■ 第14話 DIGITAL FANTASY
誰かと音を重ねる。
ただそれだけのことなのに、不思議と世界は変わる。
一人で抱えていたもの。
言葉にできなかった感情。
未来への不安。
音になると、少しだけ軽くなる気がした。
そしてその日、まだ形にもなっていなかった何かが、静かに動き始める。
軽音部へ入ってから、学校へ行くのが少し楽しくなっていた。
以前の俺は、授業が終われば真っ直ぐ帰ることが多かった。
誰かとつるむこともなく、必要以上に人と関わることもない。
中身が五十過ぎのおじさんなのだから、当然といえば当然だ。
同級生たちのテンションに合わせ続けるのは、思っていた以上に疲れる。
だが、軽音部だけは違った。
部室へ入ると、空気が変わる。
ギターの音。
チューニングの雑音。
ドラムのリズム。
誰かが口ずさむメロディ。
そこには、言葉にしなくても通じる何かがあった。
特に桐谷春子と話している時間は、不思議と気が楽だった。
春子は距離の詰め方が自然だ。
ぐいぐい来るのに、嫌な感じがしない。
「長浜、また難しい顔してる」
放課後、部室へ入るなり春子が言った。
「別に」
「絶対なんか考えてる」
「考えるだろ普通」
「中学生はもっとアホだよ」
そう言って春子は笑う。
その横顔を見ながら、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
最近、部室でキーボードを弾く時間が増えていた。
最初は適当にコードを鳴らしていただけだった。
だが、ある日から少しずつ“未来の音”を混ぜるようになった。
前世で聞いた曲。
テレビから流れていたメロディ。
街で耳にしたイントロ。
もちろん、そのまま再現できるわけではない。
記憶は曖昧だ。
だが断片的にでも弾いてみると、この時代にはない響きになる。
それが面白かった。
その日も、俺は部室の隅で鍵盤に触れていた。
少しデジタルっぽいコード進行。
まだシンセサイザー全盛前夜の時代には珍しい響き。
軽くリズムをつける。
「……なにそれ」
気づけば周囲に人が集まっていた。
「聞いたことない」
「ゲームっぽい」
「なんか未来っぽくね?」
未来っぽい。
その言葉に、少しだけ苦笑する。
未来の音なのだから、当然だった。
「長浜、それオリジナル?」
春子が興味深そうに聞く。
「まあ、適当」
「適当でそんな出る?」
周囲もざわついていた。
だが、全員が好意的というわけでもない。
「なんか変じゃね?」
「普通のロックと違う」
「ちょっと暗いかも」
その反応も当然だった。
まだ時代が追いついていない。
未来で当たり前になる感覚も、今は“変”なのだ。
俺自身、それを分かっていた。
だが春子だけは違った。
「私は好き」
はっきり言った。
「こういうの、今ない感じする」
春子はギターを持ち上げる。
「合わせていい?」
「好きに」
次の瞬間、春子が音を重ねてきた。
少し荒い。
でも感情が真っ直ぐだった。
俺は自然とキーボードを続ける。
音が混ざる。
未来のメロディと、今の時代のギター。
不思議な感覚だった。
部室の空気が少し変わる。
「……なんか、いいな」
誰かが呟いた。
春子は弾き終わると、満足そうに笑った。
「長浜」
「ん?」
「バンドやろう」
突然だった。
だが、春子らしいとも思った。
「急だな」
「いいじゃん。どうせ軽音部なんだし」
春子は当然のように言う。
「長浜キーボードね」
「勝手に決めるな」
「私ギターやる」
その勢いに少し笑ってしまう。
だが、不思議と嫌ではなかった。
前世でもバンド経験はない。
でも、経験しておく価値はある。
演奏する側の感覚。
バンドの空気。
人を惹きつける音。
芸能プロダクションをやるなら、知っておいて損はない。
そんな打算も、もちろんあった。
だがそれだけじゃない。
少しだけ、楽しそうだと思ってしまった。
「あと足りないのは?」
俺が聞くと、春子は指を折る。
「ドラム、ベース、ボーカル」
「多いな」
「まあ何とかなる」
その時だった。
部室の奥でドラムを叩いていた男子が振り返る。
