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『死んだ俺が1977年に転生して、君へ繋がる人生をやり直す』  作者: れいじ


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第28話 生きるための選択

十月十四日。


 学会会場での日下部明との出会いは、長浜家にとって大きな希望となりました。


 しかし、それですべてが解決したわけではありません。


 待っていたのは転院、そして詳しい検査。


 さらに、その先には家族が向き合わなければならない厳しい現実がありました。


 希望と不安が入り混じる中、由香里は大きな決断を下します。


 日下部明と会えた。


 その報告を聞いた時、由香里はしばらく何も言わなかった。


 病室の窓から差し込む午後の光が、白いシーツの上に落ちている。


 泰造が話していた。


 十月十四日。


 学会会場。


 葵が声を掛けたこと。


 泰造が前へ出たこと。


 そして、日下部先生が由香里の症例を覚えていたこと。


 由香里は静かに聞いていた。


 話が終わると、ゆっくりと頭を下げた。


「みんなありがとう」


 その声は小さかった。


 でも、確かに震えていた。


「あなたも、徹も、葵ちゃんも」


 泰造は照れたように目を逸らす。


「まだ礼を言うのは早い」


「それでもよ」


 由香里は笑った。


「私のために、そんなところまで行ってくれたんでしょう」


 胸が痛かった。


 日下部先生と会えた。


 それは大きな前進だった。


 だが、まだ何も決まっていない。


 手術できるかも分からない。


 助かる保証もない。


 希望は見えた。


 でも、まだ細い。


 少し強く握れば切れてしまいそうなほど、細い希望だった。


 それから数日。


 長浜家は落ち着かない日々を過ごした。


 病院からの連絡を待つ。


 ただそれだけなのに、時間がやけに遅く感じた。


 学校にいても、家にいても、部活にいても、電話の音が気になった。


 そんなある日の夕方だった。


 泰造が病院から帰ってくるなり、俺たちへ言った。


「母さんの転院が決まった」


 一瞬、言葉の意味が分からなかった。


「え?」


「日下部先生のいる大学病院で、空きが出たそうだ」


「本当に?」


「ああ」


 思っていたより早かった。


 早すぎて、逆に怖くなるほどだった。


 優子は目を潤ませた。


「よかった……」


 泰造も小さく息を吐いた。


 けれど、その表情は硬い。


 転院はゴールではない。


 始まりなのだ。


 翌日。


 由香里の転院準備が始まった。


 荷物はそれほど多くない。


 着替え。


 洗面道具。


 本。


 家族写真。


 病室の棚を片付けていると、葵がひょっこり顔を出した。


「来ちゃいました!」


「またか」


 俺が言うと、葵は胸を張った。


「応援係です!」


「そういう係はない」


「今作った!」


 由香里が笑った。


「葵ちゃんが来ると賑やかね」


「任せてください!」


 葵は本当に空気を変える。


 重く沈みそうになる病室に、無理やり窓を開けるみたいだった。


 泰造も優子も、少しだけ表情が緩む。


 由香里は葵に向かって言った。


「ありがとうね」


「何がですか?」


「あなたが教えてくれた名前と日付のおかげで、ここまで来られたの」


 葵は少し困ったように笑う。


「私もよく分かってないんですけどね」


「でも、きっと意味があったのね」


「はい」


 葵は力強く頷いた。


「絶対ありました」


 その言葉は、なぜか信じたくなる響きがあった。


 転院は慌ただしく進んだ。


 新しい病院は前の病院よりもずっと大きかった。


 廊下は広く、人の数も多い。


 白衣の医師や看護師が忙しそうに行き交っている。


 大学病院。


 その言葉の重さを、初めて肌で感じた。


 由香里はすぐに検査を受けることになった。


 CT。


 MRI。


 血液検査。


 神経の検査。


 何度も名前を呼ばれ、何度も病室と検査室を行き来した。


 俺たちはただ待つしかなかった。


 待合室の椅子に座っている時間は長かった。


 葵は最初こそ明るく話していたが、検査が長引くにつれて少しずつ黙った。


 優子は膝の上で手を握りしめている。


 泰造は腕を組んだまま、じっと床を見ていた。


 そして数日後。


 日下部先生から説明があることになった。


 小さな説明室に、俺たちは入った。


 由香里。


 泰造。


 優子。


 俺。


