[35]
ソコロフは、手に持ったアルミの灰皿でタバコをもみ消すと努めてゆっくりと相手をなだめるように言った。
『まあ、そう言う訳だから、特に降格や配置転換という事は無いと思ってもらっていい。いいかい?』
『うぅ……ごめんなさぁい』
お嬢さんこと、オペレーター四〇七七八五六一。
彼女と話すこと、すでに三十分。
いつもこの時間に定時連絡で入れている秘匿通信に今回応じたのは、どういう訳か彼女だった。
時刻は、午前二時半過ぎ。
本来であれば、この時間は、サブオペレーターの六〇一三八五四三の担当の筈なのだが、その事をまず彼女に尋ねると、
『あぁ、ええと……マリヤさん――じゃなくて、サブオペレーター六〇一三八五四三は、その……ええと……今日は、近所でお肉が配給されるらしいから、って……その――マリヤさんの三人いるお子さんは、みんなお肉が好きなのに、もう一カ月も食べてないそうなんです……大人はともかく子供は、かわいそうじゃないですか! その……だから、わたし――』
と言う訳で、マリヤさんことサブオペレーター六〇一三八五四三は家に帰り、彼女が引き続き支援してくれているらしい。
(そうか、彼女はマリヤと言う名前だったのか……)
だいぶ前からの付き合いなのに知らなかったな……と妙に感心しつつ、話は自然と昼間のコマーシャル・プレイスでの事になったという次第である。
『まあ、部下の失敗は、上官の責任でもある。だから、君が変に気にする必要は無いんだ。それに、あのプロテクトを解除できる君の高いプログラミング能力は賞賛に値する。もし、仮にあれが敵の物だったら、オペレーター、君は今頃、勲章をもらっていた筈だ』
『ほ、本当ですか?』
『ああ。自信を持っていい』
『……ありがとうございます、同志中尉。わたし……嬉しいです。わたし、他の女の子たちみたいに可愛くないし、刺繍も料理もヘタクソだし、友達もいないし……。得意なのは、コンピューターだけで……。だから、そう言ってもらえて本当に嬉しいです。同志中尉……中尉は、いい人ですね』
『……。どうだろうね……。俺が、いい人かどうかは分からないが、少なくとも、部下に対して公平でありたいとは思っているよ。まあ、ともかく――明日の朝の勤務は、六一七六五七八八に代わってもらって、君は体を休めるんだ。まだ先は長い。ここで無理してもいい事なんて何も無いんだ。いいね?』
『分かりました、同志中尉』
『じゃあ、これで通信を終わる。おやすみ、オペレーター』
『はい、了解致しました。おやすみなさい、同志中尉』
ようやく通信が終わった。
定時の連絡にしては長すぎる通信だったが、部下の心のケアも重要な仕事には違いない。まあ、本当の事を言えば、委員会戦闘本部が、自分たちの責任になるのを避けるために彼女のミスを握り潰した、と言うだけの事なのだが。
ともあれ――
車窓を流れて行く景色は、彼女との会話の最中に階層が変わって、第五十三階層に入っていた。
シャフト 第五十三階層 第十六特別工場地帯 通称『ファクトリー』
競合区域内でも指折りの最高度危険区域を多く含む第四十九階層から第五十階層までモノレールはどこにも止まらず通過するのみ、車窓は真っ暗で見える物もろくに無かったのだが、ここに来て景色は一変していた。
レール沿い立ち並んだスレート屋根の巨大な工場群の照明が放つ眩いばかりの光の海。モノレールは、立ち並んだ工場の間を縫うようにして高速で進んで行く。
(一番心配していた最高度危険区域での襲撃はなかったが……)
そんなことを考えながら、ワイシャツの胸ポケットからタバコを引っ張り出して口に咥えた所で、背後のコンパートメントの扉がガチャリと開いた。
「終わったようですなぁ、同志少佐殿」
「ああ。随分と長話をしてしまったよ」
「ははは、偉くなると大変でさぁね。まあ、中に入って休んでおくんなさい。見張りは、あたしが引き受けます」
ですが……
「その前に、一つよろしいですかね?」
ホー叔父さんが、ソコロフと同じく、その上着の内ポケットからタバコを引っ張り出して咥えると、すかさず、ソコロフが黄燐ライターをカチンッと鳴らして火を付けてやり、自身のタバコにも火を付ける。
暫し、無言で窓の外の景色を眺めつつ、二人はタバコを燻らせた。
頭上で煌々と灯るアンティークなデザインの室内灯の灯に向けて細く立ち上って行くタバコの煙。その物憂い快楽に目を細めつつ、ソコロフが煙を吐き出していると、ホー叔父さんことホー中尉が、ソコロフの横顔をまっすぐに見つめて切り出した。
「同志少佐殿は、どう思われてんです?」