「なんか面白そうなことやってんな」
短髪。
人懐っこい顔。
春子が「あ」と声を上げた。
「達也」
「おう」
田崎達也。
春子の幼馴染らしい。
軽音部の中でもかなり目立つタイプだった。
明るい。
うるさい。
でも、ドラムだけは異常にうまい。
「お前も入る?」
春子が聞く。
「別にいいけど」
「軽っ」
「だって楽しそうじゃん」
達也はスティックを回しながら笑った。
それから俺を見る。
「長浜だっけ?」
「そう」
「なんか真面目そうな顔して変な音出すよな」
「褒めてる?」
「たぶん」
悪い奴ではなさそうだった。
むしろ、空気を軽くする才能がある。
俺と正反対だ。
「あとベースか」
春子が部室を見回す。
その視線の先。
部屋の隅に、一人でベースを弾いている女子がいた。
肩までの黒髪。
細い指。
周囲を気にするように俯いている。
「こずえー」
春子が近づいていく。
女子はびくっと肩を震わせた。
「……なに」
「バンドやろ」
「無理」
即答だった。
「なんで」
「人前苦手」
「でもベースうまいじゃん」
「……別に」
声は小さい。
だが、春子は気にせず続ける。
「キーボード長浜だよ?」
「……」
「ドラム達也」
「……」
「絶対楽しいって」
女子はちらっとこちらを見た。
田中こずえ。
軽音部では有名だった。
ほとんど喋らない。
いつも一人。
でも、ベースだけは異様にうまい。
俺も前から気になっていた。
音が妙に感情的なのだ。
喋らない代わりに、全部ベースへ出しているような。
「……私、人前ほんと苦手だから」
こずえが小さく言う。
「演奏するだけでいいじゃん」
春子が返す。
「喋るのは達也にやらせればいいし」
「ひどっ」
達也が笑った。
その空気に、こずえも少しだけ口元を緩める。
ほんの少しだった。
でも、たしかに笑った。
その瞬間、俺は思った。
このメンバー、悪くない。
いや、かなり面白いかもしれない。
春子が引っ張る。
達也が空気を回す。
こずえが静かに支える。
そして俺は、全体を見ている。
「あとボーカルだな」
達也が言った。
その言葉に、一瞬だけ空気が止まる。
歌。
中心。
前に立つ人間。
なぜかその瞬間、胸の奥が少しざわついた。
まだ知らない。
誰を探しているのかも。
何が足りないのかも。
でも確かに、今のバンドには“声”がなかった。
「バンド名どうする?」
達也が言う。
「まだ早いだろ」
「名前ないと締まらなくね?」
春子は少し考える。
「未来っぽいのがいい」
「未来?」
「長浜の音、なんか未来って感じするし」
その言葉に、少しだけドキッとした。
未来。
その単語は、今の俺にとって特別だった。
「デジタル……とか?」
春子が呟く。
「デジタル?」
達也が首を傾げる。
「なんか機械っぽい」
「でも今っぽくなくていいじゃん」
春子は楽しそうだった。
「DIGITAL FANTASYとか」
部室が一瞬静かになる。
「……長いな」
達也が言う。
「でも嫌いじゃない」
こずえが小さく呟いた。
俺はその名前を頭の中で繰り返す。
DIGITAL FANTASY。
この時代には少し早すぎる名前。
現実と幻想。
未来と願い。
まるで今の俺みたいだと思った。
「……いいんじゃないか」
俺が言うと、春子が笑った。
「決まり!」
夕陽が部室を赤く染めていた。
まだ何者でもない四人。
音もバラバラ。
未来なんて見えていない。
それでも、この瞬間だけは確かに始まっていた。
DIGITAL FANTASY。
後に、それぞれの人生へ深く残ることになる名前が。
第14話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、ついにバンド結成回でした。
桐谷春子、田崎達也、田中こずえ。
そして徹。
まだ未完成な四人ですが、ここから少しずつ“DIGITAL FANTASY”が形になっていきます。
そして今回は、徹にとって“学校が楽しい”と思える瞬間も描きました。
音楽が、少しずつ彼を変え始めています。
次回もよろしくお願いします。