 そして葵も、由香里に頼まれて同席した。


 日下部明は資料を前にして座っていた。


 落ち着いた表情。


 感情を大きく出さない声。


 だが、目だけは鋭かった。


「検査結果を確認しました」


 空気が一気に重くなる。


「手術は可能です」


 その言葉に、一瞬だけ息が止まった。


 可能。


 それは希望の言葉だった。


 だが日下部先生はすぐに続けた。


「ただし、簡単な手術ではありません」


 やはり。


 そう甘くはない。


「腫瘍の位置が非常に悪い」


「周囲に重要な神経が集まっています」


「摘出できる可能性はありますが、危険も大きい」


 泰造が低い声で聞いた。


「成功率は、どれくらいでしょうか」


 日下部先生は少し間を置いた。


「前の病院で言われた一割よりは、上げられる可能性があります」


 胸がわずかに熱くなる。


「ですが、楽観はできません」


 その言葉で、熱はすぐに冷えた。


「そしてもう一つ」


 日下部先生は由香里を見た。


「手術が成功して命が助かったとしても、後遺症が残る可能性があります」


 由香里は静かに聞いている。


「後遺症……」


 優子が呟いた。


「麻痺」


「言語障害」


「記憶障害」


「その他の神経障害」


 日下部先生の言葉が、ひとつずつ胸に刺さった。


 助かればいい。


 そう思っていた。


 生きていてくれればいい。


 本当にそう思っていた。


 だが、現実はそれだけでは済まない。


 もし母さんが話せなくなったら。


 歩けなくなったら。


 俺のことを分からなくなったら。


 それでも母さんは幸せなのか。


 そんな考えが頭をよぎり、俺は何も言えなくなった。


 泰造も黙っている。


 優子は泣きそうな顔をしていた。


 重い沈黙が落ちる。


 その中で、由香里だけが少し笑った。


「先生」


「はい」


「私は受けます」


 あまりにもはっきりした声だった。


「母さん」


 優子が顔を上げる。


 由香里は俺たちを順番に見た。


「怖くないと言えば嘘になるわ」


「でもね」


 少しだけ息を吸う。


「生きられる可能性があるなら、私は受けたい」


 泰造の手が震えていた。


「由香里」


「あなたたちと、まだ一緒にいたいの」


 その言葉で、胸の奥が熱くなった。


 由香里は強い。


 ずっとそう思っていた。


 でも、その強さは痛みを知らない強さではない。


 怖さを抱えたまま、それでも前を向く強さだった。


 日下部先生は静かに頷いた。


「分かりました」


「手術に向けて準備を進めます」


 説明室を出たあと、誰もすぐには話せなかった。


 廊下の白さがやけに目に痛い。


 助かる可能性はある。


 でも後遺症の可能性もある。


 希望と恐怖が同じ場所に立っていた。


 病院の外へ出ると、夕方の風が吹いていた。


 葵が俺の隣に並ぶ。


「徹くん」


「ん?」


「大丈夫だと思うよ」


「何が」 


「おばさん」


 葵は空を見上げながら言った。


「必ず元気になるよ」


「根拠は?」


「ない!」


 即答だった。


 思わず力が抜ける。


「ないのかよ」


「でもね」


 葵は俺を見る。


 その目はいつもの明るさとは少し違っていた。


「そんな気がするの」


「絶対じゃないけど」


「でも、私のこういう予感は外れないと思う」


「思う、なのか」


「うん」


 葵は笑った。


「でも大丈夫」


「おばさん、また笑って退院するよ」


 根拠なんてない。


 医学的な説明でもない。


 それでも。


 その言葉は、不思議と胸に残った。


 由香里は生きたいと言った。


 日下部先生は手術できると言った。


 葵は元気になると言った。


 なら俺は。


 信じるしかない。


 そう思った。

第28話を読んでいただきありがとうございます。


 今回は大学病院への転院と、日下部先生からの説明を中心に描きました。


 脳腫瘍の手術は命だけでなく、その後の人生にも大きく関わります。


 助かる可能性がある一方で、後遺症のリスクもある。


 長浜家にとっては、とても重い選択になりました。


 そんな中で由香里自身が「生きたい」と口にしたことは、この物語の中でも大切な場面だったと思います。


 また、今回も葵は葵らしく、根拠のないようでいて不思議と背中を押してくれる言葉を残してくれました。


 果たしてその予感は当たるのか。


 そして手術の日は近づいています。


 次回もよろしくお願いいたします。

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