いてくる龍馬を薄目で見つめ続ける事しか出来ない。
そして龍馬が倒れた空の前に立つと、右手を空に向けて寂しそうに呟いた。
「さようなら。ここで貴方とお別れになってしまうのはとても残念ですが、致し方ありません」
その言葉を最後に空に止めを刺そうとした瞬間、龍馬と空の耳に一人の少女の叫び声が聞こえてきた。
「やめてっ!! 空君を傷つけないでっ!!」
龍馬の前に両手を広げ立ちはだかり、大粒を涙を流しながら訴えかける少女、美癒。
龍馬と空の戦いを一部始終を見ていた美癒は、涙を零し震えながら戦いを見つめていた。
これが魔法、これが戦い。自分の思い描いていたような魔法はなく、そこには人を傷付ける『力』しかなかった。
「お願い……もう、やめて……っ!」
切実に訴えかける美癒の後ろ姿を、空はただただ見つめる事しか出来ない。
本来自分が守るはずの人に守られてしまうという自分の情けなさに、空はその目に涙を浮かべていた。
自分の力ではもうどうする事も出来ない、込み上げてくる悔しさに体は応えてもくれず、全身の力は抜けたままだった。
突如自分の目の前に現れた美癒を見ていた龍馬は相変わらず平然とした表情を浮かべていると、空を庇うように立ちはだかった美癒に向けて右手を伸ばした。
魔法が放たれる──そう思い空は美癒を逃がそうと声を振り絞る。
「だめだっ、美癒さんッ……逃げ、て……!」
「ううん、私は逃げない……! 空君はいつも私を守ってくれた、だから今度は、私が空君を守る……!」
敵わないと分かっている。戦えない事だって、魔法も使えないことだって全て分かっている。
それでも美癒はこの場から空を置いて逃げる事など出来ない、例え自分が傷付こうとも守りたいものは美癒にだってあるのだから。
「美癒さんっ!!」
声を荒げ美癒を自分の前から退かそうとする空だが、美癒は龍馬に向けられた右手を見つめたまま決して動く事はなかった。
そして龍馬は美癒に向けていた右手を閉じ、拳を握り締めると。その拳を美癒に向けて突き出した。
美癒は目を瞑らなかった。
恐怖が無かった訳ではない、足の震えを必死にごまかし腰が抜けてしまいそうな状況だった。
真っ直ぐ見つめ続ける美癒の眼差し、その先には一輪の薔薇が咲いていた。
というより、龍馬が美癒の顔の前で拳を開けると、その指先には綺麗な赤い薔薇が摘まれており、それを差し出すかのように龍馬は跪くと赤い薔薇を美癒に差し出しはじめる。
「美しい……女神、天使。どれも違う、それらを全て含め、全てを越える存在だと私は感じました、どうぞこれをお受け取りください」
「……え? えっと、ありがとう、ございます……」
事の状況が分からず差し出された薔薇を美癒は受け取ると、跪いていた龍馬は立ち上がり美癒の両手を握り締めながら美癒の瞳を見つめ続ける。
「なんとお美しい……この世の全ての美を統べる者ではないかと思ってしまう程だ、それに貴方のその人を想う温かさ、まるで全ての人を包み込むような愛に私は感銘を受けております」
すると龍馬は何かに気付き美癒の手を放すと、深々と頭を下げ始める。
「これは失礼しましたっ! 貴方のような可憐な女性に気安く触れてしまうなど紳士失格。申し訳ありません。おっと、自己紹介もまだしていませんでしたね、私の名は薙龍馬、もしよければ貴方の名前をお聞かせ願いたいのですが、よろしいでしょうか?」
先程まで空と対峙していた時の龍馬の態度とは一変してしまい、空は唖然としつつ、美癒は自分の想いを分かってくれたと思い喜びの余り笑みを見せる。
「私は天百合美癒って言います」
その名前を共に見せられた美癒の笑みに龍馬は心を奪われ、思わず自分の胸に掴み苦しそうに天を見上げた。
「天百合美癒……なんて麗しい響き、思わず天国に来てしまったと思わせる程の幸福を全身に浴びてしまいました」
一々大げさなリアクションを取りながら龍馬は喜び露にしていく。
すると美癒は今まで起きた戦いについて龍馬に質問をはじめた。
「薙さんはどうして空君と──」
その言葉を聞いた龍馬は少しショックを受けると、美癒の言葉を遮るように龍馬が言葉を挟んだ。、
「私の事は是非龍馬と呼んでください。ですので、その、私も貴方様の事を美癒……いえいえ、美癒さんと呼ばせてもらってもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ! それで、龍馬君はどうして空君と喧嘩をしてたの?」
「喧嘩だなんてとんでもない! そのようなガサツで不純な行為、私の趣味ではありません。私はただ、法律を破り、国家を裏切った悪者に正義の鉄槌を下そうとしていただけでして……」
必死に自分のしてきた事を肯定しようとする龍馬だったが、『悪者』という言葉を聞いた美癒は少し怒ったような態度で龍馬に詰め寄り声を上げた。
「空君は私を守る為にこの世界に来たんです! 悪者なんかじゃないよっ!」
その怒った様子も龍馬からしてみれば美しい表情故に見惚れてしまい、美癒の瞳を見つめながら己の罪を懺悔しはじめる。
「ええ、その通りですね。彼は美癒さんを守る為に現れた正義の味方、間違っていたのは私です。そして 私が目を覚ませたのは美癒さんのお陰、ありがとうございます」
「龍馬君……分かってくれてありがとうございます!」
そう言って嬉しそうに笑みを浮かべた美癒、二人のやり取りを聞いていた空は美癒の安全が分かったと思うと、そのまま唐突に意識を失ってしまった。




